「続けることが大切だ」なんて大ウソだよね。

「続けることが大切だ」と人は言う。けれど、その「続けること」が一番難しいのだ。それが当然のようにできるならばきっと男子の半分はプロの野球選手になり、もう半分がサッカー選手になっているだろう。女子は何になるかな。半分がお花屋さんで、もう半分はパン屋さんか。

昔から、続けることが苦手だった。熱しやすく冷めやすいタイプで、自分で定めた長期的な目標を達成できたことなんて無いに等しい。どうしてもやりたくて1万円をかき集めて道具をそろえた油絵も、文学的な人間にならねばと思って買った英米文学もてんでダメだった。2週間ほど必死に取り組んだ後は、触れもしなかった。

それでも文章を書くという行為だけは、3年ほど前からひっそりと続けている。日記、SNS、あとは大学の授業でも少し。「続けることが大切だ」と言う人は、「続ければ上達する」と言いたいんだろうな。でも、果たして本当か?私は続けてきたよ。文章を少しづつでも書いてきた。でも別段、文章がうまくなったりだとか、魅力的なフレーズをひねり出せるようになったりだとか、面白いストーリーを考えられるようにはなっていない。

1年前の自分の文章を読んで驚くことがある。その文章や言葉に心を打たれて、「その通りだ」と深く納得して、うまい文章だな、と唸ってしまう。自分で書いているんだから当たり前だろうなんて馬鹿なことは言わないでほしい。自分が書いても読んでいて恥ずかしくなるような、「何を言っているんだお前は」と叱責したくなるような文章はあるだろう?

けれど1年前の私は、今のくたびれた私なんかよりよっぽど魅力的な文章を書いていた。結局のところ、魅力的な文章を書くために必要なのは、その瞬間の熱意と、偶発的に起こる質の良い発想と、経験の豊富さにかかっているのだ。あとは、読書量が基礎的な文章力に影響を与えるだけで。「結論を先にかけ」だとか「比喩表現をいれろ」だとか「体言止めでおしゃれな文章をかけ」だとか、安っぽいエッセイストがいろいろと必死に語っているが、そんな小手先のテクニックなんて文章の魅力に3%も影響を与えない。そんな部分を伸ばしたところで何に意味もないんだよきっと。そんな簡単なことで文章が魅力的になるのなら、私の文章は今頃世界中の人を泣かせているはずだろう。

「続けることが大切だ」なんて言ったやつは私の前に出てこい。その言葉は本当か?って問い詰めてやる。



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