見出し画像

ヒーローはなぜ正体を隠すのか

あんたもガキンチョの頃に色んなヒーローモノの作品を楽しんでいたかい?

戦隊モノに仮面ライダー。ウルトラマンにキャシャーン。

ものすごい数のヒーローモノの作品が俺たちを楽しませてくれていたよな。

懐かしい思い出を振り返ってみる中でフト思うことがあった。

なんでみんな正体を隠してるんだ?

戦隊モノは必ず「変身」して戦っているし、仮面ライダーも「変身」して戦う。
仮面ライダーに至っては「変身」したとしても、仮面ライダーそのものを改造したのが敵の組織のショッカーだから敵に正体はバレバレだ。

今回はヒーローが「変身」する意味について考えてみる回だ。

ちっと、俺の思考散歩に付き合ってくれよな。

日本のヒーローがいつ「変身」を始めたのか

昔から日本のヒーローって「変身」するもんだったのか?

いわゆるヒーローモノってのの元祖ってなんだろう?って考えると月光仮面になると思うんだよな。

それ以前のヒーローって時代劇みたいな感じになるって思うんだよ。
ノラクロとかはヒーローってよりキャラクターモノだもんな。

で、その月光仮面はその名の通り仮面で正体を隠している。
ヒーローモノは最初から正体を隠していたわけだ。
というかヒーローは正体を隠すものって概念がより俺たちの感覚に近いのかもしれない。

正体を隠していない主人公はヒーローである前にヒトって感じがするもんな。

で、調べてみたら月光仮面が出てきたのは1950年らしい。

ちなみにアメリカのヒーローの元祖ってなると1934年のスーパーマンが元祖っぽい。

スーパーマンも仮面こそしていないけれど、やっぱり「変身」して戦っている。
きっちり顔を隠すタイプの元祖はキャプテン・アメリカらしい。
キャプテン・アメリカは1941年。

ヒーローが正体を隠すこととこの年代にはどういう関係があるんだろう?

正義の正体を隠す必要性

月光仮面とキャプテン・アメリカ。

このヒーローたちはなぜ正体を隠さなければならなかったのか?

思うに、戦争が影響している気がするんだよね。

第二次世界大戦は1941年~1945年。

キャプテン・アメリカは第二次世界大戦と同時期に生まれているんだ。

これが意味することは何なのか?

こっからは完全に俺の妄想なんだけれど、戦争の大義名分を与える必要があったからなんじゃないかな。

戦争ってのは国が個人に殺人を命令する状態だ。
普段は殺人は最も罪深いことだとして生活しているのに、その最も罪深いことを国が求める状態。

ここにはたまらない矛盾がある。
その矛盾を乗り越えさせるために「正義」というものが用意される必要がある。

相手の国は「正義」に反しているからやっつけなければならないって構造だ。

「正義」をヒトに信じさせるために必要なもの。それがヒーローという物語だったんじゃないかってことだ。

いみじくもキャプテン・アメリカの名前にはアメリカという国の名前が冠されている。
敵も戦中は枢軸国だ。

まさに戦争を肯定的に捉えさせる存在としてキャプテン・アメリカはいたってことだと感じられるよな。

そして、戦後。

日本にはアメリカの文化が怒涛のように押し寄せてくる。

様々な文化の中の一つにヒーローモノが含まれていたんだと思うんだよな。

そしてその結果として生まれたもの。

それが月光仮面だったんだと思うんだ。

正義は悪を倒すもの。
でもその正義は暴力という悪をはらむもの。
それ故にヒーローは自らを隠して「変身」しないといけない。

そんな歪みが見えてくる気がしないか?

ヒーローというシンボルによって戦争の「正義」は受け入れられた。
そう考えると、今も脈々と生み出され続けているヒーローモノの作品が歪みの向こう側にあり続けているってことになる。

これって結構ショッキングじゃないか?

俺たちはガキンチョの頃からその「正義」を見て育っている。
俺らの中には「戦争の正義」って歪みが埋め込まれている。

なあ、あんたはどう思う?

この歴史の歪みかもしれない「正義」を俺たちはどう扱っていけば良いんだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?