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【物語はキャラがいのちである 】『魔法少女まどか☆マギカ』とともに小池一夫のことを空想する

 こんにちは。ザムザといいます。
 わたしは先日、自分の部屋を掃除しました。
 部屋の壁にはおよそ8年ほど前から張りつけているメモ書きがあります。このたびの掃除では、それもすべて整理してしまおうという魂胆でした。
 
 話が変わりますが、2019年4月17日に作家の小池一夫さんがお亡くなりになられました。個人的には池上遼一先生が作画を担当し、漫画原作者として小池さんが担当していた漫画作品『サンクチュアリ』のイメージが大きいです。

 小池さんの訃報ののち、部屋の壁に貼られていたメモ書きのなかに、わたしは小池一夫の考えが書かれたメモを見つけました。
 わたしは、そのメモ書きを見ながら、小池一夫という人物を想像してみました。

 …などと、やっているうちにひとつのアイデアが起こります。せっかくメモをしたものでしたから、追悼の意味も込めて、わたしはそのメモ書きから小池一夫さんの会話を再生してみることにしよう!──と。
 以下で書かれるのはひとつの空想です。

 話題は物語について。『魔法少女まどか☆マギカ』のおもしろさを取っ掛かりに、小池一夫さんの考えをまぜこんでみました。あくまでも空想ですので、小池一夫さん本人のお考えとは必ずしも一致していません。ご了承ください。

『魔法少女まどか☆マギカ』と〝心地いい裏切り〟

K:こんにちは。
G:こんにちは。よろしくお願いします。
K:今日は物語について話しあいましょうか。
G:望むところです。
K:話の切り口としてはですね、ちょっと前に話題になってた『魔法少女まどか☆マギカ』(以下『まどか☆マギカ』)ってあるでしょ、あれについて触れようと思うんですが、見られましたか?
G:ええ、もちろん。おもしろいアニメでしたよね。
K:そう、大ヒットですよ。何かしらおもしろい物語だったからこそヒットしたことはたしかです。そこで今日は『まどか☆マギカ』のおもしろさを手掛かりにして話を広げていけたらなと考えています。
G:わかりました。
K:さっそくですがわたしはいつも、ひとが物語に求めているもののは「心地いい裏切り」だと考えているんですが、『まどか☆マギカ』の作品にはまさにそれがあったように思います。
G:裏切りですか。なるほど。ぼくもさいしょこそありがちなアキバ系の魔法少女モノかと思っていたんですけど、第三話で魔法少女のひとりが大変なことになって、それに視聴者がズバッとやられちゃうんですよね。あの感じはまさに視聴者が物語に裏切られたと言っていいでしょうね。
K:あれね、第三話まで見てようやく作品の雰囲気というか、物語としての世界観が明かされるんですよ。第一話の導入部分で世界観を明かさないでいる。
G:第一話でなんとなく雰囲気をつかんだつもりになったとしても、それはうわべのものでしかない。第一話で説明しちゃわないで、ただ世界を見せる。それから第二話で説明を入れて、第三話で意外性を見せる。そこまででようやく「この物語はこういう世界観なんだ」と視聴者が気づくようになっているんですよね。Kさんの「心地いい裏切り」って言いかたからすれば、視聴者がいだきはじめていた作品のイメージを、裏切る。そこが『まどか☆マギカ』のおもしろさの大きな部分でしょう。
K:それまで作品への導入として語られてきたこと以外の、いわば例外的な出来事がじっさいに起こりえるものとして視聴者に見せるんですよね。それが第三話の役割だった。
G:起こりえそうもなかった例外がじっさいに起きちゃうんですね。魔法少女モノっていうファンシーな世界にとっての例外はなにより現実的な出来事でなくちゃいけない。じゃないと視聴者は想定済みの驚きしか味わえないですから。『まどか☆マギカ』だとその現実的な出来事に〈魔法少女の死〉を持ってきている。あれはあのアニメのキャラクターのかわいらしい絵柄も相まって視聴者はド肝を抜かれます。
K:心地いいかはひとによるかもしれないけど、間違いなく視聴者は裏切られる(笑)
G:ズバッと(笑)
K:主人公の鹿目まどかは「魔法少女」という不思議な存在にこころ惹かれています。ところが「魔法少女」は魔女との戦いのなかで死んでしまうかもしれないということがわかる。たとえ魔法少女になることの意義は理解することができたとしても死は理解できるものではありません。あまりにも現実的なことですから。そこに鹿目まどかも視聴者もギョッとさせられるんですね。
G:「魔法少女モノ」ってのはアニメだけじゃなくてもマンガやゲーム、ときには小説でも取りあげられてきていますんで、わざわざ説明なんかしなくても視聴者はどういう存在なのかわかっているんですよね。そういう理解をしている人々のうちに主人公の鹿目まどかや他の登場人物たちもいて、だからこそ魔法少女として選ばれることに惹かれもする。ところが鹿目まどかにしろ視聴者しろ、魔法少女という空想的な存在に現実的な死がおとずれるものだとは思っていない。そりゃあ魔法少女が負けてしまったらどうなるのだろうかと想像したりはしているかもしれませんが、物語のなかでじっさいに悲惨なことが起こるものだとは思っていないんですよ。だからこそ物語の造り手はそこに隙を見つけて、仕掛けをつくることができる。
K:視聴者が期待しているところにオルタナティブな展開を持ってくることは作話・作劇の基本にして奥義です。


