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2016.6.3 cakes「自意識を処理し切っているインスタグラマー美女たちとの食事会でこじらせた話」ウラ話 〜モテようとしないでごく自然体でいると、最もモテる〜

--この記事は「投げ銭記事」です--

こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。

さて、今回のcakesの連載で私は「自意識を処理し切っているインスタグラマー美女たちとの食事会でこじらせた話」を書きました。

このスタイルの記事、つまり合コンレポートのような記事ってすごく評判がいいんですよね。以前に書いた「こじらせ男子が女医さんとの合コンで苦戦をした話」「スーパースペック女子達との食事会でこじらせた話」などもとてもご好評をいただいておりました。

そこで、今回は「合コン」についてちょっとお話を致しましょう。

最近思うのですが、「合コン」ってもはや形骸化していてあまり意味無いんじゃないかなあということ。

例えば4:4で2時間半合コンをしたところで、始め30分くらいはどうしても自己紹介にとられてしまうし(そういえば昔出会った「自称合コンの女王」は「自己紹介は短ければ短い程いい」と言っていました)、コース料理だとちょくちょく店員さんが話を遮るし。おまけにshot diagnosis(見た瞬間に診断をするという医学用語です)で、あ、この子の顔と雰囲気好きだな、と思った女性と席が離れていたり誰かにマンツーマンマークされているとお話しが出来無いし。

そこにいる同性たちとの関係によっても、自分の本性がどれだけだせるかは大きく異なりますよね。凄く親しい私のこじらせ男子たちとなら大はしゃぎできますが、全員初めましてでしかも(私が少し苦手な)官僚だったりすると「国会って有事のときにはそのまま飛ぶって本当ですか」とか「ノーパンしゃぶしゃぶ、ビールタクシーときて、次はどんな持ちネタがあるんですか」など突っ込んで苦笑われたのちに、差し障りのない話に終始します。

とはいえ親しい男性4人が集まると変な連携プレーみたいになってもいやらしいし、私はこじらせ男子たちと会うと内輪の話ばかりをしてしまう。

そんな風にして私は毎回毎回、「ちょっとでも良く思われたい」気持ちと、「ありのままでありたい」気持ちが脳内綱引きをしています。それを繰り返した結果、私はある結論に達しました。

それは、

モテようとしないでごく自然体でいると、最もモテる

という結論です。

なんとも皮肉なのですが、どうも女性に対してはそうみたい。私は初対面の女性がいたりすると緊張して汗だくになるのですが、それを隠すために夏には扇子を持ち歩くんですよ。でも、いつかの合コンで物凄いぼろぼろの骨折れ破れかけた扇子を持って行ってしまったことがあって、仕方なくそれで大汗をかいたのをぱたぱたやっていたら、それがむしろ好印象だったと言われたことがありました。

無論これはただの私の経験則なのですが、何人かの女性に聞いてみるとまあ真理のよう。以前cakesに似たお話を「飾るのをやめるとむしろ魅力が増すパラドックスについて」でも書きましたが、あなたの魅力を決めるのはあなたではなく、常に他人なのです。魅力とは人から見た評価のことなので当たり前といえば当たり前なのですが。

ですから私、たまに思うのです。医師という肩書きを抜いて、自分という人間の魅力がどれほどのものなのだろうか、と。医師という肩書きのもつ破壊力と人々のイメージが私という人間そのものをはるかに凌駕してしまうのを嫌うのです。とはいえ好きで白衣を着ているのはこの私ですから、それも含めて私という人間だ、と思うようにはしているのですが。

飲み会などではあんまり職業を言いたくなく、いっその事医師とは言わずに自己紹介をしようとか思いますが、そんなことを考えている時点でかなりドヤ顔な自分も感じます。この辺り、私の心の「医師である嫌悪」と「医師である自尊心」が対立している闇を感じます。いつになったらアウフヘーベンできるのでしょう。

一度実験的にやったことがあります。私の自己紹介を「恋愛コラムニストです。・・・(恋愛コラムニストの話をたくさんしたあと)・・・あと、医者もやってます」と順番を変えてみました。

でも結局は、「え、お医者さんなんですか?なに科ですか?病院どこですか?」とそちらがフィーチャーされてしまいました。うーむ、うまくいかないものです。一度心理実験として医師であることを完全に秘匿して合コンしてみたいものですね。


この記事も投げ銭にいたします。有料部分には私の学会バナシ、がんは遺伝するのか、どう予防するのかという話をちょいと。


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