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化学系修士が新卒就活で考えたこと。2年で辞めちゃったけど。

修士卒の新卒として、社会人デビューして10年以上経ってしまった。新卒入社の企業選択の決断は人生の中でも結構大きな決断だ。あの決断が良かったのか、悪かったのかは知る由もないが、当時は思いもしなかった場所に辿り着いていることだけは事実である。

自分が就職したのはいわゆるリーマンショックの直前であり、比較的就職しやすかった時期だと思う。当時とは環境も大きく異なるが、普遍的な考え方もあると思うので、一度その時の考えを整理して共有してみたい。

研究者を志していたわけではない

今でこそ企業研究者として飯を食っているが、自分は幼い頃から昆虫観察が好きで、将来は研究者になりたいと思っていた・・という感じでは全くない。

高校の時、化学の成績がよく、なんとなく周囲の友人が知らないマニアックな知識を得ることに優越感を覚えるいやなヤツだった。そして、予備校の講師のおもしろい講義とかを受けているうちに、複雑な化学の現象の中になんとなく真理、理のようなものがある感覚して、化学が好きになり、化学系の学部を受験した。

当時、家族や周囲に化学はおろか研究者などおらず、大学卒すらあやしいといった状況で誰にも相談することなく、まぁ多分落ちるだろうし浪人しながら考えようと気軽に受けたのだ。

結果は奇跡的に受かったのだが、父親に何する所なんだ?と聞かれていまいち答えられず、「・・わからん・・化学かな・・?」とアホな回答をしたことを覚えてる。

いざ入学してみると、なんか感覚の違う人も多い。学研で子供の頃から観察好きでした系の人とは、話してみるとさっぱり合わないことが分かった。なんかカッコよくないのだ。

ただ、自分と同じようになんでここにいるのかよくわからん人もいて、彼らとは気が合い学生生活が実りあるものになったと感謝してる。

そんなわけで、とにかく研究者になりたい!と思い続けていたわけではないのだが、ほとんどの同級生と同じように修士に進学した。

どちらかというと、実験で忙しい中他のみんながしていない就活に取り組む気になれず、問題を先延ばしにしたかっただけかもしれない。

修士課程で感じていたこと

研究室では、化学系、ケミカルバイオロジーの研究室で学士、修士として研究をしていた。

ケミカルバイオロジーとは、化学者が主に有機化学合成によって、生物学研究をするためのツールを開発して、それによって研究を推進してやろうという研究分野だ。

今年のノーベル化学賞「クリックケミストリー」はまさにケミカルバイオロジーである。Bertozzi先生の論文はよく読んでいたので、感慨深いものがある。

ケミカルバイオロジーで作る分子ツールはタンパク質や核酸に対して機能することが多い。自分のテーマはDNAをナノテクノロジーの材料として使い、その機能をコントロールするツールの開発だった。

与えられたテーマが当たりと言ったこともあり、結果としてはなかなか上手くいき、論文化できるような成果が得られた。

しかしいざ論文を書く段階となって、あることに気づく。イントロダクションが書けない。

もちろん今までに研究室内や学会で発表しているのだから、最低限のイントロは書ける。

それでも、なんか新規で面白い化合物できたよ!っていうところを乗り越えられない。

こんな化合物できたから、人類にとってこんな良いことがあるんだよ!とはとても言えない。先行研究の課題を全て解決する革新的な技術とは言えず、似たり寄ったりの技術でしかない。

もちろん論文なんてそんなものなんだが、若かりし自分は研究はおもしろいと思うと同時に、ただの自己満足だったのか?と、とてつもない虚無感に襲われた。

それに加えて、博士課程のメリット、デメリットを考え、指導教官の進学の薦めもあっさりと断り、就活一直線であった。後に博士進学することには亞なるのだが、その話はまた別の機会で。

新卒就活で考えたこと

どの業界を受けるか

就職するにあたって、どの業界に就職しようかと考えた。

motoさんの「軸ずらし転職」を知ってたら、業界選びにはもっと慎重になったに違いない。

当時は外資金融系に行くのが流行っており、最も給料も高く、熱いとされていた気がする。メタルさんのブログを読み漁っていた。今のコンサルの流行りみたいな感じだろうか。

自分も受けてみようかと思ったが、そこまでお金に執着心があったわけでもなく、睡眠不足に弱いことに気づき諦めた。そのあとすぐリーマンショックが起きて、実績のない若手はリストラだらけになったそうなのでこの選択は正しかったのかもしれない。

