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「スパイダーマンって原作あるの?」日本の邦訳コミックが少ない理由【アメコミVS漫画】

こんにちは! ドラグティガプロジェクト代表の西村 虎次郎です!

前回は漫画とコミックの違いと、その2つを混同している日本の現状について解説しました。今回はその2回目になるので、そちらを読んでいただくと、よりこの記事の内容がわかると思います。

今日は漫画とコミックを同一視することについて、どんな弊害が出ているのかを、できるだけ分かりやすく解説していこうと思います。

「え? スパイダーマンって原作あるの?」

コミックを作る企画をしていると、割と頻繁に聞かれることがあります。

「コミックと漫画って何が違うの?」
「アメコミって例えばどういうのやつ?」
「え、○○って原作の漫画あったの?」

などです。アメコミを読まれている方なら、同じような場面に遭遇したことがあるのではないでしょうか?

多くの日本人はスパイダーマンやバットマン、スーパーマンも映画は知っているけど原作の存在は知らない。知っていても読んだことはない、という方がほとんどだと思います。

近年、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)など、アメコミを原作とした映画作品が人気を博していますが、マンガ大国であるここ日本において、原作コミックはまだまだ知名度が低いままです。

なので、「○○って原作の漫画あるんだ」と言われることは仕方ないことではありますし、もう慣れっこではあります。

ただ、このコミックの知名度問題を改善しないことには、コミックファンとしては少し困った状況になってしまうのです。

「アメコミ」という言葉のまやかし

前回言った通り、日本ではコミックと漫画を区別していません。
「少年コミック」や「青年コミック」と掲げられた書店の棚にはコミックはなく、漫画が所狭しと並べられています。

しかし、それの何が問題なんでしょうか?
日本にあるコミックのほとんどはアメリカンコミック、つまりアメコミです。アメコミを置いている書店は少ないですが、大きな町の本屋さんには、たまに「アメコミ」の棚や「海外コミック」というコーナーに本当のコミックが置かれていたりします。

つまり、日本で漫画のことをコミックと呼んでいたとしても、それとは区別して「アメコミ」という呼称を使っている限り、何も問題の内容に見えます。

ただ、このことが一番の弊害なのです。

アメコミをGoogleで画像検索してみると、「POW!」や「BOOM!」といった効果音と吹き出し、そしてやけに厚塗りで原色バリバリな絵が出てきます。アメコミの世界ではゴールデンエイジといわれる歴史区分の、ずいぶんと古めかしい絵柄です

厚塗りであることや、英語の効果音などは、コミックの特徴の一部分を取り出したに過ぎません。前回紹介したコミック独特のストーリーテリングや、読み進めるテンポなどはまだまだ伝わっていないのです。

それもそのはず、「コミック」という言葉を「漫画」と同一視していれば、「アメリカンコミック」も「アメリカで作られる漫画」という認識でしかなくなります。結果、コミックの本来の価値が、漫画とは全く異なるという認識は生まれなくなってしまうのです。

日本がコミックを「アメコミ」という酷く曖昧なジャンルに追いやることで、既存のコミックファンは悲しみ、漫画を読むユーザーは一向に本当の意味でコミックの存在を知ることはありません。

潜在顧客を獲得できていない

ごめんなさい、ここからちょっとだけビジネスっぽい話をします。
とはいえコミックの話なので、難しく考えないでください。

しつこいようですが、ここで「漫画」と「コミック」の表現媒体としての違いをもう一度整理しておきましょう。



漫画
・長期連載(話数が多い)
・モノクロ
・情報量が少なく、テンポが速い
・感情表現、アクションシーンなどに向いている
・ドラマに近い


コミック
・一巻完結
・フルカラー
・情報量が多く、1ページ読むのにかかる時間が多い
・纏まったストーリーを描くのに向いている
・映画に近い

表現方法がこれだけ違うと、当然のごとく読者の体験もまるっきり違ってきます。少し気取った言葉でいえば、「ベネフィット(※顧客が得られる価値、効果)」が変わるのです。

