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文を書く。

自分の普段の生活すら、上手く言葉にできなくて落ち込む。日記を書いている人、書いたことがある人には分かるかもしれないけど、その日に自分がしたことを書くというのは意外に難しいことだ。

好きなものについてもそうで、自分が好きな音楽や本、映画などについて、詳細に言葉で表現したいのだけど上手く書けないことも多い。「最高!」とか「好き!」だけでいいじゃん、と言う人もいるし僕もそう思ったりもするけど、何が最高なのか、何が好きなのか、感情の裏付けを考えていたいちょっと面倒くさい人間なのです。

何を書くか、何を書かないか、どこまで書くか。考えすぎると全然書けない。書くというのは時間かかるし苦しいことで、だから今の時代にわざわざ長い文章を書いたりする人は少ないと思う。でも僕は書きたいのです。できるなら、誰もが語らなかった言葉で。このnoteはその練習という意義もある。

一年半ほど前に何となくnoteを始め、こんな風にネットの片隅につらつら書き落としてきた。特に目的などなく、誰に言われるでもなく。でも今では、僕の生活の中で大切な活動の一つになっている。そしてそれをちゃんと読んでくれる人がいて、たまに感想など聞けると嬉しくて舞い上がってしまう。

自分が存在していたこと、生きていたこと、自分の大切な人、大切なもの、それに抱いている感情とか、そういうものをちゃんと残しておきたいと思う。人生というのは長くて短い、儚い夢のようだけど、何も表現せずに生きていたくはなくて、誰と比べるでもない自分のやり方で、ひっそりとでもやっていきたい。

いつも、もがいて苦しんで何かを探してる。満たされなくて退屈で、どこにも行けないままふらついている。今までずっと。きっとこれからもそうなんだろうな。

書くことと旅することは似ている気がする。風のように気の向くまま旅をしてきた感じがしていて、時に自分でも知らなかった自分が現れたりするから面白い。誰かの言葉を借りるなら、自己療養へのささやかな試みなのだと思う。旅に、文章に、救済された自分を見つけたいのかもしれない。

僕は「文を書く」ことをたぶん死ぬまで続けると思う、それは日記なのか小説なのか詩なのか随筆なのか評論なのかは分からないけど。何十年後かに振り返って、今より美しい言葉で世界を語ることができていたら、それほど嬉しいことはない。

日々、本当に色々なことがあって、自分を見失い不安になるし最低な気分で世の中を憎むことも多い。でもこの長くて短い夢をひたすらに、できる限り楽しんで生きたいものだな。自分なりの幸を探しながら、微かな光を求めて。


では、また会いましょう。


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読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。