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食通の街、ニューヨークも80年代はたった1種類のビールしかなかった!? 『ビールでブルックリンを変えた男 ブルックリン・ブルワリー起業物語』から「はじめに」を前文公開!

 いまではマンハッタンと同じくらい有名な観光地となったブルックリン。個性的な飲食店やホテルがオープンし、地域に根差したアートや音楽インベント、フードマーケットも盛んだ。2000年代以降は、ポートランドなどに代表されるように、全米各地に広がったが、その先駆けともいる地区だ(全米のこうしたムーブメントについては、本書に推薦コメントを寄稿くださった佐久間裕美子さんの『ヒップな生活革命』などに詳しい。本書の英語タイトルは、まさに「THE BEER MAKES BROOKLYN HIP」である) 。

 本書を読むと、倉庫や工場といった産業遺産をセンスよくリノベーションしたり、大量生産・大量消費という近代的な価値観から、それ以前の職人的(クラフト)な価値観を全面に打ち出すといった、その後のサードウェイブコーヒーなどにもつながる試みを、著者がビール醸造所を通じて実践していたことがわかる。

 趣味の自家製ビールづくりから起業、そして、街の発展へと広がっていく著者の歩みを、日本の読者に向けて書き下ろしてくれたのが本書である。
 期せずも本書の制作途中に、NYは新型ウィルスの猛威にさらされることになった。自宅にこもって本書を書き上げてくれたスティーブに感謝するとともに、早くみんなで乾杯できることを願って、「はじめに」を全文公開いたします。

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ブルックリン・ブルワリーのテイスティング・ルームの外観。壁には「わたしを病から、ビールが解き放ってくれた」の古代エジプトの碑文が書かれている。

はじめに 荒廃した街が起業で復興した 

 ニューヨークは「食通」の街。革新的で多彩なレストラン、変化に富んだ豊かなワインリスト、クリエイティブなバーテンダーは街の誇りだ。しかし1980年代までは、ビールといえば、ライトなラガーと決まっていた。ビールを注文するときに期待されるのは、なにか軽くて泡立っているもの。バドワイザー、クアーズ、ミラーも味の違いがよくわからなかった。

 トム・ポッターとぼくが1987年に小さなブルワリーを立ち上げたときに決意したのは、ビジネスとして成功するだけでなく、ビール愛好家たちのビールに対する意識を変えることだった。そんな考えを抱いていたのが自分たちだけではないとは、当時は知る由もなかったが、じつはリッチで濃いラガービールと、ホップの苦みとアロマにあふれアルコール度数の高いペールエールをつくる小さな醸造所が、アメリカ全土で生まれていた。そのどれもが、すばらしいビールをつくろうと、ビアスタイルの多様性を探求することに専念していたのだ。このムーブメントは、のちに「クラフトビール革命」として知られるようになる。
 アメリカのビール消費量が減少しはじめたのは、ちょうどこのころのことだ。しかし、ビールの豊かな文化史に根ざした味わい深いクラフトビールの消費は、逆に増えはじめていた。

 1990年、ブルックリンのウィリアムズバーグ地区に放置されていたヘクラ鉄工所の倉庫を借りたとき、その周囲には廃墟と化した工業ビルしかなかった。区の犯罪率はかつてないほど高まり、ニューヨーカーたちはこの地に足を踏み入れることすら恐れた。そんなブルックリン地区のルネッサンスの火付け役となったのが、ぼくらのブルックリン・ブルワリーなのだ。
 それから30年が経ち、ウィリアムズバーグは、ニューヨークでもっとも人気のあるナイトライフ・スポットのひとつとなっている。
 ブルックリンには、ぼくらのあとに続く起業家も登場した。
 たとえば、2007年にオープンしたマストブラザーズ・チョコレート。そして2009年には、ブルックリン・ブルワリーの元営業部長ジム・マンソンが、人気のコーヒー製造会社、ブルックリン・ロースティング・カンパニーをオープンした。醸造所の向かいにはワイスホテルがオープン。それからすぐに、5軒のホテルが新たに登場した。
 ぼくらはみな、ビールやコーヒーといった日常的な飲みものの伝統的製法を復活させ、活気ある食文化への貢献に尽力している。