『魔法少女まどか☆マギカ』と〝キャラのルール化〟

K:『まどか☆マギカ』について語ろうとするとキャラにも目を向ける必要があります。わたしは「キャラありきのドラマ」だという立場なのですが、キャラに注目してみると『まどか☆マギカ』の物語としてのできの良さが別の視点から見えてきます。
G:魅力的なキャラが多いです。
K:はい。キャラが良くできているからこそ物語が展開していくことでキャラも発展していくことができるんです。
G:キャラを深掘りしていくとも言いますね。
K:そうです。キャラは重要です。いちばん重要だと言ってもいいかもしれません。『まどか☆マギカ』をキャラに与えられている役割に注目してみると、キャラが宇宙のルールを象徴していることがわかります。物語のなかでキュウべえという小動物じみたエイリアンが出てきます。キュウべえと契約をすることで少女は魔法少女になることができる。けれどもこのキュウべえはさいしょこそ魔法少女の味方のように見えるけれど、だんだんと正体が怪しくなってきますね。とくに第三話の、〈魔法少女の死〉のあとでは、なかば悪魔のごとき存在のように見える。不気味な演出が多くなってきます。魔法少女になることは悪魔と契約することにも似たことであるかのように見えます。『まどか☆マギカ』は魔法少女と魔女との戦いをさいしょに物語の世界として見せますが、その背後にある世界観としてはキュウべえのキャラに象徴されるルールがあります。社会のルールなどよりも大きな、宇宙のルールが。宇宙のルールというのは、そもそもの話で魔法少女と魔女の戦いがキュウべえによってもたらされているという話でもありますし、キュウべえの種族が必要としているエネルギーが宇宙に存在していることにも由来しています。そのような宇宙のエネルギーと魔法少女と魔女との戦いのあいだに立っているのがキュウべえなんですよね。キュウべえは宇宙のルールの代理人のような位置にいます。
G:こう言ってよければ、マッチポンプなんですよね。一方では魔法少女を手助けするふうでいて、もう一方では魔女を生産するっていう。片や焚きつけて、片や消化する。作中で「円環の理」ってキーワードがでてきますが、Kさんの話を聞いていたらキュウべえが象徴しているルールの名前が「円環の理」なのかもしれないなと思えてきました。
K:Gさん、『まどか☆マギカ』の最後は覚えてる?
G:はい。もちろんです。鹿目まどかが魔女を抑止する概念になるんですよね。そのおかげで人類が何千年と繰り返してきた魔女との戦いの歴史に終止符が打たれることになりました。
K:そう。あれってさ、キャラがルールを象徴しているって点で言ったら、キュウべえの位置に主人公の鹿目まどかがなったと見ることができると思うんだよね。つまりキュウべえによって象徴されていた宇宙のルールを鹿目まどかの願いが書き換えたっていうふうにさ。とはいえ「円環の理」であることには変わりがないんだけれど。
G:たしかに。第一話と最終話とでは『まどか☆マギカ』の世界観が書き変わってますもんね。魔法少女と魔女の戦いの裏にキュウべえというフィクサーがいたところからはじまって、最後は鹿目まどかが魔女の概念を消してしまって「魔法少女とキュウべえの関係のフィクサー」になっていると見ることができそうです。
K:そう、だからキャラの役割に注目してみると『まどか☆マギカ』は「キャラのルール化」の物語なんですよ。


