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【ルールメイキングPJの現状に感じる危惧】

経済産業省『未来の教室』事業とNPOカタリバと「note」が連携して、
#みらいの校則
というキャンペーンを始めた。


(このルールメイキング Project には賛成なのだが、課題を感じたので、やや辛口で、問題提起したい。このProjectが成功するためにも)

1.そもそもの主意


「学校の校則を自発的に考えてもらおうよ」
という話が、そもそもに始まった理由は、


「『おかしいと思ったことは考えて、自分たちで良くして行こう』ということができない児童生徒が増えている。ルールメイクの体験を通じて、民主主義国家に生きる市民・国民の土台を作りたい」

だった気がしている。
 特に、経済産業省の「未来の教室」とEdTech研究会の第1次提言にある、
『50cm革命』の題材として最適ではないか?という記憶がある。

この主意には、大賛成なのだ。
(私も、WorkShop専門委員の末席に加えていただいた。以降、教育産業室マニアである)
「未来の教室」の委員やWS専門委員、メンバーOnly の SNSグループで、
長野県立松本深志高校の、
「部活動で出る音について高校の近隣住民から苦情が来ている。この課題を解決したい」
という活動を記録した動画を、2018年に紹介した。
(第64回NHK杯全国高校放送コンテスト 全国優勝 「鼎談深志」)
※ 既に、NHK関連の公式ページからは、該当動画は削除されています。

まさに、出来たてホヤホヤ当時の『未来の教室』事業のパワーワードたる、「チェンジメーカー」自分ごとから解決に向かう『50cm革命』」の好例の活動、動画でした。

それから幾星霜。
学校の働き方改革や、いわゆる「ブラック校則」が話題となり、現在、実施されている「ルールメイキングPJ」が開始された。

2月のキックオフのようなオンラインシンポジウムも参加した。
(こちらは現在公開はされていない模様)

ルールメイキングPJの発表会が、9月4日に実施されて、私はリアルタイムで見ていた。(現在でも閲覧可能)

2.違和感を言葉にすると…


この9月4日の公開トークを見ていて感じたのは、違和感
現在の各校でのプロジェクトの進捗状況発表というものが、主旨であったとは思うが、感じた違和感を言葉にすれば、

「変えることを目的化した厨二病罹患しやすい世代への煽り」


を、大人がやってしまってはいないか?と。
 こうした取り組み、1990年代の中学校「公民」なりで始まった「ディベート学習」に近しい危うさを感じる(尻蕾になって失敗したので…)


「なぜ、このような校則があるのか」
「そもそも校則やルールとは何か」

という疑問を生徒に持たせないと、
「変えることが目的ではないよ。変えなくてもいいものとの仕分けは?」
「感情的な好き嫌いによって、ルールが決まるものじゃないよ」

という話にはおそらく繋がらないことだろう。

「ステークホルダーとの対話が大切」
「人を巻き込むには?」

といった、知識やスキルを駆使すれば終わってしまう話になりそうだ。

「変えたから成功だった、変えられなかったから失敗した」
といったパターン化された学びにおそらくなるんじゃないか。
中高生の発表を聞いていると、「変えた成果」にこだわり過ぎだった感すらした。

3.道徳的な話なの?

 ルールメイキングは、学校の教科で言えば、何に該当するのだろう?
 ある人は、特別活動であり、またある人は、総合学習であり、またある学校関係者は、課外の自発的な活動です、と言うかもしれない。
 複数の学校関係者(n=30名ほど)に、
「ルールメイキングPJ始まりますが、御校でもいかがですか?」
と紹介した。
 お一人を除いて、異口同音に聞こえた返事は『生徒指導?』『道徳?』だった。
 「この試み、本当に、生徒に主体性が出るのかなぁ?」という危惧の声も出た。ご年配の先生からは、
 「これ、結局、一部の生徒が騒ぐだけで終わるんじゃない?」
との示唆もいただいた。確かに。

 発議者や実行者たる一部の生徒が、「こうしたいと思いまーす」、
 他の生徒は、「いいでーす(勝手にやってろや、面倒くせ)

