2015.10.16 文通相手と雨の記憶

今日は朝から静かに雨が降り続けている。

絹の糸のような雨の音を聞きながら、僕はあの日のことを思い出していた。


13歳のころ。男子校に通っていた僕は、ある女性と文通をしていた。ほんの20年ほど前のことなのに、文通だなんて随分古風なことをしていたものだ。

文通相手は地元では少し名の知れたお嬢様学校に通う、同い年の女の子。「ごきげんよう」という不思議な挨拶をする、セーラー服の女子校だ。僕がなぜ彼女と文通をすることになったのか、どうやってお互いの住所を知ることになったのかはわからない。どうしても思い出せないのだ。きっと何かの雑誌の文通募集欄かなにかで知り合ったのだろう。

おおよそ月に一度くらいのペースで、彼女からかわいらしい封筒に入った手紙が届いた。今ではどこにあるかわからないけれど、とにかく彼女からは全部で15通以上は来たように記憶している。

手紙にはどんなことを書いていたんだろう。お互いの学校のこと、勉強のこと、親のこと。13歳の少年と少女の世界はあまりに狭い。あまりに狭くって、井戸というよりも金魚鉢くらいの大きさだったのではないかと思う。似たような生活環境であったし、住んでいる町も駅3つくらいしか離れていなかった。お互いに男子校・女子校で、そこそこ裕福な家に生まれ、まだ恋を知らなかった。

文(ふみ)のやりとりを始めて4、5回目に、僕は相手に何も了承を得ずいきなり自分の写真を送った。別に見た目に自信があったわけじゃないし、とてもためらったのだけれど、前もって断りをいれると相手に決めさせることになるし、かといって顔も見られずにどんな男が書いているのだろうと訝しがられるのが嫌だったのだ。えいやと写真を一枚封筒に放り込んだのだ。地元の駅ビルの文具店で汗だくになって一生懸命探した封筒だ。

それから一ヶ月のあいだ、僕は自分の自意識と戦うハメになった。なぜあんなものを送ったのか。ルール違反じゃなかったのか。平和な国の静かな片田舎の、海沿いの小さな町で幸せに暮らす(だろう)彼女のささやかな人生の水面に木の葉を落としたことになりはしないか。その波紋が彼女の水辺を濡らしてしまいはしないだろうか。

会ったこともない、話したこともない文通相手に自分の写真を送った。無断で。ただそれだけのことだったのだけれど、思春期の僕はずいぶんと苦しんだ。なにが正しくてなにが不正なのかもわからなかった13歳のころだ。羽毛のように柔らかい心をガラスのケースに携えて、誰かにそれを奪われやしないか、毀損されやしないかいつも周りをきょろきょろとしていた。

僕の心配は杞憂に終わり、よく月には彼女からきた封筒の中に写真が入っていた。よく晴れた秋の日の、陽の光を眩しがった彼女の写真だ。僕はポストから取り出した封筒をその場でちぎり開け、飛び上がって喜んだ。両親に気づかれないように上気した顔をうつむかせ、そっと自室でその写真をもう一度取り出した。雪のように白い肌は透明で、血脈は透過して僕にも見えるみたいだった。細い髪を風にわずかに揺らせている彼女は、文句なしに美しかった。

美少女と文通をしている。こんなに僕を慰めた事実があっただろうか。思春期に自分のレーゾン・デートゥル(存在理由)に悩まされ、受験戦争を勝ち抜いた微かなプライドが進学校の秀才たちにこなごなに砕かれ、意思とは無関係に押し寄せる性の目覚めに戸惑っていた僕は、ことあるごとに彼女の写真を見た。自室の机の引き出しをあけるとすぐに見えるところに入れておいて、学校から帰ってくるとまずにその写真を見た。写真の中の彼女は、苦しい時には彼女は僕に微笑んだし、嬉しい時には一緒に喜んでくれた。まるで、ではなく、本当に微笑みかけてくれるように感じたものだ。

人間の欲は尽きぬもので、僕は今度は彼女に会いたくなった。どうやったら会えるんだろう。13歳の男子が食事に誘えるわけもなく、デートに連れ出すことなんて想像もつかなかった。デートって言ったって、第一どこに行けばいいのかわからない。僕は手紙にしたためた。

