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「ウィズ/ポストコロナの時代にどう生きていくか?」の話は、実はもう終わってるのかもな、とか。

いま何を考えているの?という話なのだけれど、正直に告白すると、いま何も考えられていない。逆に考えているような気もする。なのであんまり何も考えずに書いてみる。

僕に見えている社会(=それすなわちネット世界)はコロナで頭がいっぱいいっぱい。僕はSNSにある思考の芽のかけらみたいなものが好きで、SNSとは多様な社会に触れるツールであったはずで、だからそこにいたのだけれど、最近はどうにも画一的になってしまった。

最近一番おもしろかったのは「ウィルス」と書いても「ウィルス」を3モーラで発音している人っていないよね、みたいなことや「ウイルス」ってよりは「ウウィルス」に近い発音の人が最近いるよね、みたいなこと。

言語学いいよね。

コロナではない話が聞きたいよ。コロナで困っている人、戦っている人が今いるんだぞ!と誰かが怒るかもしれないけれど、だからこそでしょ。

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みんなウィズコロナ、ポストコロナ、アフターコロナのことを考えているようだけれど、コロナがもたらしたものなんて、バックキャスティングに世界を捉えてみればごくごくわずかなんじゃないかと思う。

既知の社会格差を強烈に具現化させた(貧困層の感染拡大傾向と貧困拡大、人種差別、情報アクセスの格差、うーん、、、etc)。既に見えていた"すべき変化"を推し進めた(リモートワーク、教育のオンライン化、脱はんこ化…etc)。

だからなんだ、そんなもの「変えるべきだ」ということは既に多くの人が気づいていたし、ほんとのほんとは50年前100年前に、気づいた段階でやっているべきだったことのはずだろう、という気がしてしまう。

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ウィズ/ポストコロナ時代"的な"コンセプトというのは、分散型独立クラスター( independent decentralized cluster)というコンセプトなんだろうなと思う。これが物理空間/仮想空間上に成立し、その上で相互のオープンネスを担保していくことが重要で、だけどそれがこのウィズコロナ時代においては一時的にクローズすればいい…。ただそれだけのことだ。

また同時に、今の時代は「つくる性の民主主義」の時代であって(そのあたりは以下のツイートにぶら下がるスレッドにまとめた)、丁度「MAKER MOVEMENT2.0」的に社会をつくっていこうという運動は既に起き始めていたではないか。

項の冒頭で意味不明なことをぼやいてしまったけど、つまり、「巨大なナニカ」にあまり依存しないような、それぞれが独立した圏を作ろうよ、という話。

中央集権的だからコロナに弱いのである。(巨大な)中央集権的であるということは、例えば以下のような欠点がある。

▷一極集中的にならざるを得ない
 →東京の満員電車
▷小さな一部が止まると構造全体が止まる
 →自動車業界
▷決定に対して検討が必要な変数が多くアジリティが下がる
 →政府の決定、リモートワーク化やオンライン授業化…

ほかにも、巨大なナニカに依存するから、自分でおかしいと思うことに対する決定権を持てていないわけで。医療者やソーシャルインフラではないのに不要不急の仕事をするために会社にいかねばならないだとか、いわんや「はんこを押しにいく仕事」だとか…。

ウィズ/ポストコロナ時代においては、マクロには変化に即対応できる、アジリティやレジリエンスが高い小さな分散型組織の集積としての社会を理想として目指すべき。個々人のミクロなレベルで言えば収益ポートフォリオは分散させ、可能ならばオンライン/オフライン相補的に分散させておくのがよい。多様なセクターが集積するクラスターとしての小さな経済圏を成立させよう!みたいな感じでしょうか?

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なのだが、そんなコンセプトはもうずっとずっとずっと示されてきたはずだ。

マクロ的レベルでいえば既に仮想通貨がSNS上ではやった時期に「分散型:decentralized」のコンセプトは示されていた。家入さんは「小さな経済圏」というのを2017年に言っている(なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。)。もう少し拡張すればそれは「国家を作ろう」「社会を作ろう」みたいなことであって、それはNext Commons Labの林さんが「新たなOSをつくる」と既に宣言し、Commons.incでもそのコンセプトを提示してきた。

いわんやミクロでは、フリーランスだとか複業だとかっていう流れはずっとあったのだし、コストを下げよう!みたいなことだって、個人レベルにとどまらず、大企業がサテライトオフィスとして地方疎開をするくらいまでにはコンセプトとしてはもう手垢がついている。

小さな経済圏というレベル感でいえば、更には物理的小経済圏のレベルから、オンライン上での仮想空間における例えば「友達経済圏」的な感覚だって相当広がっているはずだ。

てか、こんな話を僕たちは、震災後に浴びるようにしつくしてきたし、向き合ってきたし、そしてこのウィルスを迎えてるんじゃないの?とか思ったり。

(※なんかこう考えてみると、僕は物理空間に対する関心が異常に低いのだな…。今回の危機でアイデンティティクライシスに陥っているのは「観光」とか「場」とか「対話」のような(もちろん飲食もそう)、オフライン空間に本質的な価値がある領域なのだよね。その領域についてはもちろん、根本的な、かつ大掛かりなイノベーションが必要だと思う。その領域をとても大事にして生きているたくさんの人たちのことも、よく知っている。が、僕自身の関心は少なくともいま、あまりそこにはないのだなあなどといま思った。なので、それ以外の話をしていると思ってください)

