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アーサー・マッケン「The Compliments of the Season」 試訳

 気づいたらクリスマス・イヴになってました。ヒャー。
 というわけで、英国の怪奇幻想作家アーサー・マッケンのクリスマスにまつわる掌篇を訳してみました。合理主義者のティンダル氏は、理性でもって芸術の分野を攻め落とすべきだと豪語して、自らが目撃した奇妙な光景について話しはじめますが……?

時候のあいさつ

アーサー・マッケン
渦巻栗 訳
Cover Photo by Sammy Leigh Scholl on Unsplash(https://unsplash.com/photos/ZYtE2vp0ML8)

「ところで」ティンダルは温和な友人のアンドリューズに切り出した。「ぼくはずっと、攻め落とすべき砦がひとつだけあると思ってるんだ。そいつを落とせば、もうこっちのもので、合理主義こそまともな人間が取るべき唯一の思考法になる」
「そりゃすごいね」とアンドリューズ。「けど、いまひとつピンとこないな。砦とは? いったい何が砦ひとつでがんばってるんだ? それは、要するに、議論の争点ということかね?」
「そうともいえる。ちょっと説明してみよう。敵が芸術や、創作への情熱や、その成果に立てこもってることは知ってるね。やつらを追い詰めたかったら、こう言ってやればいい。『これがきみらの宗教ね。それと、きみらの信条と信念、想いと祈り、儀式と祭式、その他もろもろ。なるほど。じゃあ、理性でもって説明してくれるかな? ミサとかその手の集まりに行く理由を筋道立てて説明できるか? ベリオール(*1)のあの先生が学部生に言ったせりふじゃないが、考察できるのか?』ってね」
「けっこう、まったく申し分ないね、いまのところは」アンドリューズが考えこむように言った。「何しろ、ね、〝敵〟ときみが呼ぶところの彼らは、いつも言い張ってるもんな――彼らが大好きな言いまわしを借りれば――よき賜物はすべて天より来たる、と。だから、たぶん、知性がよき賜物だってことは否定できない。うん、そんなことはできやしなかった。完璧な人間は理性をさっぱり断ち切って押し殺したやつだなんて、言えっこない。だから、宗教について合理的な裏付けが取れないとなれば、宗教そのものについて筋の通った説明を求められては困るわけだ。ふむ、たしかに、きみの言い分ももっともだ」
「ぼくらもそう考えてた。けど、やつらはそこで芸術を持ち出したんだよ。ぬけぬけと、霊的な領域については論理的で筋の通った説明はできないなんて言いやがった。そういや、こっちにとってはありがたいことに、やつらはそのまま質問を返して、ぼくらに物質的な領域について合理的な説明を求めたりはしないんだよな。やつらはそうしない。こう言うんだよ。『よろしい、そこまで言うなら、われわれはミサになぜ行くのかわかりないし、信仰を再興しようという気持ちを論理的に解き明かすこともできないとしておきましょう。ではあなたに説明してもらいましょうか、なぜコンサートに行くのか、なぜこっちのソプラノ歌手とあっちのヴァイオリン奏者に気も狂わんばかりになるのか? あなたがたは騒音の塊でしかないものについて、図書館を埋め尽くすほど本を書き、大金を投じている。ある者は生涯をかけてキャンバスに色のついた土を塗りつけ、またある者は財産を注ぎこんでそうしたキャンバスを買う。キーツの詩を買うのにここ百年でどれくらいのお金が使われたんでしょうね? どれくらいの時間がそれを読むのに費やされたんでしょう? こうした行為を理性でもって正当化できますか? それにしても〝荒涼たる妖精郷(*2)〟とは何なのでしょう? どこにあるのやら?』やり口が見えてくるだろ。『あなたがたが論理で説明できないことをしてるなら、われわれだっていいじゃありませんか』とまぁ、こんな具合に超常的な力だったり人間ならではの感情だったりを押しつけてくる。これはうまくない」
 アンドリューズは考えこんでいるらしい。
「なるほど。たしかに、うまくないね。あちこちで祈るままにさせとくしかないな、ウェストミンスターの堂守が言ってたみたいに。うむ、それがきみの言ってた〝砦〟か。そうだね?」
「ぼくはそう考えてる」ティンダルはそう言って、煙管に葉を詰め、火を点け、誇らしく煙を吐いた。「砦はこっちのもんだ。やつらは終わりさ」
「いわれてみると」アンドリューズはそっとつぶやいた。「年代物のワインとか、ブリア・サヴァラン(*3)とか、アルプスの登山とか、ブリッヂとか、その手のものの魅力についてはいろいろ言われてきたが、ひと目でわかる論証をしのぐよろこびはほとんどない。あのユリーカ(*4)の感覚だ」
