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【本】偶然の装丁家

矢萩多聞さんの『偶然の装丁家』読みおわる。すごく面白かった。世の中にはいったいどうやってその職業に就くのかわからない仕事というのがたしかにあって、本の装丁家などもそのひとつ。そもそも「装丁家ってな~に?」という人だってふつうにいるのではないか。

たとえば、お寺のお坊さんだったら、なんとなく家の跡を継ぐケースが多いだろうなあとか。芸人さんだったら誰か目標とするような師匠に弟子入りするか、最近では養成所もあると聞く。お医者さんや学校の先生のように、試験に受かってはじめてなれる仕事もある。

装丁家は、どうなんだろう。一般にデザイン学校へ行ってデザイン会社に就職するか、それとも出版社に勤めて本を作る仕事に就くか、どうもぼんやりしてわからない。はじめから装丁家になりたいという人だけが入社するような、装丁会社というのがあるものなのだろうか。

ですから、この本の著者である矢萩多聞さんのように、「気がついたら偶然装丁家になっていた」というのは、変ないい方ですが、逆にぼくの感覚からしてもとても理にかなっているのだ。

さて、この本の白眉は、まあなんといっても、一家でインドへの移住を決めるところだろう。不登校だった中学校をやめてインドへ行きたいという矢萩さんを、よくぞ両親が許し(あ、両親も矢萩さんか!)、それならいっしょに行こうと移住まで決意したことに、まずは驚く。くちはばったいいい方だけど、ご両親がだんぜんえらい。

これ読むといかにも、あっけらかんとインド行が決まったように書いてあるが、実際には、他人にいえないような苦悩も苦労もあり、まわりの親戚や学校関係者などとのあつれきもそうとうあったでしょうね。そうしたいと思っても、ほとんどの人はしがらみを捨てられないものだ。

なので、こういっちゃうとアレだけども、あとのページはぼくはわりと気楽に読めたのだ。ある日突然、不登校の子どものために親子でインドへ移住する決心に比べたら、そのごのインドでの手探りの暮らしも、いつのまにか装丁家になる過程も、もはやたしたことないように思えた。

それにね、苦労話や愚痴や弱音が、いつも最小限に抑えられているというのもいい。誰かを批判したり咎めたりせず、つとめて明るく楽しく生きてきた矢萩さんの、生き方そのままが素直につづられているのがよかった。

矢萩多聞さんにとっての装丁家というのは、おそらくいまのところ偶然たどりついた居場所なんだろうけど、そこに至るには必然があって、家族の理解はもちろん、多くの人との出会いなどが、矢萩さんをいまの居場所に押し上げるべくして押し上げたのだと思う。

だからこの先また、新しい人間関係によってはいまとべつの仕事についていることだって十分ありえる。小中学校で不登校になってインドへ移住したように。3.11の震災のあと、原発の爆発事故を危惧して一家で京都への移住を決めたように。矢萩さんのフットワークはいつも軽い。現に、このような面白い本を上梓する「運」も持ち合わせているのだから、推して知るべしだ。

まだ若い人が、これを読めば装丁家になれるという本ではないことはたしかだし、これを読んで矢萩さんの生き方を真似する必要もないが、懐にこの一冊をしのばせているのといないのでは、おなじ運命を生きるにしても、どこか違った人生になるような気がします。

ぼくのようなおじーさんにも、十分刺激的な本でしたからね。

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