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「恋人」ではなく「夫婦」でありたい

家族で温泉旅行に行ってきた。

桜が満開だった。
お花見を兼ねた温泉街散策のあと、食事を楽しんで温泉でくつろいだ。
娘が寝たあと、別室で夫と明日の予定について話し合う。
川沿いの部屋は、窓から桜が見えた。ライトアップされて美しいことこのうえない。桜って昼と夜でどうしてああも印象が変わるんだろう。

目の前に浴衣姿の夫がいる。ふと、結婚してよかったなと思った。

「あなたの人生で最も幸運だったことは?」と問われたら、私は「夫と出会えたこと」と答えるだろう。そして「夫と結婚したこと」と続けるだろう。
最近は結婚しない選択をする方も多いし、自分たちの関係に名前を付ける必要はないと考える人もいる。それはそれでいいと思う。
でも、私はやはり結婚はいいものだと思う。

私は結婚によって大きな安心を得た。

結婚前、私は毎日が微かに不安だった。
大手銀行に勤めていて、経済的に自立していてもだ。
年齢的に誰もが考えることなのかもしれないが「自分はどうなるんだろう」という思いがぬぐい切れないでいた。
経済的自立は安心につながるというが、不思議なことに結婚して専業主婦になった今のほうが、私は安心して過ごせている。
経済的自立はあくまで物理的な安心であって、精神的な安心にはつながらないのかもしれない。

次に、母が静かになって得られた安心がある。

母は、父のむちゃくちゃな行動を何も言わず受け入れていたが、なぜか私には口うるさかったように思う。
例えば、私に恋人がいない状態をとても嫌がった。高校生になると「誰か凜ちゃんを好きって言ってくれないの?」と言うようになる。
せめて「好きな人はいないの?」なら、私もこれほど悲しく思わなかっただろう。
母のあの言葉は「女は男性に選ばれてこそ価値がある」と言われているようで気分が悪かったのだ。
彼氏がいれば、今度は「結婚できそう?」ときかれる。

結婚して家を出たとたん、母は何も言わなくなった。
あくまで私の想像だが、私の結婚が母の子育てのゴールだったんだと思う。そして母は早く子育てを終えたかったのだろう。そういう意味で、結婚で私は母と最良の形で離れられたと思っている。

もう一つは、もう他の男性と恋愛しなくていいという安心がある。

彼氏と別れたあと、私はいつも「もう恋愛しない」と誓っていた。
彼らと付き合ったことを後悔しているのではなく、出会いから告白されて付き合うまでの怒濤の流れや、初めてのデートやキスやらなんやら、誕生日やクリスマスなど様々なイベント――それらをまた別の人と全てやり直すのかと想像しただけでどっと疲れるのだ。もう一人でいたい。
でも、なぜか数か月後には誰かと付き合ってる。そして、別れて「もう恋愛しない」と誓う。すごろくでいう「振り出しに戻る」を繰り返すみたいだった。
こういう言い方はよくないかもしれないけれど、結婚して自分専用の永遠の男性がいるというのは、こうも安心するものなのかと驚いた。

最後に、一番大きな安心は、恋愛の次の関係にすすめたこと。

よく長く一緒にいると「もう恋愛感情はない」「またキュンキュンしたい~」という人がいるけど、恋愛の初期段階に飽き飽きしていた私は次の段階を男性に求めていた気がする。

例えば、私と夫が殴り合いのけんかになったら、私は必ず負けるだろう。
どうしたって腕力では男性である夫にはかなわない。でも私は夫と喧嘩をする。
それは夫が私を絶対に殴らないという確信があるからだ。
そんな確信を、私は夫に対していくつももっている。

最も大きなものは「夫は私と別れない」ということだ。
もし何かあって離れ離れになっても私たちはまた出会うだろうし、来世なんて信じちゃいないけど、もしそんなものがあれば私たちはまた夫婦になるだろうとも思っている。

根拠はない。なんとなく、そう思うだけだ。

そんなふうに思えるのは、あの出会ったころのドキドキがあり、紆余曲折があり、日々重ね続けた「愛している」という言葉があるからだと思う。
娘を一緒に育てながら互いに悩み励まし合い、そして娘が私たちの年齢になるころには、どのような社会であるかという期待と不安をともに抱き、少しでも住みやすい世であってほしいという共通の祈りがあるからだと思う。

私たちは二人で一緒に生きているという絆がある。

この絆が、私はずっと欲しかった。
長い人生だから、今後、誰かを愛したり誰かから愛されることもあるかもしれない。けれども、夫に対して抱く「私はこの人とは何があっても離れない」という確信は、もう誰とももてないと思う。

それは夫が私の運命の人だから、ではない。
この確信は、何百、何千という何気ない毎日の積み重ねがもたらした賜物であり、私たちが少しずつ長い時間をかけて丁寧に作り上げてきたものだと思っている。

必ずしも、結婚の手段をとる必要はないと思う。
でも、もしそんな私と夫に対して、誰かが「お二人のご関係は?」とたずねてきたら、私は「恋人」ではなく「夫婦」と答えたいのだ。