流行りに飛びつくのはやめようという気づきはコンサルに転職しないブレーキとして今でも役立っている気がする。

それなりに良い論文に投稿できることになり、研究は得意かもしれないと錯覚していたため、やはり研究開発しかないな、と決心する。

化学系研究開発職の就活だと色んな業界がターゲットになる。主な所だと製薬、化学、食品、消費財、化粧品等だ。

高給かつ、研究レベルが高そうな製薬については、たまたま研究室の博士課程の先輩に来た教授推薦の話に便乗して、一度面接を受けた。

教授推薦でも断っていいよという優しい教授の言葉に甘えて、受かってから行くか決めようと考えたのだ。結果は、推薦なのに落ちてしまった。無駄に心に傷を受けた経験である。

製薬なので博士じゃないと厳しかったのかもしれない。と信じたい。教授からの博士に行けというメッセージだったのか??

友人達は教授推薦や学校推薦で化学メーカーを受ける人が多い。推薦なので、合格率は高いんだろうが、他社の選考は一切できない。

なんでも選択肢を比べたい私はこのやり方がさっぱり理解できず、教授推薦や学校推薦は使わず、自分で決めることとした。

世の中に商品を出せる研究開発職

やはり、研究開発職として働くなら、自分が携わったものを商品として世の中にだして、少しでも世間の役に立ちたいと素直に思った。論文を書いたときの虚無感からきたのだろう。

その観点では、製薬では10年に1度新製品が出せるくらいの頻度で、自分が携わったものが世に出る確率が極めて低いという気がした。また、有機合成から抗体医薬に代わっていきそうな流れや、推薦で一社落ちていたことも相まって候補から外した。

食品はなんとなく、化学よりも生物や農学の方が主体な気がしたのでパスした。完全になんとなくである。

残った化学メーカーと消費財・化粧品メーカーを受けることにした。

特に消費財に関しては、かなり早い時期にP&Gの選考を受けており、落ちてしまったもののなぜか好印象であった。

勤務地も大事

日本ではまだまだ転職は一般的になったとは言えず、基本的には一生勤める気で就活をしてるだろう。

東京ほどではないが、それなりの都市部にしか住んだことがないこともあり、一生、生活することを考えると勤務地はやっぱりある程度こだわりたかった。

一度、富士山の近くの企業の研究所にもいったが、縁もゆかりもないこの場所で一人で生活しているとやむに決まっていると確信した。

結婚していない場合、地元でもない地方だと人間関係が会社関係だけにな理がちである。他のコミュニティへの参加がしずらいと、ネットがあるとはいえ会社が合わなかった場合、逃げ道がなくなる恐れがある。

特に企業の研究所は僻地にあることが多いし、複数の勤務地がある場合、基本的には内定式や入社後にならないとわからないことがほとんどなので、気になる方は注意すべきである。

研究費

基本的には、研究をするにあたっては、研究費や優秀な同僚が多ければ大きいほど良い。出世を考えると競争相手は増えるが、当時は切磋琢磨すべきだと思ってた。

下町ロケットのように技術力のある中小企業も多いものの、研究費や研究者の質を考えると大企業の方が良いと考えた。はっきりいって技術の差などさっぱりわからないので、基本的には売上や研究開発費を見ながら有名なところを調べる。

あとは社長が理系出身の人であるかどうかも気にしていた。社内のメインストリームに技術系があるかどうかもわかるからだ。

化学と消費財・化粧品メーカーを数社に応募し、並行して選考を進めた。幸運なことに、大手化学メーカーと大手消費財・化粧品メーカーから内定をもらうことができた。

いずれも関東都市部にも研究所がある。ただし、地方にも研究所があり、どっちになるかはわからない。これだけ考えても新卒入社はとてもリスキーだなと思う。

さてどっちにするか。

普通就活が進むにつれて、業界はある程度決まっているので即答だろうが、優柔不断なので最後まで悩んだ。

結局は、BtoCビジネスで身近な商品を世の中に出せそうな仕事に携わりたいという思いから、消費財・化粧品メーカーの開発職を希望した。ただ、どんな商品の開発になるかはわからない。採用プロセスにおいて、希望配属を10位まで書いたことを覚えている。10位とかどっちかっていうと行きたくない方じゃね?とか思いながら、基礎ではなく開発ができそうな部署を記入した。

あとはいわゆる配属ガチャである。結果は、希望通りの東京にある研究所での商品開発であった。ただし、商品は大何希望に書いたかも覚えていない基礎化粧品という全く興味のないものであったことは想定外であったが、まぁ何事もチャレンジだと初めてみることにした。