つまり、漫画は別に読みたくないけど、コミックは読みたい(逆もしかり)という場合が出てきます。ちょうど「今はバターがたっぷりの洋風なピラフが食べたい口だから、ニンニクたっぷりな中華の炒飯はちょっと……」といった具合です。
ピラフと炒飯のように2つは互換関係になく、代用することは出来ません。

本来であれば「バター風味の洋風な米料理が食べたい」、厳密に言えば「バター風味の洋風な米料理を食べた時の感情や、空気感を味わいたい」と思えば、当然のようにピラフを注文しようと考えます。
しかし、炒飯のことをピラフと呼ぶ不思議な国ではどうでしょう? そもそもその国の人は、「バター風味の洋風な米料理」の存在を知らず、ピラフという言葉で思い浮かぶのは「ニンニク風味の米を使った中華料理」です。炒飯では代用できません。

不思議の国に住む彼らの、「バター風味の洋風な米料理を食べた時の感情や、空気感を味わいたい」というニーズは答えられることはなく、ニーズが存在することすら知られないのです。

周りくどい言い方になってしまいましたが、要は漫画とコミックを同一視しているこの日本では、コミックという漫画以外の選択肢が消費者に与えられることがないということです。

これは大変もったいないです。
コミックの知名度が低いせいで、日本のコミック市場は本来顧客になるはずのセグメントをゴソッと取りこぼしているのです。

邦訳アメコミの数が少ない

もう既にコミックの魅力を知り、沼にズブズブと入ってる同志の方の中には、こんな風に思う人もいるかもしれません。

「人にコミックの魅力が伝わんなくたって別にいいじゃん。俺たちは俺たちだけでよろしくやれてるんだし、無理に知ってもらう必要ないよ」

と。
確かに僕たちだけでコミックの魅力を共有し、独占している状況に問題はないように見えます。というより、その方が「自分だけ分かってる感」が得られて良いのかも。

でも、もし知名度がないせいで、僕達が読める邦訳コミックの数が限られているのだとしたらどうでしょう?

日本には海外のコミックを邦訳して出版している企業がいくつかあります。
その中でも代表的なのが、次の2社です。

ShoPro Books(小学館集英社プロダクション) 

ヴィレッジブックス

定期的に邦訳コミックを出版してくれている、コミックファンにとってはとても頼もしい2社です。もう、僕なんかはとても頭が上がりません。

映画のヒットもあり、邦訳コミックの数が徐々に増えてきていはいます。
しかし、本国アメリカで出版されている全てのコミックが邦訳されているわけではありません。

全て邦訳するにはタイトル数が多いという理由もありますが、それ以上にコミックの知名度が低い日本でコミックを出版しようとすると、映画化が決定された作品や日本に所縁のある作品など、確実に売れそうなタイトルから邦訳していくしかないのです。
それ以外のコアなファン以外に売れるかどうか分からない、マイナーな作品や古い作品は、なかなか邦訳されづらい状況にあります。

時には本国で出版されてから何年も時間がたってからようやく邦訳されるなど、読みたいコミックはあるのに邦訳されるまで待たなければいけません。

複数の作品やキャラクターが一つの世界を共有していたりするアメリカンコミックでは、この時間差は致命的です。邦訳を待っている間にも、本国ではどんどん作品タイトルが増えていき、そのレーベルの世界やキャラクターの関係図も変わってしまいます。

これを解決するには、もっとコミックの知名度を増やし、日本において需要を作り出す必要があるのです。

日本でコミックを作っちゃおう!

そこで僕たちが考えたのが、日本で漫画ではなくコミックを作ったらどうか、ということでした。

日本で作るので「アメリカンコミック」という分類には入りません。
しかし、作り方は完全にコミックなので「漫画」でもありません。

言うなれば「ジャパニーズコミック」です。

漫画でもアメコミでもない作品を発表することで、日本人の中で同じものだと捉えられていた「漫画」と「コミック」という言葉を、別のものという認識に分離することができるのではないかと考えたのが、この「DRAGTIGA PROJECT(ドラグティガ・プロジェクト)」なのです。

今日は以上にしましょう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回は僕たちドラグティガプロジェクトが、今までどんな歩みを進めてきたのかを、皆さんにご紹介できればと思います。

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