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皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.3〜左遷される〜


全くオーダーのこない焼き場

寿司バーには僕を除き全部で4人のシェフがいました。
日本人は僕一人で他はみんな中米人です。
寿司カウンターの広さ的に4人立つのが限界で金土は全員出勤になるので寿司バーは埋まってます。
そんな中僕は焼き場の前で立つわけですがやることがありません。寿司バーが忙しい中やれることがなかったのでひたすら皿洗いの人が洗ったお皿を戻したりしていました。正直気まずくてキッチンの中で皿洗いしてたほうがマシでした。

そんな中、別店舗へ飛ばされる

働き始めて半年が経った時、他店舗の持ち帰り寿司屋で一人辞める人が出たため週3日そっちで働くことになりました。オーナーには「やっとお前に給料出す価値ができた」と言われましたが、僕は余り物だったのでその通りでした。笑
とにかく自分の居場所がなかったので異動できて嬉しかったです。
そこは小さい店ですがフィリピン人と働きました!

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日本のスナックやお米にドリンクなども売ってました。

オーダーの量がえげつなかった

こんなに小さい店ですが歴史は古くホテルや大使館からのオーダーが頻繁に来ていました。早いときは朝4時に来て午前までに巻物何百本、握り何千貫と受けてたので寿司のスピードはここで培ったと思います。

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フルーツ寿司なんかもありました

最初に働いてた店が移転へ

ちょうど一年経とうとしてた頃、最初の店舗が近くへ移転する事になりました。
営業最終日は20年以上近所で愛され続けてきたお礼も含めて寿司もキッチンメニューも低価格で食べ放題でした。大雪が降っていたにもかかわらずお客さんは沢山来てくれました。

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営業最終日に寿司シェフと

新店舗オープンまで1ヶ月以下の予定が3ヶ月かかる

アメリカの工事は大体うまくは行きません。
僕はこの時、運がいいことに2店舗目で働けたので仕事を失わずにすみましたが他のシェフはこの3ヶ月間ひたすら待ってたみたいです。
ただこれを機に抜けた人もいるわけで環境が変わって僕のチャンスも巡って来たかもしれません!

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新店舗では備長炭で焼き鳥をやることに!

Vol.4へ続く!

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