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 ブルックリン・ブルワリー初のフラッグシップ・ショップである「B(ビー)」も同様の考え方で、東京の日本橋兜町にある築約100年のビルをリノベーションした場所にオープンした。
 ブルックリン・ブルワリーは、単なるビール工場ではない。サービスを提供するコミュニティを豊かにすることに専念してきた創造的企業なのだ。
 ぼくらがどうやって成功したのか? そこには、5つの重要な要素があると思う。

① 伝統的なクラフトマンシップにこだわる。
② 美しいパッケージのおいしいビールをつくる。
③ 広告費をかけるのではなく、顧客を啓蒙する。
④ 自分たちでビールを流通させることで、顧客から情報を得る。
⑤コミュニティに貢献する。


 本書では、トムとぼくがどのようにしてビジネスを成功させたのかを解説したい。
 ブルックリン・ブルワリーを立ち上げる以前、ぼくは戦場ジャーナリストだった。AP通信社から派遣されて中東で働いていたとき、サウジアラビアなどの酒類が禁止されている国で駐在員として働きながら、自宅でビールをつくるアメリカ人たちに出会った。そしてぼくは、大量生産で無味乾燥なアメリカのビールでは満足できなくなった。焙煎した大麦の豊かな風味と、世界各国のホップのすばらしい香りに魅了されたからだ。
 ニューヨークに戻ってからは、自宅でビールをつくりはじめた。ビール愛好家たちにも出会い、ビール界の豊かな歴史も学ぶようになった。アメリカのビール文化を築いたのはヨーロッパ移民だ。かつては、ライトラガー、ダークラガー、リッチでホップのきいたペールエール、ウィートビール、スタウト、ポーター、ボックなど、ビアスタイルは多様だった。しかしその多くは、20世紀に入ってから、国内の大手ビール会社が大量輸送と大量広告を駆使し、大衆にアピールする全国的ブランドを生み出したために消えてしまっ
た。
 ブルックリン・ブルワリーは、そんな古い伝統を復活させ、ビール愛好家たちに、おいしい料理とビールの新しい組み合わせを紹介することにも力を入れてきた。
 これまでに無数のビールを開発したが、約25種類の新しいビールを毎年生み出し続けている。カリスマ・ブリューマスター(醸造長)のギャレット・オリバーは、世界中を旅して美食を体験し、地元の食文化からインスパイアされた新しいビールをつくりだしている。オリバーは、ビールと料理のペアリング・ガイドである『The Brewmasterʼs Table 』と、史上初のビール百科事典である『The Oxford Companion to Beer 』の著者でもある。

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ギャレット・オリバー。醸造職人でもあり美しいビールを追求するアーティストでもある。傑作「ブルックリン・ブラック・チョコレートスタウト」などを創り出した。


 会社の立ち上げ時、ぼくらには資金も経営の経験もなかった。しかし、「I♥NY」ロゴの生みの親である有名グラフィック・デザイナーのミルトン・グレイザーを説得してチームに参加させ、ブルックリン・ブルワリーのロゴとアイデンティティを制作してもらった。 会社の立ち上げ時、ぼくらには資金も経営の経験もなかった。しかし、「I♥NY」ロゴの生みの親である有名グラフィック・デザイナーのミルトン・グレイザーを説得してチームに参加させ、ブルックリン・ブルワリーのロゴとアイデンティティを制作してもらった。 

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ミルトン・グレイザーによるロゴ下絵。「I♥NY」は70年代にニューヨークを一大観光地にすることに貢献し、たくさんのお土産グッズに使用され世界中に広まったが、90年代を通じてミルトンはブルックリン・ブルワリーのパートナーとして、ビールとブルックリンに伝統に根ざしつつも新しい価値観を付加してきた。このロゴもドイツビールのラベルがベースとなっている。

