見出し画像

【私小説】わたしが死のうと思ったのは

 「函館に行こう」そう、ふと思い立ったのは確か、2020年9月28日か29日の午前3時頃のことだ。そこからのわたしは行動が非常に早かった。29~30日のあいだに、10月1日の札幌ー函館高速バスと、10月2日の函館ー札幌の高速バスのチケットの支払いを済まし、宿泊先のビジネスホテルも即決し、2日は午後から仕事があったが、「急用で1~2日に函館に行かなければいけなくなったので、申し訳ないのですが普段の出勤時間より1時間遅れます。どうしても間に合う時間のバスがなくて…」と説明し、あっさり上司からの許可も得た。
 この、「急用」というものが何か、それは「立待岬で投身をする」ということであった。なぜ「死」を選ぼうとしたのか、これといって理由はない。しいて言えば、ただ純粋に、その時のわたしは「死」というものに立ち向かいたかったのである。
 出発前に、遺書を一通自宅に置き、直前まで持ち歩くリュックの中にも同じ内容の遺書を一通入れておいた。家族には、もう二度と帰宅しないことを見越した上で、宿泊先の位置情報・(名目上は)旅行中の写真をいくつか送った。ラッキーピエロで食べたオムライス、函館市内の街並み、五稜郭公園で散策している様子の写真(セルフポートレート)、本当にただの弾丸旅行にしか見えないよう、わたしなりに工夫を凝らした。
 そして、夜。立待岬の最寄り駅(市電)の谷地頭駅に着き、急勾配な坂道をひたすら上り、最初は住宅街だったのが、立待岬へ近づくにつれてそれらは少しずつ墓地へと移り変わっていった。墓地よりも奥に、海と街の境界が見えて、わたしの眼には、その景色が人生に終止符を打つ直前に見る景色として最も美しく、ふさわしい景色として焼きついた。しかし、いざ立待岬にたどり着き、あっさり飛び降りることができるかと思いきや、できなかった。茫然と真っ暗な景色を眺め、海の音を聴きながら、立ち尽くすことしかできなかった。
 つまり、わたしは死に損なったのである。死に損ない、生きながらえることを選んだわたしは、「そういえば、100万ドルの夜景とやらを見たことがない」と気づき、そこから急いで急勾配の坂道を下り、市電に乗り、函館山ロープウェイに乗り、頂上からの100万ドルの夜景を見た。その後、宿泊先に戻り、眠って翌朝早めに起きて朝市で海鮮丼を食べ、イカ(時価)を釣って食べ、たった1泊2日で函館旅行を満喫しただけの人になって札幌にのこのこ帰ってきた。その足でいつも通り勤務先に出勤し、労働し、ぐっすり眠った。
 これを書いているわたし自身ですら、笑ってしまうくらい滑稽だと思う。やはり、「死にたい」人間と「死んでしまう」人間のあいだには大きく深い溝がある。そして、わたしは結局、前者でしかなかったのである。
 「こんなところでわたしがわたしの人生を突然終えてしまえば、わたしの人生が物語と仮定した場合、間違いなく駄作になる」と直感的に察知した。わたしがわたしを今、殺したところで今まで生きてきた二十数年は絶対に消えてはくれない。だから、わたしはどこにもいけない。

【了】

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?