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「役に立たない」と思う本こそ買え

はじめに

こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は、興味を持てない本を乱読する勧め『「役に立たない」と思う本こそ買え』を紹介させていただきます。

森田流「読書のススメ」

概要

経済、科学、思想、宗教、古典などジャンルを問わずに乱読する森田氏が、読書とは何か? 乱読の持つ意味とは何か? を読者に問いかけています。氏は、本は買って読むことにこそ意味があると考え、自分が対象ではない本をあえて読むことの意義について語りつくしています。多彩な読書遍歴を持つ氏は、様々なジャンルの本を乱読することによって得られる多角的視点の大切さを訴えており、それを獲得する醍醐味が書かれた作品です。新しいことをインターネットで知ったうえで、古いものを本で知ることで、より立体的な知識を得ることができます。

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著者紹介

著者は、お天気キャスター、気象予報士の森田正光氏。森田氏は、ウェザービジネスを展開する「ウェザーマップ」、気象予報士養成講座を運営する「クリア」の代表取締役でもあります。日本気象協会東海本部、同東京本部を経て、41歳のときに独立。フリーランスのお天気キャスターとなられました。また、後進の育成に力を注ぎ、多くの「森田チルドレン」を輩出されています。


この作品のポイントと名言

新しい知識が入ってくると、自分のなかで下書きされていた言葉や概念が浮かび上がり、太古の昔から哲学者が言ってきたところの弁証法で上書きされて確かな知識になったり、考え方になったりするのではないだろうか。(序章、p12)

読書によってしか得られないものが確実にある。細かい内容は忘れてしまっても、その本に通底する論理が頭に残り、何冊も読むうちに、それがだんだん自分の思考を形作っていく。(序章、p12)

「役に立たない」と思ったということは、つまりはこの本に自分の仕事や生活とは関係のない分野について書かれているということだ。(序章、p16)

本は手で持って、手触りやにおいを感じて、開いて、ページを折って、しおりを挟んで、それで一人前の読者だと私は思っている。最近はそのドキドキ感を知らない人が多いのではないか。(序章、p28)

本をどれだけ読んできたかによって、ものの考え方や判断、ひいては生き方が違ってくるのだ。(序章、p30)

本というものは、大きく二種類に分けられると思う。一般的な実用書と、専門家による研究書である。さらにその二種のあいだに、研究書を噛み砕いてわかりやすくしたものがある。(第一章、p38)

罪を犯したり、他人に迷惑をかけたりするのがよくないのは当たり前だが、社会の規範や空気からはみ出したものをすぐに切り捨て、落ちぶれたものを「自己責任」としてかえりみない、そんな最近の日本社会の傾向に、私は一抹の寂しさを覚える。(第一章、p54)

随筆集には、このようなことを、大真面目に、文学的な文章でつづってある。夏目漱石の弟子でもあったという寺尾寅彦の随筆は、科学の視点から離れても、純粋に読み物として面白い。(第二章、p64)

そのなかでいちばん納得したのが、辛さんが「差別とは享楽なのだ」と指摘しているところだ。人々は、娯楽として差別をしているだけではないのか、と言うのである。(第二章、p70)

そこに書かれてあることを無批判に鵜呑みにしてしまうと、極論に走ったり、異なる意見を強制的に排除してしまったりする危うさがある。ちょっと距離を置いて、冷静な読み方が必要な本もあるのだ。(第二章、p90)

『エビデンス主義』を書いた、精神科医で臨床心理士でもある和田秀樹さんによれば、日本では、医療に限らず政策などでも、異なるデータ(エビデンス)が実際にあるのに、雰囲気だけで決めてしまうことがよくあるそうだ。(第二章、p96)

みんな、より楽で、面白くて、おかしい情報を欲しがっている。その情報が事実かどうかは、だれも気にしない。そして、なにかの拍子にウソだとばれたら、寄ってたかって叩きまくる。結局、だれも責任を取らない。(第二章、p100)

