むすめ。おや。かぞく。
前回のnoteで、カンボジアにいることを言ったと思います。
先々週くらい。
帰国するかしないか、一瞬その瀬戸際だった日。
帰国の手段がどんどん無くなっていく中、帰るか。残るか。
一緒に住んでたインターン生の友達は、帰国を決めて2日後に無事お家にたどり着いた。
勇気のいる、素晴らしい決断だなって素直に思う。
その子と頭を抱えて、どうしたら良いかわからずにどんどん不安が広がっていく中思ったこと。
わたしには帰国の理由がないということ。
ここにいたい。
インターン先の活動がもし止まってしまったとしても、個人として残れる。
支え合える人たちがすぐそばにいる。
お父さんとお母さんに連絡しました。
電話に出たとき、想定外に冷静というか、普通だったお母さんにびっくりした。
残ることしか選択肢にないにもかかわらず、どうしたらいいかわからなくて、涙が溢れたわたしにお父さんが。
こんなことで泣くくらいなら帰ってこい。行くことを自分で決めたなら帰るかどうかくらい自分で決めなさい。お父さんたちはゆづきの決意を応援するし、反対なんてしない。頑張りなさい。粘りなさい。
と、いつもより少しだけ強い口調で言ってくれた。
大混乱の数時間が終了した瞬間。
わたしが帰国するのは、
ウィルスに関係なく、家族に何かが起きたとき、
カンボジアの政府から出て行けと言われたとき、
自分がここにいることで、カンボジアの人たちに何かしらの悪影響を与えてしまいかねないとき。
渡航の覚悟と、帰国の覚悟はどっちも持っていないとだめ。
今思えば、いつ思ってもだけど、親には心配しかかけていない21年間。
アメリカに移住した2歳当時、自分は日本人だからと保育園では2年間無口をつらぬき、
かと思いきや帰国したら、今度は自分はアメリカ人だから日本語はできないと言い張り、
そのまま小学校に馴染めず最後一年は学校に行けず、
楽しかった中高でも、自分の正義に当てはまらないものにはつっかかってしまい、
大学に入ってもそれは治らず、つっかかっては泣き、つっかかっては怒り。
そして、家族にとっては未知の国に恋をしてしまい。
つくづく、自分が自分の娘だったら嫌だと思う。
どんな人が旦那さんになるかはわからないけど、どうかその人の血が濃くありますように!笑
こんなはちゃめちゃで頑固なわたしだけど、21年間本当に心の底から楽しくて恵まれてて、
お母さんたちには、ごめんなさいなんだけど、やっぱりそれ以上にありがとうだよね。
もう本当に、本当に、家族って半端じゃない。
わたしができる最大限の感謝をするならば、好きなことをして、元気な日焼け顔で、生き生きとした笑顔を見せることかな。
結果、それしかできないんだけどね。
もはや自分のやっていることの正当化に聞こえるかも。
でも、そんな感じです。
いまも心臓がはちきれそうなくらい心配かけてるのかな。
ごめんなさい。これからもかけます。きっと。
でも楽しいの。
仕方がない??
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