 という『自分ごと』には決してならない、見かけ上の「合意形成」をして終わるんじゃないか。この光景は、実際に中学校や高校「あるある」な光景なんじゃなかろうか。
 実際、私が生徒であった頃も、このあたりは無関心であったし、長じてから組織に属しても、自身に影響がなければ、好きにすれば?で済ませてきた。

 さて、引っかかったのは、『道徳?』の一言だった。
 ルールメイキングって「道徳」なのか?という話。
昔から「道徳」というものは、精神論とか教科書に関わった大人の価値観の押し付け、くらいにしか思っていなかった〜いない(勉強不足)ので、語るのもおこがましいのだが、
 コールドバークの論とルールメイキングを掛け合わせて考えると、
① 道徳的な認知葛藤の経験
→服装、髪型の規定などで葛藤したことあるか?
② 役割取得の機会
→学校で機会の創出や持って行き方はいろいろとハードルはあるのかも。
③ 校正な道徳的環境の整備
→ 学校ってそもそもに、教員⇄生徒間は公正か?という話。

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 おそらくは、中高生の大部分は、第3〜4段階。
 ルールメイキングを主体的に活動していくのは、現段階だと、おそらくは第5〜6段階が萌芽している生徒で、生徒会活動などに積極的な層。
 このボリュームゾーンの生徒集団と、積極的で萌芽した優秀な層の間にある、4ー5段階の壁というかChasmは、高くて頑丈だったり、幅広く深いものなんじゃないかと感じる。
 4-5の壁を越えたところ、おそらく第5段階くらいにまで集団の過半数がくれば、「自分ごと」化しながら、なぜルールを見直すことが必要かを認識、理解できたりするんじゃなかろうか。
 
 学校教員を含む大人も、ってか大衆の多くは、第2〜3段階が日常化して、それ以上、段階が発達しないのであれば、ルールメイキングは、非常に価値の高い話になるんじゃないか?
 と、道徳のど素人が言ってみる。

4.学校教員・養成育成段階への構造的な問題


 さらにこれは、私の偏見なり些少な経験に由来するかとも思うのだが、

「学校教員は、『児童の権利に関する条約』って知ってるの?」

という危惧もある。
 教員免許状取得のための必修単位としては、「日本国憲法」が、法改訂の新法下でも must なだけであり、教員養成系大学や教職課程で、どれほど学んでいるのか、実態は不明である。

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 さらに、教員採用試験(教採)の中でも、必出項目として、『人権』や『生徒指導』『教育関連諸法』について出題されるわけもなく、教員として入職した後も、適切な研修が行われているのかも、わからない。
(おそらく、していないんじゃないか。管理職登用の試験のために齧るくらい?)

 生徒指導筋への改革意識を持つ、学校教員に対する児童生徒への基本的人権のあり方を再考してもらう、そんな契機にもなるはず、とも期待はしているが、どうも学校側は、実行主体のNPOカタリバに丸投げ感が強い気がする。
 もっと学校教員は、口を出していいはず。
 ナナメの関係をタテなりヨコなりにするくらいまでに。
 ただし、口を出したければ、人権とはなにか、生徒指導に関する関連法規、加えて情報活用能力にある、情報モラルなども含めて、相当に勉強していただかないと厳しいんだろうなぁと。

5.ルールメイキングの「STEAM化」


 ルールメイキングPJは、経産省「未来の教室」とEdTech研究会の第1次提言から続く、「STEAM化」≒教科/科目横断×社会事象、という題材にも、ドンピシャなんじゃないかとも私は考えている。
 中学であれば、3年生の「公民」、高校であれば次年度からは「公共」、「政治経済」「倫理」の内容へと、導線を引いたカリキュラムマネジメントをしないとならないだろうなとも感じる。
 ルールメイクをしていく中で、アンケートを取り、まとめて、と言った過程では、統計や統計調査を使うので、「数学」や「地理」も関連してくるし、エビデンスとして、「家庭科(被服)」や「保健」も絡んでくることだろう。