ただし、こけおどしだけでは限界がある。ふさわしい思考力がないと、その知識が単なるこけおどしであることがすぐにバレてしまい、やがては信用されなくなる。(第二章、p112)

これは目からウロコの発想だ。戻ってきた飛行機の背後には、撃墜されて帰って来られなかった飛行機の残骸が累々としてある。それを認識する、つまり、見えていないところを見なければ、正しい判断ができないということだ。(第二章、p117)

「無知の知」を得るための一番の方法は、その分野で「知」を持っている人に会って話を聞くことだろう。そうすれば嫌でも自分の無知は自覚できるが、本を読むことでそれに近い体験が得られる。(第二章、p122)

「役に立たない」と思うことは、「知らなくてよい」と思うことに等しい。そこに「無知の知」はない。「知らなくてよい」知識を得ようとする姿勢が、人間を人間たらしめるのだと思う。(第二章、p122)

ここで知ったマトリスト/パトリストの分類は、今もよく覚えている。マトリスト、パトリスト、ソフトエゴ、ハードエゴの四種によって、人の考え方を座標上で分類するというものだ。(第三章、p132)

魯迅は中国共産党寄りの考え方をもって文筆活動をした。だが、そのことによって今、魯迅の書いた本の価値が減ずることはまったくないと思う。なぜなら、政治や思想や宗教を超えたところに、魯迅の言葉があるからだ。(第三章、p140)

一般的には、政治が悪いのは政治家のせいだと思われているが、その政治家を批判する前に、自分たちが学ばなければならないのだ。(第三章、p150)

私が個人的に興味深かったのは、仕事を「マックジョブ」と「クリエイティブクラス」とに分類する考え方だ。アメリカの経済学者が二十年以上前に、こうした二極化を予言したという。(第四章、p162)

「四十までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、六十までは専心求学、七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」というのが本多静六の人生設計である。(第四章、p182)

ダーウィンは「強いものが生き残るのではなく、賢いものが生き残るのでもない。ただ変化するものだけが生き残る」と言ったというが、人間は、これからどう変化すれば生き残れるのだろう。(第五章、p196)

古典文学や音楽、美術作品は、価値があるからこそ、多様な形をとって残っている。さまざまな宗教の教えなどが現在も残っているのは、多くの人々の心に沁み込んだ結果だろう。(第五章、p228)

若い人なら「温故知新」の逆で、「知新温故」がいいかもしれない。古きを温ねて新しきを知るのではなく、新しいことをまずなんでも貪欲に知ったうえで、古いところへ訪ねていくと、より立体的な知見が得られるのではないか。(第五章、p229)


dZERO新人HKのひとこと

 この本を読んだ最初の感想は、「いろんなジャンルのブックガイドだ」でした。森田氏の読書遍歴はジャンルにとらわれておらず、本当に多彩で、こんな本があるんだなぁと思いました。たつまきに関する本が存在することに驚きました。日本に住んでいるとたつまきに遭遇することがなく、まったく興味がなかったのに、好奇心がくすぐられました。
 この作品がただのブックガイドとは違う点は、そこに森田氏の独特の視点が加わって、かつ氏の読書哲学・思想のようなものが滲み出しているところにあります。そのためか、二度目に読んだときは、「ここで紹介されている本はまったく興味のないジャンルだけど、なんだかおもしろそうだし、読んでみようかな?」という気持ちになります。独自の切り口から語られる各本の紹介を読んでいると、なるほど、多彩なジャンルの本を読んでいるから、このような視点から眺められるのだなと納得できます。この作品は現代版「乱読のススメ」といえるのではないか。そして、いろんなジャンルを乱読するからこそ、人生が立体的かつ豊かになるのではないか。とにかく、なんでもいいから読書がしたくなる作品です。


おまけ

森田氏コラム「なぜ本を買わないんだ!

ここでしか(!)見られない森田さんの「気象の事件簿」も販売しています! ラインラップは以下のとおり。


森田正光の「気象の事件簿」 第1号 秘録・伊勢湾台風

森田正光の「気象の事件簿」 第2号 風船爆弾と731部隊

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