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2016.6.24cakesウラ話〜平日の夜、休日の過ごし方だけで人生は決まる〜

--この記事は「投げ銭記事」です--

こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。

雨の季節です。

この時期は疲れやすいため、私は少し睡眠時間を多く取るようにしています。普段よりもプラス1時間、あるいは長い時は2時間取っています。かなり長い睡眠時間なのですが、朝眠かったり昼食後に眠気が遅ったり、夜呑んでいて寝てしまうよりははるかにコスパが良いのです。皆さんも、「どうも最近疲れやすい」という方は梅雨の間だけでも睡眠時間を延長してみてください。どうせ23時以降に大したアイデアも出ませんし、inputだってロクに出来ませんから。

さて、本日はcakes週刊記事で

「女性の怒りはポイント制らしいので「女性の怒りメニュー」を作りました」

という記事を掲載致しました。また下らぬものを書いてしまった・・という自己嫌悪が襲うと同時に、誰かが書かねばならぬこと、と自分に言い聞かせもします。

このウラ話では、私がなぜ連載を続けているか、に続き、どう生きるか、という大きすぎるテーマにメスを入れてみました。メスって入れるだけじゃあんまり切れないんですがね。

私の連載は主に医学や恋愛について書いていますが、その最終目標は何かと言うと読んだ人が「幸せになる」ということ。そのアプローチ方法として、男性の女性に対する、あるいは反対の、あるいは同性どうしの理解を深めるために恋愛というナイフを用いて深くえぐり、読者の方が自分という存在をより知るために医学というナイフで本質を切り取るようにしています。

利根川心中未遂事件の公判が行われ、実刑で懲役4年の判決が出ました。認知症の母と病気の父とともに苦しい生活をしていた女性が心中を図り、殺人の罪に問われたというなんとも切ない事件。これからこんな事件が増えるのでしょうね。

こんな世知辛い世で、しかもいつ終わるかわからないこの自分の生をどう生きるか。その答えを探すこと自身が生きることの目的なのかもしれませんが、私の答えは「幸せになること」です。

「幸せになる」。そのために、自分にできることはなんだろうか。

考えてみれば、我々という存在はこの人生において、あまりに自分でどうこうコントロール出来る要素が少なすぎる。容姿や頭脳、どれほど金持ちになるかは半分は生まれた時に決まっているし、生まれてしばらくの間は存在する国やエリアを指定することも出来ない。日本人のほとんどは入れる高校を出て、行ける大学を出て、入ることを許可してくれた企業に入り、そこで与えられたやりたくもない仕事をし、学生時代の友人か会社の同僚か合コンで出会った人と26-32歳の間に結婚し、という人生を送るわけです。

そう考えると極めて多様性のない国、それが我が国です。韓国とブラジルのハーフがフィンランド人と結婚してオーストラリアに住む、なんていうことは日本にいる限りはそうそう起こらない。極めて多様性の小さい我々であった訳です。それでも豊富な国内市場でなんとか飯を食ってこれたのですが、それも少しずつ限界になってきているようです。東大もアジア大学ランキングの順位を大きく落としました。

大学ランキング、東大がアジア首位から陥落 トップはどの大学?

さらにこのページをみればなぜ日本より北京大学やシンガポール大学が上位なのがわかってきます。負けている理由が英語で授業をしていないこと、だけではなく研究のパワー(Research, Citation)でもあることに衝撃を受けましたが・・・

話を戻しますが、我々の存在のほとんどの部分はuncontrolable、コントロール不可能です。人間のすべての要素は「先天的因子(=遺伝)」と「環境因子」にわかれますが、性格も生まれてから10年ほどの環境因子でほぼ決定されてしまうため、残念ながらコントロール不可能です。

これを計算していくと、だいたい人生における90%はコントロール不可能である、となります。そしてどんな病気にかかるか、どのがんにかかるか(日本人の二人に一人はがんにかかり、三人に一人はがんで死亡します)、どうやってその生を終えるのかさえ自分で選び取ることが出来ません。

そしてさらに悲しいことに、残りの10%の「自由に選ぶことができる」ように見える部分でも、営利企業や国家の都合によってそれなりの幸せの確保と引き換えにおおむね他の人と同じような行動をとることになります。controlableな10%には例えば「どんなところに住むか」「何を食べるか」「offには何をするか」がありますが、前の二つは経済状況によって3グループくらいにカテゴライズされ、その中であくまで「おすすめの」マンション、「おすすめの」レストランに行くのです。先々週わたしはすき家でランチをしましたが、そこで多くの家族連れを見ました。先週末は伝説のイタリアンと言われる、各界の著名人ばかりが使うレストランで食事をしましたが、そこにも家族連れはいました。彼らは値段にしてすき家のおよそ50倍ほどの食事をするのです。

格差論をぶつつもりはありませんが、そうやってほとんどの自由のように見えるものは属したカテゴリーの中の小さな振れ幅の中に収束しています。いろいろな企業、国家が期待するような生き方を無自覚のうちにしてしまうわけですね。

私はそれをあまり良しとしません。もちろん定型化された生き方には多くの類似例・先行例がありますから、波乱万丈さと引き換えに安心と安定があります。でも、つまらない。本当につまらない。その幸せは、まるでスープをことこと煮た時の表面の薄い膜のようで、中のスープの旨さを巧妙に押し隠している、そんな気がしてならないのです。私が医師であるのに恋愛コラムニストを自称したり、独身をこじらせたりするのは、定型化された幸せを詰まらないと思っているからであるような気がしています。

たった10%の自由に選択できるエリアを、どう生きるのか。そう言うと大きいテーマですが、これを近寄って見つめるとこうなります。平日の仕事が終わった後の夜に何をするか。休みの日に何時に起きて何を食べ、その日に何をするのか。本を読むのか、映画を見るのか。発信をするのか、しないのか。

こんなミクロなことに、我々がどんな人生を送るか、わずかな自分のコントロールできる領域が残されているのです。平日の夜、休日の過ごし方だけで人生は決まるのです。一生懸命働いた日の夜に、ぼんやりと自室でひとり晩酌をしながら下らぬテレビやネットを見ていませんか。その間にどこかの誰かは人生を変える出会いをし、またある誰かは自分の精神とぎりぎりまで相対しながら魂を削り作品を作っているのです。神は細部に宿る、というのは本当です。

さて、あなたはどうしますか。

初夏に濡れた額紫陽花を見ていて、思ったことを書きました。

この記事は「200円投げ銭記事」にしますが、せっかく購入してくださった方のためにひとつ。「私を含む多くの医師が風邪を引いた時にすること」を書きます。いまね、気温が不安定なせいで風邪が流行っているので。

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