 今年度は、全国的なルールメイキングは初年度なので、教育プログラムの中で、いろいろと潜在的な課題が、実践を通じて可視化されてくるだろう。
 ただし、次年度以降も、内容を変えずに量(学校数)だけ拡大することには危惧をする。

 私が阪神大震災時に体験したような、単に感情に駆られて行動するだけの、市民活動家量産プロジェクトにしたいのであれば、この量的拡大だけの次年度以降のプロジェクトは成功なんでしょう。
「対話が大切、合意形成が大切」
それも大いに結構。
 ただね、防災の専門家に近しい位置にいると、災害時においては
「100人の素人考えよりも、1人の専門家の知見」
というのも事実なんで、浅いだけの行動家量産は不要だと思うのですよ。
かえって迷惑というか。
 これ以上の衆愚政治にしたいのなら、このプロジェクトは成功なんでしょうけれど。
 むしろ、やらない方が楽でいいのかも。面倒臭い人、減るから(笑)

6.学習指導要領の優等生?

このPJの体験を契機に生徒が、

「より深く考える、より広く知る」

 という設計を次年度以降にしていかないと、学校の全生徒を対象とした解禁は、しばらく寝かせた方がいいんじゃないか。
 学校側も、今回はほとんどが生徒会が主体なので、ある程度は大人のコントロールが効く状態であることを誤解してはいないか。
 現状でこのまま進めることへの危機感を、学校教員は「外部の大人と繋がれた」だけで満足してしまい、未だ感じていないのかもしれないし。


「ルールとは何か」
「法とは何か」
「義務とは何か」
「権利とは何か」
「学校とは何か」
「社会集団とは何か」
「利害関係・利害調整とは何か」
「感情とは何か」
「自由とは何か」

 こんなところにまで、考えが及ぶ深い学び・広い知識を得て、(及ぶよう、視野が広がるように大人が誘導する責任がある)、学校関係者は、学習指導要領の理念たる「主体的で対話的な深い学び」として、ルールメイキングを利活用して欲しくもある。

 また、「変化することでの影響」まで考えて(これからの子供には絶対に必要な考えの素地。環境問題然り、技術革新と倫理性の課題然り。自然科学や工学という建設業じゃ環境アセスメントをするが、これが社会科学領域となると、圧倒的に弱い、日本のお家芸でもある)

「Build Better Together」となる能力に長けた市民・国民を育成するためのプロジェクトに昇華して欲しいなと願う次第です。
今のままだと、
「構成主義的な学びを装った行動主義」
「手数のかかる多数決」

一直線の気がしますね。

1990年代のディベート学習や2000年代にすぐ消えたシティズンシップ教育の二の舞、単なる目新しさのブームで終わることがありませんように。

7. 実は2030年の国際標準?

 学習指導要領が、昨年は小学校、今年度は中学校、来年度は高等学校が、新しいものに移行した/する。
 2030年と言えば、10年に一度の改定の学習指導要領の次の話?とも思われるかもしれないが、そうではなく、
『OECD Education 2030』の話である。
 その中で、2030年は、下記の3つの力が、学校教育課程の中で必要となることを謳っている。

● 新たな価値を創造する力
● 対立やジレンマを克服する力
● 責任ある行動をとる力

「校則」をはじめとする対象の「ルールメイキング」。
 まさに、既存の価値から、新たな価値を生み出す『新たな価値を創造する力』が必要であるし(既存の価値でも良いものは残せばいい)、新たな価値を生み出す過程では、当然のごとく大人のステークホルダーなり、生徒集団内でも、対立やジレンマを超越しないとならない『対立やジレンマを克服する力』場面が出てくる(逆に申せば、対立もジレンマも摩擦がないものは Fake である)わけであるし、自分たちで対立やジレンマを超えて変えた、新たな価値観に基づいた「ルール」を、遵守する・またはさらに新たな価値観へと進化させる『責任ある行動をとる力』が必要である。
 
 試行錯誤を繰り返すことができる、心理的安全を確保しながら安心して失敗できる環境を作りながら(このあたりは、NPOカタリバは得意である)、いかがして『ルールメイキング』を、2030年の世界標準を先取りする活動となって欲しいと願っている。

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