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孤独感というのは

こんにちは。ロッキーこと岩田直樹です。

タイトルの通り、
少しヘビーな話になるかもしれません。

社会に出て、1年経った。

2018年4月から社会人になりました。

僕は中学から高校までろう学校に通い、
大学も筑波技術大学という聴覚、視覚の障害を持った学生が集まる四年制大学に入り、
この10年間は聴覚障害者と常に過ごしていました。

そして2018年4月からは社会人になると、
聴覚障害者との関わりは減り、健聴者と毎日関わるようになりました。
(学生の時も健聴者と関わっていたが、毎日というほどではない。)

この10年間、聴覚障害者といて、とても心地よかったです。同じ障害を持つ同士、理解があるからこそ会話も楽しくでき、普通に学生生活を過ごしてきました。

だけど、楽しい反面、このままでよいのだろうか?と思うことがありました。

結局いつかは社会という健聴者の世界に入らないといけなくなるのでは?
手話もない、ただ音声だけの世界で生きていけるのだろうか?
という不安がありました。

そんな不安を覚え始め、大学2年の頃から
地域のイベント団体に入りました。
もちろん、僕以外は健聴者です。
会話も全て音声でした。
元々口の形を見て読み取るという読唇術ができていたため、健聴者との会話は難なくできましたが、やはり限界を感じることも多かったです。

例えば複数人での会話や、様々な音が入り混じった居酒屋や駅での会話は困難でした。
それでも健聴者の中に居続けたのは、自分のためでした。

健聴者と一緒にいた方が自分のスキルを上げやすいからです。

やはり、


健聴者を見て羨ましかったこともありました。
健聴者同士盛り上がっているのを見ると、

どうして盛り上がっているんだろう。
普通にイベントなどに参加していいなぁ。
お互い知らない人なのにすぐに仲良くなれるんだ。

と思うことがありました。

この世はなんの障害もない普通の人がたくさんいて、その人達がこの世を作っている。
そして、好きなことも障害者よりも簡単にやっていける。(もちろん、一般人でも色々努力してやり遂げたということも承知している)

聞こえないだけで人の輪に入れない。
入れたとしても結局話についていけない。
気を遣われた。申し訳ない。←ここちょっと色々面倒だよね。

どうして聞こえないだけでこんなに楽しくないのだろうか。ああ聞こえる人が羨ましいなぁ。

そんな気持ちを殺して、悟られたくないと思い、笑顔で過ごしていたことが多かったです。

この10年間、聴覚障害者と過ごして
ただお互いの傷を舐め合っていただけなのか?

聴覚障害を誇りとして生きていたつもりだけど、それは惨めな自分を納得させるためだったのか?

とグルグルと考えていると



どうでもよくなった。


いや、単に思考停止という訳ではないのですが、本当にキリがないなと思いました。
やはり、そう簡単に解決できる問題ではないです。

まぁ、
よく考えると生まれつき、聴こえなく、
岩田直樹という人間に「聴こえない」という特徴が加わっただけ。
いやぁ、自分は聞こえないだけじゃん。それ以外はみんなと同じだよなぁ。
と思いました。
誇りなんてバカバカしくなってきました。

聴こえなくてよかった!というか、
「ここにホクロがあるんですよww」という感覚で、

「僕、聴こえないんですよww」と軽い感じで言っちゃえば楽かなと
思いました。
最近はSNSが発達して人との関わりも簡単にできるようになりましたし、
どんどんと関わって、楽しく過ごせたらそれはそれで良い。
自分から様々な人と関わっていき、
みんなの中にある
「障害」という感覚を「特徴」に変えていきたいと思います。

ただ、聴こえないだけ。
岩田直樹として関わってもらえたらいいなと思っています。

「どうでもよくなった。」の時点で話がかなり逸れた気がしますが、
自分の性格のせいなのか、悩んでも一晩経つとやっぱり気にしないタイプなので「聴こえない」に対してはホクロと同じレベルの特徴です。
(差別などはあるけど、今までの経験上そこまで酷い差別はされていないと思う)


孤独感なんてチョロいもんだよ。(自分も)



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※生まれつき耳が聴こえないことによって、日本語能力が他の人と比べて低く、誤字などが沢山あるかもしれません。もし、誤字があった場合は指摘をいただけると嬉しいです。

サポートさせていただいたお金は、岩田直樹という発電機のメンテナンスに使わせていただきます。