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令和版男の育児録

 令和版男の育児録と銘打って筆を取ってみたものの、そもそも平成版、昭和版の男の育児録というものは存在しないのではないだろうか。
 最近でこそ、一部の上場企業が男性社員の育児休暇取得率を公表し始めているが、男性の育児休暇取得が一般的になったのはここ数年の話である。
 事実、平成や昭和の時代に男性が数ヶ月に及ぶ育児休暇を取って、育児に専念したという話は杳として聞かない。明治ともなると、伊集院静氏の「琥珀の夢」に、鳥井信治郎が生まれたての息子を一目見て、「後は任せた」と言い残して外出する場面が描かれているが、男性が育児をするということは考えられなかった時代であろう。
 中には献身的な育児をされた男性もおられるかもしれないが、それを記録し、広く読まれる文章として残っているものはないと思う。特にひと昔前の名文家などは破天荒な生活を送っている面々なので、例えば吉行淳之介氏や檀一雄氏のエッセイなどを読んでみても、新生児期、乳児期の育児について語ったものは一編もないはずである。
 では女性が書いた育児録はあるのか。これは一つ名著があって、川上未映子氏の「きみは赤ちゃん」を第一に挙げたい。彼女が妊娠、出産を経て、子育てに邁進する姿が洒脱な文章で描かれているのだが、特に夫あべちゃんとの喧嘩は読み応えがあって、「あべちゃん、頑張って夜のミルクをあげて、料理もしよう!」などと勝手に応援しながら楽しませてもらった。

 僕は出産直後の妻に付き添って、産後ケア施設で過ごしていた間にこの本を手に取ったのだが、思えば男性が書いた育児録はまだなく、川上未映子氏の驥尾に付すれば、僕の駄文にも興味をもってくれる人がいるのではないかという淡い期待もあって、右筆の身でないながらも筆を取った次第である。

 そしてこの育児録を書くもう一つの理由として、外界へ向けた声高な発信ではなく、内なる備忘録としての意味合いが強いということも断っておきたい。
 周りの育児経験者に、初期の育児の思い出を聞いてみると、意外と「色々あったけれど、具体的にはあまり覚えてない」という答えが多い。幸せを感じることも多いが、同等かそれ以上に辛いことも多い育児なので、健忘による自己防衛が働いているのかもしれないが、多大な労力と愛情を注いだ時期を靄がかかったようにしか記憶できないのは少し悲しい気がするのである。
 また出産後多くの助産師さんに会う機会があって、皆さん口を揃えて「二人で数ヶ月にわたって育児に専念できることは非常に幸せなことです」と温かい声をかけて下さる。諸先輩方の言葉が真実なのであれば、色褪せないうちに、我が子と過ごした時間を、ときに生じる葛藤を、そして幸せを感じた瞬間を残しておきたいと思うのである。
 このNoteの連載は、自分が将来読み返したいことを自分のために書くものである。

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