2024年1月8日 「新年」

ついに2024年である。これはおかしい。

昨日、帰省から戻ってきて、明日から講義が始まる。無理がある。

しばらく行けてなかったので恵文社一乗寺店に行ってきた。お年玉でほどほどに散財をして、揚げたてのカレーパンを買って出町柳まで戻ってきて食べていたら見事にトンビに盗まれた。何回かやられかけたことはあったけれど、本当に盗まれたのは初めてだったので驚いた。何が起きたかしばらくわからなかった。

まさにこれ。最近まさかの続編が出ていたYouTube界のレジェンド動画。これ、お母さんがすぐに抱きしめに行ってるのが本当に良い。あそこで泣きそうになる。トンビにカレーパン盗まれた私も、誰かに抱きしめられたかったわね。

出町座でジャン・ユスターシュ監督『ママと娼婦』を観た。4時間近い大作で腰の負担に耐えながらだったけれど、それでも飽きずに見られたし、なんならずっと面白かった。ジャン=ピエール・レオの顔が良いというのもあるけれど。長台詞や長回しは多いけれど、テンポの悪さは感じさせないし、リズムが心地よかった。だらだらと続く話ではあるものの、ずっと緊張感があった。不思議な映画体験。

いのうえの餃子でラーメンを食べて、銭湯に行った。

長風呂は良い。結構混んでいた。いつも思うけれど、銭湯や温泉というところは不思議である。誰も隠すことなく素っ裸でうろうろしている。江戸時代の一時期には混浴が普通だったらしい。北欧なんかでは今でも混浴サウナが少なくないらしい。下世話な話になるが、世の中には男性器のサイズがステータスになる文化があり、そのような旧価値観から脱しつつある現代でも隠れて蔓延っているらしいのだけれど、しかしながら銭湯では誰も隠そうとしないし、そういうのを意識しているそぶりも見せない。もちろん、自信があるから隠していないわけではない。当然ながらいろんな大きさや形がある。誰も隠さないのは、まあ隠す必要がない場所だからではあるのだが、そこには「隠すのは男らしくない」という価値観があるのではないかと思う。サイズを気にしない価値観が普及するのは良いことだけれど、そこに「男らしさ」という別の旧価値観が見逃されているのは、ちょっと嫌である。

新年とタイトルをつけておいて下品な話題。

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