(※なんかそういう意味でも、レジリエンスの高い個人として生きていける自分、に嫌気がさす。ときがある。僕は一切、人と顔を合わせなくても、声を聞かなくても仕事がいくらでもできる。でも、そうではない人もいっぱいいる。仕事は顔や声を見て聞いて、信頼できる人としたいのだ、という人もいっぱいいるだろうし、文字でのやりとりがどうしても不得手な人もいる。ものすごく現代に最適化された人間としての自分、ということをよく考えるし、そしてもし自分がそうではなかったとしたらどうだろう、ということは、常に考えたいと思っている)

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そんな「独立分散型の社会」みたいな、既に何度も論じられた結論を繰り返して提示されても、もうなんなんじゃい、という感じ。それ以上のコンセプトってあるんでしょうか?

「身軽に変化できる会社への労働力の移動が起こる」「フリーランスが増える」「コストの低い地方への移住が進む」「地方分権が進む」…。とはいうものの、その"傾向"って、これまでと何が違うのかしら。

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ちなみに分散型独立クラスターになれば、コロナ環境下でも一時的にオープンネスを諦めることで(もちろんそれはちょっと寂しいけど)、飲み会もライブもいくらでも実施できる。すなわち、その内部でブロック経済を回せばよい。一人がかかったら全員濃厚接触者だけど、笑 逆に言えばそこをうまくクローズドにする運用は可能ではないか。

もちろん、あるクラスターは上記のように、一人が感染することで一気に感染してしまう可能性はもちろんある。笑 そうであったとしても、結果的には社会全体のレジリエンスという意味で(福祉的介入がしやすいという意味でも)このブロック経済は採用してもいいと思う。

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なんか正直このコロナ下で僕が感じているのは、すごく変な言葉なんだけど、「悔しい」という感覚で…。当事者意識を持って、共感し、怒りをもって、変革を起こしたい!と思うのだが、そうなれていないことにものすごい悔しさがある。…これは本当に僕の個人的な超矛盾した感覚であることは重々承知している。

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今の僕の現状を言えば、仕事の面ではリモートワークなのは昔からで、基本的にPC一台で稼げるようになっている。生活コストも相当下げているから、特に仕事がなくなっても問題はない。てか仕事ある。

生活面ではシェアハウスに住んでいる(オープンな独立分散型クラスタ状態!!)ので、誰かに会いにいかなくても友人がいて、飲み会もできる、音楽もできる。地方に住んでいるから庭で花見もできる。車で大自然まで行けば誰もいないし、山にも海にもいける。

ど田舎のおじいちゃんたちなんてコロナなんてどこ吹く風で、みんな晴れた日には気持ちよさそうに農作業をしている。…3密からは一番遠そうに見える。

つまり、普段と全然変わらない日常を過ごしている。普通に楽しいし幸せです。ウィズコロナだろうとポストナントカだろうと、たぶんあんまり変わらない。

…もうちょっと付け加えるならば、仮にここでネットがなくなったとしても、たぶん僕の日常はあまり変わらないと思う。今の僕の収益はほぼ100%がオンラインからによるものだけど、それがなくなったとしてもやれることはめちゃくちゃある。

何を言いたいかというと、言葉にしてしまうならば、「ウィズ/ポストコロナ時代の働き方/生き方」…みたいな話がにわかに盛り上がっているけれども、もうしてるかもなあ、と思うわけです。そしてこんなふうに感じている人は少数ではないだろうな、とも。

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当事者でないことに怒りを持って解決策を考えるのは、僕にはちょっと難しい。ある意味コロナ戦線から離脱した、ということになるか。…個人的には「ウィズ/ポストコロナ時代に、人はどう生きていけばよいか?」の話は、もう終わっているんじゃないか、という認識でいるかな。

(※もちろん、終わっているのは未来の青写真に関する議論であって、今の問題は向き合わなくてはいけないし、そして"未来の青写真"に至るまでの実働が必要なことはわかっているしやらねばならない。そこの話をごっちゃにする気はない。個人的にも教育領域のDX介入を試みたり、福井の飲食店支援をしたりを続けています。)

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ある意味、流行りのコンセプトに乗っかって、生活のためのゴツいセーフティネットをはりまくってレジリエンスを獲得してきた結果が僕の今なのだなと。そのせいで、SNSで展開されるウィズ/ポストコロナの話がどうも身に入ってこないし、でもなんだか切迫した様子だけがひっきりなしに伝わってくる。なんか変な感じ。

てか、本当はSNS上にいる人たちも、結構同じように思ってるんじゃないだろうかという気もする。職場が会社から家に変わっただけで、むしろ超快適だぜと思っている人、家族とたくさんの時間が過ごせているぜと思っている人もたぶんいっぱいいるはず(もちろん、完全に逆に思っている人も相当数いるはずだけれど)。震災の時と同じで、隣で苦しんでいるひとがいるんだぞ!という論理展開不明な(暗黙の)"幸せ自粛要求"で、なかなか言い出せていない幸せ、いっぱいあるんだろうな。

投稿するのもはばかられるような話ばっかりで申し訳ないが、あとで「コロナのとき何考えていたんだろう?」と思うかもしれない未来の自分のために書き残しておく。

※アイキャッチ写真は保井さんより https://note.com/tuck4/n/n852aec211918

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