街風 episode.20 〜GOOD NIGHT、GOOD BYE〜
「本当にこれで良かったのか?」
「ああ、付き合ってから今までもずっとあいつの心の中心にいたのはノリだったし、それを上書きする事はできなかった。だから、プロポーズだって一か八かの賭けだったんだ。でも、それよりもノリと再会したことが大きかったんだろうな。」
ケイタの頼んだ飲み物が来たので改めて乾杯した。
「遅れてごめんな。で、ユリエさんは今どうしているんだ?」
気まずそうにケイタが聞いてきた。
「俺と別れた足でそのままノリのお店へ向かっているんじゃないのか?」
俺は何も気にしていない素振りでビールを飲み干した。
「それにしても、リュウジがユリエと付き合った時も驚いたけど、今回みたいな結末になるなんてもっと驚いたよ。」
俺とケイタは高校からの友達だ。同じバスケ部で切磋琢磨してきた仲間で、今も当時の部活仲間の5人とは仲良しだ。そんなケイタが俺たちの母校で今度は先生として通っているというから驚きだ。俺たちの夢の続きは今でも色々な形で続いているのは素敵なことだ。
「ケイタも早く恋人を探せよ。ずっと初恋の人に想いを寄せるのもいいけど、もう俺らもいい歳になっちゃったんだから。」
ケイタはうるさいと言いながらケタケタ笑っていた。
「今は恋人いない同士だからな。」
ケイタは笑いながら俺に言い返してきた。そうだな、数時間前までは婚約者がいたのにな。
あれは数時間前の出来事だった。
「ごめん、待った?」
ユリエは俺を見つけると小走りで駆け寄ってきた。待ち合わせ時間の10分前だから遅刻ではないのに、お互いに待ち合わせ時間の前に来るので、相手が既に着いていると申し訳なくなってしまう損な性格だ。
「大丈夫だよ。俺も今来たところ。」
2人で向かった先は俺が予約したレストラン。ディナーになると予約無しでは入れない人気店で、お店に来るたびに店内はお客さんで賑わっている。
「乾杯!」
ワインが注がれたグラスを軽く突き合わせて2人で乾杯をした。先日にプロポーズをして晴れて婚約者となったが、俺は心に決めたことがあった。
料理が運ばれてきて2人で楽しく今日あった事やテレビの話で盛り上がった。
俺とユリエが付き合い始めたのは数年前。高校のバスケ部仲間のケイタとショウタと飲みに行く約束をしていて、たまたまその日にショウタに別件で連絡をしたユリエも誘って4人で飲んだ。高校の頃から気になっていたユリエは大人になっても綺麗で優しい人だった。ノリと付き合っていた事を知っていた俺は、ただただ好きな気持ちを心の中に留めていただけだった。
でも、その飲み会で近況報告をお互いにした時にユリエとノリが別れた事を知った。俺はチャンスだと思い、ユリエの連絡先を聞いて後日デートに誘った。
最初はガチガチに緊張してまともに会話もできなかったけれど、実はお互いに好きなものや趣味も共通していることが多いと知り、頻繁に遊びに行くことが増えていった。
最初はノリに未練があったユリエも次第に俺と向き合ってくれるようになり、2人は自然の流れで付き合い始めた。でも、一つだけずっと引っかかることがあった。
それは、ユリエと恋愛観や結婚の話をしていると時折どこか遠い方を一瞬見つめる時があることだった。今思えば、ユリエはどこかでずっとノリの事を想い続けていたのだろう。ユリエはノリと別れてから、ノリの連絡先を知らなければノリの事を話題に一切上げなかった。それは、俺の前だけでなく誰に対してもノリについて語らなかったらしい。きっとそうする事でユリエは過去の自分と決別しているのだろう。
俺はそんなユリエを見ていて心苦しくなっていった。ユリエは、結婚についても前向きに話し合いをしてくれて、どんな家に住んでみたいかとかどんな家族を作りたいかとか2人の将来像について色々と楽しんで話をしてくれていた。その頃には、以前に見せていた遠くを見つめる仕草も無くなっていた。しかし、俺の気持ちは変わらない。そして、とある一つのプランを実行した。ユリエに対しても協力してくれたケイタにも申し訳なく思っているが、俺は自分のやった事を後悔していない。
俺はユリエにプロポーズをした。もしも、本当にノリへの気持ちが無くて俺と一緒に未来を歩んでくれるなら、俺もユリエと共に二人三脚でこれから先の人生を歩みたいと思っていたからだ。ユリエは婚約指輪を受け取るとおもちゃを買ってもらった子供のように大はしゃぎして喜んでくれた。リングサイズを間違えたのは痛恨のミスだったが。
そして、プロポーズも無事に終えた俺はケイタに連絡を取った。ケイタにお願いした内容はたった一つだけ。ユリエにノリの居場所を教えてほしい、ただそれだけだった。あとは、運命が勝手にユリエとノリを引き合わせると思っていた。
偶然を装ってケイタはユリエと久しぶりに再会した。そして、後日2人でご飯に行った時に近況報告をしながらノリの近況についてもユリエに伝えた。ノリのお店は評判も良いのだが、ユリエは最初はノリのお店に行きたがらなかったらしい。今更2人で何の話をすればいいのか悩んでいたらしい。だが、ケイタが結婚報告した方がいいと言うと、行く決意をしたらしい。こうして準備は整った。
後日、ユリエはノリのお店へ行った。そこでは昔と変わらないノリがお店をやっていたとユリエは俺に報告してきた。楽しそうにノリについて語るユリエはノリと付き合っていた頃のままだった。俺は、その話を聞きながらキラキラとした目をしたユリエを愛おしく思った。でも、もう2人の関係は次に会った時が最後だな。そうも思っていた。
