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物語が語る守る大人

あんたは年齢を重ねると言う表現をしている物語を眺めているかい?

昔は全く年齢が進んでいかない物語も結構あったけれど、最近だとまあまあ年齢が重ねられていくことによってキャラクターが変化していく様子を描いている物語も多いと思うんだよ。

スラムダンクみたいに、ものすごく短い期間を描いているケースもあるから、年齢と言う表現が必ずしも物語に求められているわけじゃないんだけれど、年齢が表現出来ることもあると思うんだよな。

今回は物語における年齢の表現について考えてみる回だ。

ちっと物語を通じて俺たちが年齢を重ねる意味みたいなもんを考えてみようぜ。


少年期から壮年期までを描いた物語

年齢を重ねる物語。
やっぱ代表格はドラゴンボールだよな。

少年期から青年期を経て中年期、壮年期まで描かれていると思うんだ。

まあ、青年期以降は肉体的な衰えがほぼないサイヤ人と言う特殊な人種の話ではあるんだけれどさ。

それでもピッコロとの天下一武道会での戦いの頃と、人造人間編の頃の悟空を見比べてみると、人格の変化があるように思わないか?

天下一武道会と言う特殊な状況もあったけれど、あのときの悟空って純粋に「勝つ」ことだけを目指していたと思う。
対して、人造人間編あたりの悟空は誰かを「救う」ことを目指していたように思う。
もちろん「勝つ」ことへの純粋な思いと言うのは抱えながらだけれどね。

言い換えるなら悟空は「武闘家」から「ヒーロー」になったんだよな。

最終回あたりになると、もはや「ヒーロー」でもなくて「指導者」になっているように見える。

基本に「悟空」というキャラクター性をおいておいて、その微妙な変化を描いたというのは実にすごいと素直に思うんだよな。

衰えていく物語

孫悟空は年を経ても衰えない存在として描き続かれていた。

もしかしたら鳥山明さんの死にたいする抗いを象徴していたのかもしれない。

そして考えてみる。
俺たちが味わった物語の中でさ。
「衰え続ける」ことを表現した物語っていって何が思い付く?

あしたのジョーとかは、ある時点からパンチドランカーであることが認識されて、最後には負けて終わる物語だ。

でも、「衰え続ける」ことを描いた物語じゃない。
衰えた結果、命をもやしつくすという物語だ。

衰え続けることを描いているというと葬送のフリーレンがあげられるかもしれないけれど、あれは衰えた結果だけを描いているんだよな。
その過程を描いているとは言いがたい。

そう考えると、衰える物語というのを俺たちはあんまり味わっていないのかもしれない。

衰える意味

なんとなく思うにだ。

俺たちが衰えていくことにはどんな意味があるのかなんて疑問が出てくるわけだ。

衰えるまでもなく、そのままいなくなっちまえば良かろうって話になるじゃん。

たぶん。
たぶんだよ?

俺たちが衰えるってのはさ。
「守る」という経験を次の世代に渡すために必要なんじゃないか?

俺たちは生まれたときから誰かに守られて育てられてきた。
そして、誰かを育て守る立場になり、そして衰えて守られる存在に戻る。

俺たちは子どもたちに守るという意味を伝えるために衰えている。
そんな風に考えてみたんだ。

いや、自分が衰えているということを受け入れちゃダメだと思うよ。
「まだだ。まだ終わらんよ」と言い続ける。
その事には別の意味があると思う。

その上でだ。
俺たちは現実的にいつか命が尽きる。
守れなくなるんだ。

だったらさ。
「守る」という意味を子どもたちに伝えることは意味があることだと思うんだよな。

もちろん、子どもたちはどう受けとるかなんてことはわからない。
俺たちの思うように思ってくれるわけじゃないのは普通だ。

でもさ。
「守る」ことを考えるってことを伝えるだけでも、それはデッカイ意味があるように思うんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちの存在ってのをどう使って幸せな世界ってのを紡いでいけば良いんだろうな?

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