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文字におこすと失われてしまうもの


今日は12月
4月に社会人になってからすでに8ヶ月が経過しようとしている
これまでの一年間に比べて
記憶と思い出総量が
少しばかり多く紡がれている

振り返りの習慣の力なのか

それとも
ただ、心に残る瞬間が相対的に多かっただけなのか

それとも
心が敏感になっているのか

今日は土曜日
1週間で一番時間がゆっくり流れている瞬間
いつもと同じスターバックスのコーヒーを飲んでるはずなのに
ほんのちょっぴり苦さを舌が感じている

ふとノートを書きながら前を見れば
どんよりとした曇り空が
世界を覆い尽くしていて、
今日の自分を構成する1ピースになっている


先週の日曜日
コーチエイのセミナーに参加して
「パーソナルファンデーション」について考えた

なにか不安定な環境に身を投じる時、
土台の部分から不安定にする必要はなくて、
むしろ土台の部分を意識的に構築できることで
継続的な力の放出が可能になる


ぼくのファンデーションは身体的・精神的に自分と向き合う時間が取れること。
エクササイズ・ボルダリングは僕を構成する大切な要素の一部であって
あの時間があることで、ぼくはぼくを見失わずにいられる

あとは音楽、
音楽は聴覚的に身体のリズムを整えてくれる、大切な要素の1つ

仕事の時間は視覚的にロジカルな時間が多い
時間が多くなると、自分自身が硬いなにかになってしまったように錯覚して
どこか居心地の悪さを感じてしまう

柔らかい何かでありたい

きっと僕は自分が何者で、何で喜んで、何が好きなのか
そんなことをもっともっと知りたくて

知らないことを体験して、また自分を構成する1ピースにしていくことに
生きていく上での喜びを見出しているのかも


理想と現実のギャップを埋めて、また理想を描いて今とのギャップを埋めて
どこまでいっても終わりはなくて

その道中を心底楽しみたいんだ

文字にすることは、文字にできない部分を失ってしまうことに繋がる
けど文字にすることで、僕の外にでた僕の一部をもう一度僕の中にしまい込む

何が大切だったのか、タンスの中のお気に入りの服を取り出して一番上にのせておくように


論理で構築できるのは現時点で自分が論理を繋げられるものだけで、
その過程で多くの情報と可能性を削ぎ落としていることは忘れない。




また今日も、何かを捨てて、何かを選んで生きている

僕は何を選んでいるんだろう



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