「ぼくもそう思うよ。そうそう、あの手の人間なら迷わずおかしな解釈をしそうな与太話を読んだんだっけ。誰かさんが例のフランス人が書いた鳥の本を送ってきてね、彼が書いた鳥の本では二冊目なんだ。英訳版は秋に出た。
「鳥は専門外だが、かなり興味深く読ませてもらった。鋭い洞察がいっぱいでね、ぼくの好みからするとちょっと大げさで空想的すぎたが、それでも知的な一冊だったよ。ひとつ、とりわけ興味を惹かれた箇所があってね、例のフランス人はある鳥について、二種か三種だったと思うが、派手な花とか羽を巣に使うものがいると書いているんだ。なぜ使うのかはわからない。妙だろ? 作者いわく、その鳥は派手なものを巣に使って目立たせるんだが、ほとんどの鳥はそれとは逆の方面を目指すんだと。で、彼はこの難問を解こうとはしなかった。まあ、たいした問題じゃないし、ぼくらが何もかも理解できるとは思えないしな」
 アンドリューズはこの言葉に顔をあげた。どこか奇妙な表情を浮かべていた。
 ティンダルは話をつづけた。
「変な例外だなとは思ったけど、それっきりだった。二週間くらい前だけど、友達と一緒にペンブルックシャー(*5)に行って、ペニーレオルのヴォイル家を訪ねた。一家はひと目につかない入江にきれいな土地を持っていてね、真南に面してるんだ。リヴィエラよりずっといい気候だよ。みんなもそう思ってくれればいいんだけどね。霜はまだ降りてなくて、薔薇や金魚草、菊や立葵が咲いていて、春の花が、菫とか桜草とかプリムラが咲きかかってた。温室にはすばらしい早咲きの百合が置いてあって、まったく立派だったよ。ある日、ヴォイル夫人がその百合のことで悩んでいた。『いつも扉に鍵をかけておくのだけれど』と言っててね、『金曜日はお日さまが気持ちよかったのでお昼は開け放しておきましてね、それで後で鍵をかけに来てみたら、いちばんきれいな百合の花が二輪なくなってましたの――折られてましたのよ』それで茎を見せてくれた。『モーガンさんとこのちびっ子ですわ、きっと。いたずら坊主なんだから!』。
「本当にすばらしい気候でね。こないだの月曜日は、街の天気はどんな具合だったね?」
「いつも変わらぬ霧だったよ。あと黒霜も」
「そうか。ペニーレオルでは朝から日がぎらぎら差してたよ。空も真っ青だった。ぼくは砂浜まで降りていって、波打ち際で座っていようかなと思った。一家はそろってどこかに出かけてたんだ。で、庭の端っこのちょっとした茂みを歩いてたら、鳥が異様にさえずって騒いでるのが聞こえたんで、忍び足で近づいてみた。きっと珍しい光景が見られると思ってね。小鳥でも外敵を、梟とか鼬を襲うと聞いたことがある。曲がり角にやってきたんで、その向うを覗いた。自分の目が信じられなかったよ」
「何が起きてたんだね?」
「先史時代の石、メンヒルが小道のそばにあったんだ。平らな石灰岩だけど緑の苔でほぼ覆いつくされていて、見てみると、半ダースかそこらの小鳥がくちばしに苔をくわえて飛んできて、むき出しのところを埋めてるんだよ。鳥たちがつくってたのはね――ぼくは本当に見たんだ、いいか、燕が最後の仕上げを施すのを見たんだよ――ちっちゃいけど完璧な人間の似姿だった。人形みたいなのが、苔のゆりかごに横たわってた。常緑樹の小枝でつくってあって、藁とか、葦とか、花も混じってた。それでこの人形の両脇に、彼らがヴォイルさんの温室から取ってきた二輪の百合が供えてあった。蝋燭みたいだったよ。何百羽もの鳥が、その上をばたばた輪を描いて飛んだり、茂みの枝でさえずったりしてた。
「それでユーリカってわけだ! これこそ芸術的才能の起源なんだよ。まったく動物的で、まったく物質的なものだったのさ。例のフランス人博物学者はちょっと手がかりをつかんだだけだったが、ぼくはすべてを悟った。どう考えても単なる季節性の衝動だし、目的も明らかに生物学的なものだ」
「季節性の衝動ね」アンドリューズは考えに耽って言った。「ふむ。そうだな。こないだの月曜日と言ったね?」
「こないだの月曜日だ」
「そりゃクリスマスじゃないか」


――訳注――

*1 オックスフォード大学を構成するカレッジのひとつ。
*2 ジョン・キーツの詩「Ode to a Nightingale」より。
*3 フランスの著述家。代表作は『美味礼讃』。
*4 古代ギリシアの哲学者アルキメデスが浮力の原理を発見したときに    「Eureka(英語の発音ではユリーカ)!」と叫んだとされる。
*5 ウェールズの南西部。


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