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母子同室は正義か

 出産翌日の午後、ポンが病室に戻ってきて母子同室が始まった。ポンは産まれてから半日くらい何も口にしていない状態だったが、無事に生きていて穏やかに眠っていた。時折目を開けることがあるが、焦点はまだ合っていない。体は細く、柳の葉のように風が吹いただけでヒラヒラしそうだが、心臓は脈打ち、呼吸は確かで、力強い生命力を感じる。同じ部屋で過ごしていると、愛おしさを感じる一方、抱っこをしても互いにまだ頼りない感じがあり、不安と疲労が首をもたげてくるといった塩梅であった。

 お世話になった病院は母乳保育に加えて、昼夜を問わず母子同室を推奨していた。病院によって程度に差があるので詳しく述べておくと、僕たちの病院はこれらを「強く」推奨していた。具体的には、妊娠中の母親学級で母乳育児と母子同室の大切さについて説明があり、後日パパママ学級でも入院中の母親の生活リズムについて記録用紙を見せながらの説明があった。
 0時に母乳、3時に母乳、6時に母乳、9時に母乳。その合間にうんちやおしっこの記録。そしてそれが5日間に渡って記載されている。この記録を書いた母親がほとんど寝ていないことは明白だった。僕たち夫婦は顔を見合わせて、これは壮絶だなという表情をしていたと思うが、周りの夫婦は医療提供者の指示に従います、と言わんばかりに点頭していた。
 育児記録をみて恐れを感じた僕たちは同院での出産経験がある人に内情を聞いてみた。するとだいたい3日目には産後の疲労の上に、睡眠不足と乳首の痛みも重なり、限界を迎えるとのことであった。限界に達した者がその窮状を涙ながらに訴えて初めて、新生児室で次の授乳までの数時間子供を預かってくれるとのことであった。

 これを知ってから、僕たちは何度か産後の育児の流れについて話し合った。まず妻の言い分としては「私にとって一番大事なものは睡眠である、産後は体力の回復に集中するので、できるだけ負担をかけて欲しくない」というものであった。僕の意見は「まずは心身の健康が第一であり、その方針を尊重する」というものであった。
 そこでまず妻はバースプランの中に、産後は睡眠確保のためできるだけ子供を預かってほしい、夜は眠りたいので新生児室でミルクをあげてほしい、体力の回復に努めるので育児に関する指導は夫にしてほしい、としっかりと書いた。助産師外来でバースプランを提出し、病棟にも周知をお願いした。僕たち夫婦は病院の大方針に少なからず抵抗することを試みたのである。(母乳保育や母子同室の効果、そしてそれらが推奨されるエビデンスは理解した上で)

 病棟の看護師さん、助産師さんたちもバースプランを読んで理解してくれていたようで、初日の夜は快く預かってくれた。2日目は夜間の母子同室はどうしますかと聞かれたので、「会陰切開の跡が痛んで眠れなかったので本日もお願いします」と答えた。
 3日目には少し怖い顔で夜間の母子同室を一度はしてみませんかと言われたので、「今晩は昨日より3時間だけ伸ばして午前3時まで頑張ってみます!(笑顔)」と返答した。4日目にはこちらも観念して午前6時まで同室することにした。
 そして5日目は「明日産後ケア施設への移動もあるので夜間はお願いします」と申し出て、承諾していただいた。我が家はこのようにして初めの5日間を過ごし、妻は院内の庭園をスタスタ散歩できるくらいまで回復して、次の目的地である産後ケア施設へ向かって移動することとなった。

 母乳保育や母子同室をどの程度までするかに関しては、施設によっても家族によっても異なるところであろう。僕たちは体の負担をできる限り少なくし、心身の健康を保つことを第一義とすると決めていたので、夜間に子供を預けることに関してなんら葛藤もなかったが、人によってはまだか弱い新生児をこちらが疲れているという理由で預けることに罪悪感を感じることもあるかもしれない。
 エビデンスや学会の推奨に基づき、多少無理をしてでも頑張るべきという意見もあれば、過剰な負荷をかけて抑鬱状態になってしまっては元も子もないという意見もあり、一概に正しい考えはない。
 実際、病院は母乳保育による児の免疫獲得と母子同室による愛着形成を正義としていたが、産後ケア施設は母親の休息と体力の回復を正義としており、所変われば正義も変化するのである。
 育児の仕方は周りの環境や個人の性格によっても変わってくるものなので、医療者や家族と話し合う機会を持ちながら方針を決めていくことをお勧めしたい。そして一般の人は医療者に意見を言えず、萎縮してしまいがちだが、自分の出産に関する希望や意見は明確に伝えて良いと思う。今回僕たちは夫婦のみならず、医療従事者とも密にコミュニケーションをとって納得のいく選択ができたと思っている。

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