贔屓にしたい食堂小説

「キッチン常夜灯」長月天音

日本の大衆小説に「食堂小説」というジャンルがある。
小説に限らず、映画やテレビドラマ、漫画においてもそうなのだが、飲食店を舞台にしながら、そこをめぐる人間模様を描くものだ。
その嚆矢となったのは、少年ジャンプに連載された「包丁人味平」だと思うのだが、それに連なる「美味しんぼ」や「ミスター味っ子」といった「料理人漫画」では料理あるいは料理人が主役であり、食堂やレストランが主役というわけではない。

古くは「肝っ玉母さん」の蕎麦店「大正庵」や、「渡る世間は鬼ばかり」の日本料理店「おかくら」、中華料理「幸楽」などでも飲食店は重要な舞台装置とはなっているが、あくまでそれはサイドディッシュでありメインではない。

フレンチレストラン「ベル・エキップ」を舞台にしたフジテレビのドラマ「王様のレストラン」あたりから、レストラン乃至飲食店そのもが中心に据えられたエンタテインメントがポジションを確立していったように思う。

飲食店をめぐる四つの要素「料理人」「料理」「経営者(オーナー)」、そして「客」が織りなすドラマがストーリーの主軸をなし、「店」そのものが看板役者となる小説、それが「食堂小説」だ。

「キッチン常夜灯」は、東京都心の片隅で、夜9時から朝の7時まで営業するビストロが舞台となっている。
「『深夜食堂』の設定じゃないの?」という向きもあろう。多分ヒントにはなっているだろうが、繁華街(新宿ゴールデン街)にある「めしや」とは立地すなわち客層が異なる。
フランスやスペイン(バスク)での修行経験を持つ腕の良いシェフと、心地よい接客で店を切り盛りする女性のギャルソン兼ソムリエ。
だが物語の主演は、店員たちではなく、ある出来事がきっかけでその店に通うようになったファミリーレストランの女性店長・南雲みもざ。飲食チェーン店の社員として悪戦苦闘する日々のなか、「キッチン常夜灯」は救いと気づきの場となっていく。

作者の長月天音さんは、自らも長く飲食店に勤め、また夫が若くしてガンと闘病し命を落としたという経歴を持つ。

彼女自身の経験も色濃く反映されながら、誰もが夢見る、見果てぬ夢としての理想のレストランが読者を迎えてくれる、そんな小説だ。

歴史小説ほど冗長ではなく、ミステリ小説ほど殺伐とせず、そして恋愛小説とは異なるときめきをもたらしてくれるだろう。青春のひとつ先にある成長譚に共感、あるいは懐かしさを感じるに違いない。

旅行のお供に、通勤電車の中で、散歩の途中に立ち寄るカフェで気楽に、章ごと楽しめる、そんなお薦めの一冊であることを受けあおう。

贔屓にしたい「食堂小説」に巡り合えた。

角川文庫。税込み814円


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