「一度お目にかかりたく思います。ていうか、会おうよ!」

我ながらよく大それたことを書いたものだ。そして僕はまた、悶々とした一ヶ月を過ごす羽目になった。返事は暫く来なかった。中学に通いながら、絶望的な気持ちで待った。とにかく待った。

やがて二ヶ月の間をおいて、返事の手紙が来た。

「こんど私の学校の文化祭があります。そこにいらしてください」

と書いてあった。快哉を叫んだ私は、数週間後のその文化祭に喜び勇んで一人で行った。そして、手紙に書かれた「1-B」という教室におもむき、彼女を探した。心臓が内側からばたんばたんと僕の胸を打ち付けて、吐きそうだった。しかし彼女を発見することは出来なかった。


どうしよう。


迷った僕は、その教室の研究テーマ(なんだったかどうしても思い出せない、地球温暖化とかそんなものだったかもしれない)に強く興味がある風を装って、何べんもその教室の中を歩き回った。あいにく順路はあったが、「ちょっとまてよ、あれはなんだったっけ」というような顔をして頭をかきながらもう一度戻る、なんてことを繰り返した。受付の太ったおさげの女の子が変な目でこちらを見ているのに気づき、もはやこれまで、と教室を出た。

教室の前で僕は天を仰いだ。せっかく会える寸前まで来た。だけど、会えない。もしかして病気でもして休んでるんじゃないか。怪我をしていま治療でもしているんじゃないか。いや、もしかして僕に会うことにしたことを後悔してどこかに隠れているんじゃないか。「この写真の人が来たらまずいの、隠れるからね」なんてあの受付の子に伝えておいて。

うろうろと女子校の石の階段を歩きながら、僕はいろんな可能性を考えていた。どうして会えないんだ。でも、諦められない。13歳の人生でいちばん自分を問われている気がした。こんなことがかつてあっただろうか?

腹を決めた僕は、もう一度彼女のいると目される教室に行った。受付の女の子は幸いにも変わっていて、姿勢のいいそばかすのショートカットの子になっていた。天が味方した。そう思った僕は、ぎゅっと一度左手を握りしめてからその女の子に話しかけた。

「すみません、◯◯さんいませんか」

「いま交代していません。何か伝えましょうか」

「じゃあ、この建物の玄関で待っていると伝えてください」

僕は顔を真っ赤にしてなんとか人生初の交渉を終えると、飛び出るように教室から出た。廊下を通る三人組の男子中学生がにやにやとしていて、僕のこの一部始終をずっと見ていたのではないかと思った。が、勘違いでそのまま通り過ぎた。

その建物の下で、下駄箱を通り出口を出る。秋の陽光が暖かく包み込む。


しばらくすると彼女はやってきた。まっすぐとこっちを見ながら、とても真剣な顔をして歩いてきた。

「こんにちは」

「こんにちは」

僕らは照れのせいか、言葉少なに校内を歩いた。彼女は友人とすれ違うたびに、恥ずかしそうに微笑んだ。ああ、この微笑みだ。彼女の細い髪の毛が、風にあおられ僕の顔にかかった。

彼女とは手紙の内容について話しあった。僕がおじいちゃんと行った海水浴でくらげが出ただとか、彼女の中学ではマフラーが禁止らしいだとか、そんな当たり障りのない話だ。歩きながら僕は手をつないでみたいとか、髪のにおいを嗅いでみたいとか、いろいろ考えていた。彼女の白いすねを見るにつけ、性の萌芽を押し殺すことで精一杯だった。僕は彼女に指一本触れなかった。

5時が近づき、僕は学校から出なければならなかった。彼女は校門の近くまで送ってくれた。はにかんで微笑み、「またお手紙くださいね」といって手を振った。それが彼女との、最初で最後の邂逅だった。

それから僕はまた彼女にせっせと手紙を書いた。彼女は少しずつ僕の返事を遅らせていった。僕の返事から三ヶ月くらい経ったある日に、毎日覗いたポストに元気のない封筒をみつけた。たまらずポストから取り出したその場で封筒をちぎって開けた。

「病気になってしまいました。お母さんも病気です」

便箋に、静かに雨が降り字をにじませた。


それきり彼女から返事が来ることはなかった。

彼女はいまどこで何をしているのだろう。生きているのだろうか、もういなくなってしまったのだろうか。そんな20年前の、雨の思い出。





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