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69.なんで私ばっかり!(自己犠牲の気づき)

彼を引き留めたくて、駄々をこねる、まるで子どものような私。
その子のことが知りたくて、心に話しかけるのですが、応えてくれません。
その子は、彼以外の人を求めていないからです。
自分からの問いかけさえ、「あなたじゃない」とつっぱねるのです。

インナーチャイルドと対話する方法は、私の場合、使えませんでした。
問いかけても、完全無視。空中に、うすら寒く響くだけで、全くその子に届かないのです。
彼との関係を通してだけ、その子の感情が生き生きと伝わってきます。私は、対話することをあきらめ、その子の気持ちを丁寧に見つめていくことにしました。

全く私の思い通りにならない彼。
彼と一緒にいるためには、自分の気持ちよりも彼の気持ちを大事にしないといられません。
「なんで、彼は、彼のしたいようにしか動かないの!」

こう口にした時に、私はハタと気づきます。
「それの何がいけないの?自分がしたいようにすることの何がいけないのだろうか?」

「私は、私のしたいように動いていないの?」
そうなのです。
私にとって、人に合わせること、我慢すること、待つこと=「愛」でした。
これが、子どもの頃にできた癖だったのです。

でも、当然ですが、人は、私には合わせてくれません。
だから、「私は誰にも愛されない」と思っていたのです。
自分ばかりが奪われ、置き去りにされると感じていました。

そして、「我慢して人に合わせ続けていれば、いつか自分の順番が回ってきて、私に合わせてくれるに違いない」と、信じ、裏切られ続けていました。

私が、「愛」だと思っていたものが、ただの「自己犠牲」だったのです。

そして、「愛されない私は、生きていてはならない」とも思っていました。
これまで、「居場所がない」、「生きることを許されていない」と思っていたのは、誰よりも私自身が、「愛されていない私の存在を、許していなかった」からでした。

これまで「愛」だと信じていたことが、愛ではないと気づいてしまった私。
世界が大きく、揺るがされます。
これまで愛せていると思っていたけど、愛せていなかった?
愛してもらえないと思っていたけど?

愛って、そもそも、いったい何だ!?

何が何だか分からなくなってしまいました。

I love you.

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