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書店が減る意味

あんたの街には書店って残っているかい?

俺のところにはかろうじて残っているけれど、駅前に書店があるってのが常識ではなくなってしまっているよな。

そんな感覚を持っていたところに、こんな記事を見つけたんだ。

この記事によると全国1741市区町村のうち、「街の本屋さん」がまったくない自治体は456(26.2%)なんだと。

いやぁ、俺たちがガキンチョの頃はさ駅前どころか商店街の中にも普通に個人経営の書店があったわけよ。

それこそ、はたきで立ち読みするガキンチョどもを追い払う感じの書店がね。

それがいまやどうだい。
大手チェーンの書店ですらどんどこ無くなっていっている。

古本屋ですら、あんまし見かけなくなってるよな。
近所のbookoffも古本単体では営業が成り立たないのか、中古のゲームとか古着とかを合わせて販売しているんだよな。
古本単体で商売している個人商店あんまり見ないよな。
俺の個人的記憶では30年前くらいに見た感じだな。

今回は書店って商売の存在が俺たちに与えてきた影響ってのを考える回だ。

俺たちが書店から得てきたものを整理しておこうぜ。


今の俺たちの読書スタイル

まずだよ。

俺たちの家を眺めるわけだ。
実に狭い。
いや、俺の家だけかもしらんが、本質的に日本にはそれほど土地がないので、基本的にでかい家はたてられない。

賃貸でもそんな巨大なものを借りるニーズもなければ、それを作るリスクも
おかせない。

本質的にそんな状況にあるなかで「本を所持し続ける」ってのはリスクなんだよな。
だって場所をとり続けるってことだもんよ。

本に限らず、何かを物理的に所持するってのは実にでかいリスクなわけだ。

電子書籍という読書スタイル

そんな状況のなかで「本を買う」というリスクを解放してくれる仕組みができた。
電子書籍だ。

電子書籍ってのは、場所を取らない。
なんなら、俺たちのデバイスのメモリも消費しないやつもある。

その代わり、俺たちは本を「所有する」って達成感を手放すことになるんだけれどね。

電子書籍はあくまで「読む権利」を買っているだけだ。
ぶっちゃけ、その電子書籍を配信している会社(出版している会社じゃない)が倒産したら、あっつー間に読むことが出来なくなるわけだ。

本を所有したいという欲求

それでもだ。
俺たちの住んでいる場所を恒久的に占有させる本って存在は所有するのに限界があるってのは揺るがしがたい現実なわけだ。

いやね?
俺たちが「持っておきたい」って思う本ってあると思うんだよ。

俺だったらエルリックサーガの単行本とかさ。

何?知らない?
よーしそこに座れ。
#めんどくさいオッサンパターン

書店という欲求を満たす店舗

まあ、エルリックサーガはおいておくとしてだ。

書店って小売店っては俺たちにとってどんな存在なんだろう?

いや、ぶっちゃけね。
俺も基本は電子書籍をベースに読んでるわけよ。

オッサンともなると紙の書籍はちっこくて読みづらいとかも出てくるしね。

それでも書店ってのが持っている魅力ってのはあると思うわけよ。
あんたも何か感じることってないかい?

紙の手触りだとか、ページをめくる音だとか、本そのものが持っている魅力もあるだろう。

ただ、それ以上にだよ。
そこに集うヒトの息づかいみたいなものってないか?

ああ、今この作品をこんな眼差しで見るヒトがいるんだ。
ああ、この絵本をおねだりしているんだね。
ああ、あの話題作を抱えてレジ待ちしてるんだ。

なんかさ。
そう言うヒトの息づかいみたいなものって書店に常にある気がしないか?

言い換えるとさ、本って誰かの人生を何らかの形で表現したものじゃんか。

書店って場所は、そんな人生を交換する場所だって感覚があるんだよな。

もちろん電子書籍でも人生の表現を受け取れることが出来る。
ただ、書店ではその受け取っているヒトが目の前で確実に生きていて、これからその誰かの人生の一部を受け止めるって感じることが出来る場所だと思うんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

そんな思いを受け止める場所である書店は今も減り続けていることにどんな感情を持つ?

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