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これが私の芸術です(短編小説)

「…という訳で、100万円の価値があるこの壺。あなたにだけ、特別に、30万円でお売りしようと思います。如何でしょう?」

「なるほどねえ…。」

「どうぞゆっくりご覧ください。あ、お姉ちゃん、ホットふたつ。」

かしこまりましたと言いながら、悍ましい光景にギョッとする。おいおいおいおい。マジかよ。眼前で繰り広げられるのは、ありきたりな詐欺師の詐欺トークである。

身なりのいい詐欺師らしき男は、小さな壺を机の上に置いて、張り付いたような笑顔を見せている。話を熱心に聞いているカモことお爺さんの目は、悲しい事に光り輝いているように思えた。

悲しいけれど、都会のカフェならどこでも見られる光景だ。確かにここは東京のカフェだし、そんなにおかしな話ではないのかもしれない。そうだ、美術館併設のカフェでだって、詐欺師はトークをするものだ。

…。

そんな訳あるか。

子供の頃から絵を描くのが好きで、才能がないと知ってからと絵に囲まれていたくて、苦肉の策で美術館併設のカフェの店員になった。大変な事もあるが、毎日それなりに楽しくやっている。いわゆる人間社会から少し切り離されたような、神聖な空間。それが好きでここを選んだ。それなのに、何が30万円の壺だ。

「ほら、展示でもこの壺、飾られていたでしょう。瓜二つでしょう。」

美術館で飾られていたものと瓜二つ。じゃあ偽物じゃねえか。よく出来た贋作じゃねえか。

「本当だ、よく似ている。素晴らしいものなのでしょうね。」

騙されてるよ、あんた!展示室に行って見比べてみて!分かるから!違いが分かるから!というか、分かんないなら美術品とか買うべきじゃないから!

というか、こんな所で商談をしている狙いはそれか。美術館で似たものが飾られているのを見せて、信憑性を上げる。それが狙いか。美術館を汚すような行為。震えが止まらない。

それでも職務は全うしなくてはならない。私はホットコーヒーを盆に乗せて持ち、彼らの元へ向かった。

「おまたせいたしました。ホットコーヒーふたつです。」

「おう、どうも。」

「お客さま、おやめくだ、あ!」

詐欺師の男は私のお盆から勝手にコーヒーを取った。飲食店に勤めた事のある人なら、それがどれだけ罪深い事か分かるだろう。盆の上の重みが急になくなると、バランスは著しく崩れる。私の盆はバランスを失い、もう片方のホットコーヒーは宙を舞った。美しいバレエのような回転を見せて、黒い液体は重力に吸収されていった。コーヒーは辺りに飛び散り、ジャクソンポロックのような絵画を見せた。

しかし一番悲惨だったのがカップである。カップは新体操のような回転を見せた後、壺の上に着地した。カップも、壺を、互いを痛めつけて割れた。残ったのは破片と、この壺が安物のマグカップに割られる程度の物だという証明と、虚しさだけだった。

その後、男はこの壺は100万円するとか、弁償させるとか、訴えてやるとか、くだらない捨て台詞を吐いて去っていった。連絡先を残していない辺り、本当に警察を呼ばれたら困るのはどちらか、弁えているようだった。お爺さんも帰り、私は脱力感に襲われた。細々とした破片と、擬似ジャクソンポロックを片付けなくてはならないからだ。

「店長、この破片とシミも芸術の一部って事になりませんかね?」そんなくだらない事を言ってみたりもした。店長は面白がって、しばらくシミのついた絨毯と割れたカップを残しておいてくれた。「意外とリアルな芸術かもね。」と。「仕事を頑張った中で出来た副産物が、一番美しい芸術かもしれないね。」

その言葉は後に本当になった。新聞紙が「詐欺師を撃退した勇敢な店員」などと騒ぎ立てたせいで、店は少し有名になった。そして破片は、しばらく美術館に飾られる事になった。作品名を考えてくれ、と言われて私は悩んだ。そして、こんな名前をつけた。

「これが私の芸術です。」

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