実際働いてみての感想

実際、働き始めて入社前にはわからなかったことが当然ある。人によってそのギャップは違うと思うが、化粧品の商品開発を志している人は参考にしてほしい。

BtoCの商品開発は自分が良いと思ったものを作るわけではない

歳を重ねるとまぁ当たり前だろうと思えるのだが、20代の頃には悶々と考えていたことである。化粧品の開発にトライすると、普段使わないこともあって、何が良い商品か、何が売れるかがさっぱりわからなくなる。

如何せんその良さというものが、PCのスペックのように表すことができず、消費者の好みやブランドイメージといったものに大きく影響を受ける。

しかも、自分の好みではなく、消費者全体にとっての好みなので、なんとなく好みと違うものを作るのに違和感を感じてしまう。

研究開発者として、性能として定義できる安定性とかだけはなく、しっとり感とかみずみずしさとか好みにも大きく依存するものに対して、研究をするのはなかなかしんどいものがあった。

なぜ辞める決断をしたか

1.商品に思い入れが持てない

なんだかんだ、この理由が大きかったのだと思う。仕事なんだから、与えられたテーマに全力で取り組め、というのはその通りだと思う。

でも、あえて言わせてもらうとやっぱり好き嫌いはあると思う。ここが不十分だとやっぱりやり切れないし、数10年も自分の人生を費やせないだろう。自分のわがままさにも呆れるが、結果としては良い選択だったと、ドラッグストアで化粧品コーナーに行くたびに思うので、後悔はしていない。

2.上司を見てこうなりたいと思えなかった

これまた、クソ生意気な意見である。自分の上司は40半ばで初めて部下を持つ人であった。20代の自分にとっては、仕事もできるように見えるし、尊敬もしていた。それでもなんとなく、40代で初めて部下を持つのは遅すぎないか?と思ってしまった。

また、その人はこれまでずっと洗剤の研究をやっていたのに、いきなり化粧品のマネージャーに異動させられており、仕事のやり方も専門性も違う中かなり大変そうだった。

そういう姿を見ていると、やはり将来が不安になってしまう。

3. 企業の将来性

はっきりいっていちゃもんの類である。一部上場企業で国内有数の企業であることは間違いない。それでも、グローバルNo1のP&Gと比べると、全く太刀打ちできないだろうと感じた。技術力自体は高いが、海外展開がうまくいっておらず、国内市場が縮小する中、なかなか厳しいのではないかという印象であった。

これについては、コロナの影響はあるものの、現在も株価は下がっており、なかなか打開策が見えていない。一株主としても心配はしているところである。

4. レベルアップしたかった

最初に仕事を教えてもらった先輩の影響も大きい。彼は研究開発でありながら、会社勤めをしながら、会社に黙って弁理士免許を取得している稀有な人材で、Presidentにも取材されていた。

社内を見渡すと、弁理士を持っていたり、博士をとっていたりと優秀な方は皆なんらかのスキルアップをしてたように思う。

どこか、このまま化粧品の開発だけをしていても、研究者としてレベルアップ出来なさそうなことに不安を感じていた。また、どこかで博士を取らなかったことを後悔もしていたのだろう。

一念発起して、20代のうちに博士をとって戦える実力を養うべきではないか。そう思い、結局退職して、博士への進学を決めた。

同期の中には、社会人博士に行っている者もいた。羨ましいとは思いつつ、誰でもそのチャンスがあるとは限らないことには納得していた。自分のわがままで好きな研究で博士を取るには辞めるしかない。そう覚悟を決めれたのだ。

辞めたことを今どう思っているか?

以上のように、生意気な理由ではあるが、2年で退職し、博士進学することになった。

今思うと、なんて無茶な選択をしたのだとゾッとする。息子がその相談をしてきたら、躊躇なく背中を押せるかというと、自信がない。

それでも、その博士課程で得られた経験は今の自分の土台となっており、人生で最良の選択であったと思える。

そして、この感覚は修士後にそのまま惰性で同じ研究室の博士に進学していたら味わえなかったと思う。2年企業で働いて、その後に博士に進学したことに意味があったと自信を持って言える。もちろん全員に当てはまるわけではないとは思うが。

結論である。修士卒で就職したことも、2年で退職したことも、その後博士に進学したことも、今となってはベストな選択であった。

まさにコネクティングドットである。

久しぶりに見たら、泣きそうになるな・・・



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