そして、今日。
目の前のユリエは美味しそうに運ばれてきた料理を平らげていた。
「ユリエ。」
ユリエに声を掛けるとキョトンとした表情で口に入れていた料理を飲み込むとこちらを向き直した。
「どうしたの、そんな顔をして。」
ユリエは普段見せない俺の真面目な表情を見ると少しおどけてきた。そんなユリエを見たら緊張が少し和らいだ。
「大事な話をする。」
「なになに。何の話?」
「俺と別れよう。」
ユリエは一瞬時が止まったかのように全身が固まった。聞き慣れない言葉で動揺していたのだろうか。まさかプロポーズした数日後に別れを切り出されるなんて夢にも思わないだろう。だけど、俺の気持ちはあの時から揺らいでいなかった。
「どうして、結婚するんでしょ。」
ユリエは今にも泣きそうな表情で俺に訴えかけてきた。その目には涙が溢れてきているのが俺にも分かった。俺はそんなユリエを振り切るように話を続けた。
「自分の気持ちに正直になっていいよ。ノリと再会してどうだった。俺はユリエの気持ちが分かっているつもりだよ。」
「どういう意味。ひどい。私は本当にリュウジ君のことが好きだよ。この気持ちは嘘じゃない。」
「分かっているよ。俺もユリエのことが大好きだ。でも、それ以上にユリエがノリを未だに好きだってことも知ってる。」
「違う、ちがうの...。」
ユリエの両目から大粒の涙がポロポロと流れていた。ユリエは俺の言葉を否定しようとするが、泣くのを堪えようとして声が出ていなかった。
「いいんだ。俺とユリエとの時間は嘘でも幻でもない。とても楽しいし良い思い出だよ。でもね、俺はそれ以上にユリエには本当の幸せを掴んでほしいんだ。ユリエの心の中には今でもノリがいるんでしょ。その気持ちも嘘じゃない、大切にしていいと思う。だから、2人の旅はここで終ろう。」
「...ごめんね。」
ユリエはその一言を振り絞るので精一杯だった。俺は言いたいことを全部言えて全身の力が一気に抜けた。残っていたグラスのワインを全て飲み干し、ボトルからおかわりのワインを注いだ。その間もユリエはずっと涙をポロポロと流している。
「ありがとう。」
涙でボロボロになった化粧をハンカチで拭い、ユリエは涙を流しながら白い歯を見せて笑った。未だに俺はユリエのことが好きだと実感した。でも、これでいいんだ。そう自分に言い聞かせて、最後にユリエに言った。
「何をしているんだ。行くところがあるだろう。今ならまだお店に行けばノリに会えるよ。」
ユリエの泣き顔に自分もつられて泣きそうになりながら、俺は必死に涙を堪えて最後まで笑顔でいようと頑張った。俺はポケットからハンカチを出してユリエに渡した。ユリエは、ありがとう。と言うとさらに涙を流した。
「何をしているんだ。さあ、早く行っておいで。」
俺はユリエを促した。ユリエはうんうんと泣き続けながら頷き、荷物をまとめて立ち上がった。上着を手に取り、レストランの出口へと歩き始めた。しかし、すぐこちらに戻ると胸元をぎゅっと握りしめた。
「”これ”はまた改めて会った時に返させてください。」
ペンダントにしていた婚約指輪を握りながらユリエは震える声で俺に言った。
「わかった。どんな結果でも俺は待ち続けるから安心して行っておいで。ノリにもよろしく伝えておいて。さあ、涙を流すのはここで終わりだ。」
「うん!」
ユリエの歩くスピードはドアに近く度にどんどん速くなっていた。そして、ドアを開けて外へ出ると小走りで去って行った。俺はユリエのその姿を見届けた後、グラスのワインを一口飲んだ。
「これで良かったんだ。」
自分に言い聞かせたその言葉が、自分の口から耳に届いた瞬間に今まで堪えていた涙が一気に溢れてきた。俺は静かに両目を閉じて、流れ出てくる涙が頬を伝っているのを感じていた。
涙が流れきった後、俺は携帯を取り出してケイタを飲みに誘った。
そして、今。こうしてケイタと俺は飲んでいる。ケイタは事の顛末を聞くと何も言わずに到着したビールを流し込んだ。
「リュウジは昔から優しいな。」
「いやいや、ユリエにノリの情報をリークしてもらったり、ケイタにはひどい役回りをさせて悪かったよ。でも、そのおかげでユリエは自分の気持ちに正直になれたんだと思う。だから、本当にありがとう。」
「何を言ってんだよ。俺はリュウジでもユリエを幸せにできたと思ってるよ。でも、リュウジの決断はカッコイイと思う。この先どうなるかは神のみぞ知ることだ。後は運命ってやつに任せよう。」
そう言いながらケイタは俺の肩をポンっと叩いた。
「そうだな。で、ケイタはいつになったら初恋のサエちゃんと別れるんだい。」
俺はいたずらっぽくケイタに聞いた。
「別れるどころか付き合えてもないし!」
「ははは、そうだな。でも、付き合えてもない初恋の相手に心を奪われたままだと本当にこのまま独身で人生終わっちゃうかもよ。」
「まあ、それも人生だよ。とりあえず、今日は心ゆくまで飲み明かそう。俺らには夜遅くまで飲んで帰っても口うるさく言う彼女も奥さんもいないからな。」
自虐しながらケイタはそう言うとおかわりのビールを頼んだ。
終電の時間を確認しようと携帯を取り出すと一件の通知が来ていた。
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