街と人

目的もなく街を散歩するのが好きだ。

街とは人間的なものであり、動物の世界にはない。人は何かの目的をもって街に来る。目的を探すという目的も含まれる。そこには人の「行為」の束があり、何かを意志して行う。みんなが物語を生きている。そんな人々のいる、そんな人々の物語として作られた街を見て、そして自分がその中にいることで無根拠の不安から逃れられるのかもしれない。各自それぞれが全く違うストーリーを持ち、それに没頭している。物語を作るのは欲望だ。欲望の色が強い街はより魅力的に映る。

人を見れば、その人の個性が見え隠れする。個性は価値だと思う。自分をうまく表現したり、人の意見に流されず自分の考えを押し通したりするようなときに「個性的だ」というが、僕はそう思わない。みんなに個性がある、というか個性があるから個人が成り立つと言える。

いくら働かずに引きこもっていようが、いくら教育水準が低かろうが、いくら一日中エロいことしかしてなくたって、いくら社会的善を追い求めようが、いくら自己の快楽にひた走ろうが、それはその人だけの個性である。同じマンションの隣で生まれ育っても、もしくは双子で同じ家で生まれ育ってどんな似たような体験をしても、同じ経験をすることなどありえないから、個人は個性だ。

世間でいう「個性」とは、社会を変えるとか、アート性を持つみたいな努力前提があると感じている。そうではなく、個性とは、誰もがもつ性質なのである。

そうした個性を価値とみなせる社会が本当にいい。

ハンナ・アーレントが言っている活動とはこういう個性を表現し合い価値化していく活動だ。自分を試行錯誤しながら表現し、認められれば価値となる。現代と違うのは、大きな流れとして個性が定義されるのではなく、表現を通じて、みんなが違う中でそれでも共感を得るものが価値なのである。こういう個性を価値化することは実存的に追い求めるものだから、これを社会的に実現できるとすごく良い。

僕は人との同質性を求めすぎないように意識している。人は皆違って、だから面白い。僕にはダメなところがあるし、おそらく貴方にもあるだろう。でも良いところも沢山ある。それは価値である。

街に出る、人と会う。それは大きな意味を持つ活動だと思っている。


読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。