 また、ぼくはジャーナリストとしてのスキルを活かし、ニューヨークのビール醸造史について語り、ブルックリン・ブルワリーがどのようにその歴史につながっているのかを紹介した。ジャーナリストたちは、ビールのこの新しい見方を受け入れてくれた。そして、製造業を立ち上げるのが極めて難しいニューヨークにおける、ぼくらのクレイジーな起業の旅も評価してくれたのだ。 


 ブルワリーは、ニューヨークで奮闘中のロック、ジャズ、ワールドミュージックのバンドや、アーティスト、アートギャラリーなども支援した。ニューヨークの偉大なシェフたちとともにビールのペアリング・ディナーも開催し、ビールの歴史と多様性について、顧客を啓蒙する努力もつねに続けてきた。 ブルワリーは、ニューヨークで奮闘中のロック、ジャズ、ワールドミュージックのバンドや、アーティスト、アートギャラリーなども支援した。ニューヨークの偉大なシェフたちとともにビールのペアリング・ディナーも開催し、ビールの歴史と多様性について、顧客を啓蒙する努力もつねに続けてきた。 ビジネスを成功させるだけでなく、ブルワリーを、ニューヨーク文化の重要な立役者にすることも目指したのだ。
 現在、クラフトビールの生産量は全米ビール市場の15%以上を占めるようになり、売上高としては25%以上を占める。全米の何千もの小規模ビール会社とともに、ぼくらはビール史の流れを変えてきた。
 ビールは安価な贅沢品だ。ブルックリン・ブルワリーは世界中でビールの味わい方を豊かにし、ブルワリーがいかに街とコミュニティを刺激し、文化を発展させられるのかを示してきた。 

 ぼくらの物語とビールを、ぜひ楽しんでほしい!

※転載にあたり、他ページから図版を追加し、改行などの体裁を変更しています。

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写真提供:Brooklyn Brewery、ブルックリンブルワリー・ジャパン


ビールでブルックリンを変えた男

ビールでブルックリンを変えた男
ブルックリン・ブルワリー起業物語

スティーブ・ヒンディ 著 和田侑子(ferment books) 訳

<目次>
はじめに 荒廃した街が起業で復興した
1章 みんなホームブルーイングからはじまった
2章 流通はマーケティングである
3章 ビールをワイン好きのニューヨーカーに広めるには?
4章 ローカルとグローバルは矛盾しない 

コラム
街の歴史に根ざしたレシピ
ビール業界に起きた革命
クラフト革命には政治とロビー活動が必要だ!
ブルックリン・ブルワリー事業計画の概要

折り込み特典
THE Beer Book FOR READERS~ビールの自由さと多様性を伝えるためのミニミニブック

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スティーブ・ヒンディ
元ジャーナリストで、ブルックリン・ブルワリー共同創業者。
AP通信時代の中東特派員を経て、86年、ブルックリン・ブルワリーを創業。今日の米クラフトビール市場をリードするクラフト・ブルワリーが誕生した。ワイン好きのニューヨーカーにさまざまな種類のクラフトビールの愉しみ方を広め、ブルックリン・ブルワリーは現在、ニューヨークの観光名所となり、醸造所のあるブルックリン(ウィリアムズバーグ)界隈も活気を取り戻した。Twitter and Instagram @SteveKHindy
和田侑子(ferment books)
翻訳家。マイクロ出版社/編集ユニットferment booksを運営。
『クラフトビール革命』『マリメッコのすべて』(DU BOOKS)、『サンダー・キャッツの発酵教室』(ferment books)、『おいしいセルビー』『バンクシー ビジュアルアーカイブ』(グラフィック社)、『Web料理通信』などの翻訳を担当。ferment booksとしての編著書に『発酵はおいしい!』(パイ インターナショナル)がある。Twitter and Instagram @fermentbooks


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