「結婚って何なんだろう?」
この話は私たちの障がいの有無に関わらず、誰かは思ったことがある話になるかもしれない。
恋愛が絶えないらしいが、私と同じ認定を受けている発達障がいの友だちと話すことなんだけれど、
「結婚って何なんだろう?」
罰当たりにも『今のご時世もあるし、結婚することに制約を感じる』というところで2人は一致する。
お互いにもう30代を過ぎて久しいけれど。
「結婚したいと思う?」
「duckと?(笑)」
「いやいや(笑)」
「そーねー、んー・・・結婚はしてみたいけど、家は別々が良いかな。子どもは欲しいけど・・・。」
「あー、何かわかるかも。仲良くてもいつも一緒だと息詰まりそうだしねー。」
「そうそう。付き合ってるとしても、同棲までが良いかな。」
「うーん、
「「結婚って何なんだろう?」」
「今はネットもあるし、下手するとそういうとこにも残るしね。」
「その影響力も考えると、芸能人って大変だねー。」
「そーねー、芸能人じゃなくて良かった。」
「・・・いやいや、そもそも(芸能人に)なるの難しくない?」
余談になるけれど、
友だちはとあるボールを蹴るスポーツ競技で『(世界)大会が近くなる度に、国の代表選手として招集の声がかかるのだけれど、「若い後身に譲りたい」と伝えて断り続けている』と後に私に語る。
事の真偽は私には不明のままだ。真実は誰にもわからないのだから。
ただ、今のところ私たち2人に障がいはあれど、他の疾患などの認定は出ていない。
私がTVで大会を見ていた頃は、例えばサッカーではW杯に出られるかどうか、というラインが感動のポイントだった。
その過渡期を見ていた私も、W杯の常連国となった今や、それ以上の結果を出すだろう、と思うことが当たり前のようになってしまった。代表選手の名前を把握しなくなったけれど、いつか優勝争いを見られたら良いな、と密かに思っている。
余談はここまでとして、恐らくこんな会話をしている私たちは将来結婚出来ない可能性が高いだろうと思う。
恋愛が絶えない友だちの方はわからないけれど、本人が言うには良いところ止まりでも割と満足らしい。
自分としては幸せになりたい一方で、恋愛や結婚に欲求はあっても、結婚には億劫になる。
現時点では恋愛以上、結婚未満の関係性をベストだと考える。
子どもは好きだけれど、家庭の経験から、次の不幸を感じさせたくないこともある。
結婚はゴールではないらしい。それでも、結婚の失敗は1度もする訳にはいかないと思ってしまう。
自分には幸せなものを残したい一方で、誰をその主軸にすれば良いのかが分からない問題も先々に見える。
子どもなのか、パートナーなのか、自分なのか。
いつまでも華やかな(?)自己実現から卒業したがらない親が、『自分の』子どもの最前線に居座って介入し、自覚なく子どもの壁になっているように他人には映る家庭もある。
私にはなかなか馴染めないけれど、自己の人生を明快なポジティヴさ一択で充実させる指向性の強さ、それをその人の魅力とする価値観の主張を社会から感じている。
その主張の渦中にあって、自身が持つ指向性の価値観との板挟みにあって、苦しんでいる人もいるのではないかと思っている。
私には今の時世で結婚=幸せだとは考えづらい。
それを踏まえると、ニュースで少子化や虐待といった問題の対策を見ると疑問が出る。
根本的に解決するのに必要な要素にはマニュアルが無い訳で、そこに躓く人が少なくない。私もその1人だ。
ただ、道順はあるらしい。
それはいたわる対象へのチャネルを
自分 → 他者
と切り替えることだとか。
結婚はその先にある出来事の1つなのかもしれない。
私は1人で過ごす機会が増えるほど、他者への感性が無くなっていくことを感じる。
一方で、身近な他者との関わりで疲れてしまうこともある。
その意味で同棲の距離感が良いのでは、と考えるのだ。
子どもと暮らさないこと、
今では私にはそれが自己実現を優先させる大人だとは言い切ることは出来ないけれど、良いとも思えない。
「結婚って何なんだろう?」
私は好きな人にポジティヴなものを感じていられれば良いのだと考えている。それがお互いであればベストだ。
『・・・結婚はなくても良いのでは?』
そんなことを友だちと話すたびに思う。
口には余りしないけれど。
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