物語におけるキャラの重要性

G:考えてみると『まどか☆マギカ』には絶対的な悪がいませんよね。どのキャラにしてもちゃんと事情がある。魔女は悪者のようですが、魔女をどうにかしたいという魔法少女のなれのはてだとわかります。キュウべえにしても自分たちの種の存続を賭けて少女たちを魔法少女にしてきました。どの悪そうなキャラを見ても、よく見れば〝しかたなくやっている〟ようにさえ思えなくもないんですよね。
K:それは物語のおもしろさを考えるうえでのひとつのカギかもしれません。「悪いヤツだから悪いヤツ」って考えかたは頭が悪いでしょう。そんなキャラがいたとしても物語がおもしろくなることに奉仕してくれるところがないように思います。キャラの性格をエピソードで書きこんでいくことが物語ですから、一面的なキャラ設定はあまりにもリアリティに欠いてしまいます。
G:Kさんはよく「悪役には欠点、主役には弱点がなければいけない」と言っていますよね。
K:はい。それはキャラの魅力だけでなく物語の魅力にもかかわることです。例外もありますが、すべての物語はネガティブなところからポジティブなほうへと展開していくようになっています。物語にとっては何かが起きる必要があります。でなければ物語られるに値しません。そのためにはキャラが行動を起こす必要があります。もしくは事件に巻き込まれるなどして。行動にしろ事件にしろ、キャラの欠点や弱点が重要になってきます。
G:なぜ悪役には欠点で主役が弱点なんですか?
K:キャラありきのドラマにとっては、Gさんもおっしゃったようにそれぞれのキャラになんらかの事情が必要です。なので悪にはそうならざるを得なかった事情がいる。逆に、悪に立ち向かうことになる主役の側には、相手がただ悪だからといって立ち向かっていくのはあまりに歯切れがよすぎます。主役には弱さが必要です。弱さというのは悪へと立ち向かうことへの弱さのことです。
G:なるほど。安定したキャラというのは魅力的ではないんですね。むしろ不安定さをかかえているほうがいいと。
K:物語には動きがなくてはいけません。起承転結や序破急です。それがあるからこそおもしろいんです。そして動きができるためにはキャラが動いてくれなくてはいけません。安定していてはキャラは動いてくれませんからね。それと、方法としては作者の都合で動かすこともできるのですが、キャラの動きかたとしてはそれはあまりよくありません。理想的なのはキャラが自分で動くことが大切です。
G:キャラが自分で動きだすために欠点や弱さがあるんですね。
K:そうです。たとえばキャラがある状況に置かれたときに、悪役は自分の欠点のために何かをしでかしてしまう。主役の場合は自分の弱さのために失敗をして後悔したり。いずれもキャラの事情から物語に動きが与えられることになります。
G:よく物語を評価する言葉に「葛藤がよく描けている」という言いかたがありますが、あれもキャラが欠点や弱点を持っているということなんですね。だからこそキャラは葛藤する。いや、〝葛藤してくれる〟と言ったほうがいいかもしれません。
K:身も蓋もないですが、物語作者はいかにしてキャラにストレスを掛けるかに悩んでいると言っていいでしょう。だからかな? おもしろい物語を書くひとには意地の悪いひとが多い気がします。
G:ご自分はどうですか?(笑)
K:ご想像にお任せします(笑)


物語にとって理想の主人公とは?

K:そろそろ時間になりますが、Gさんは何か気掛かりなことはありますか?
G:気掛かりなことですか。そうですね。さきほどKさんは物語にとって理想的なのはキャラが自分で動いてくれることだとおっしゃっていましたが、それなら物語とって理想的な主人公というのはどういったキャラになるのでしょうか? もちろんなんらかの欠点や弱点があるというのは大前提でしょうけど。
K:むずかしい質問だね(笑) そうだなあ。......Gさんはどうなんですか? ひとの考えかたを聞いたほうがこっちの考えかたもはっきりするかもしれないので、ぜひ聞いてみたいです。
G:困らせようと思ったらこっちが困ることになってしまった(笑) そうですね。どうなんだろう。ぼくの考えだと〝物語のありかたによって〟ですかね。これが理想の主人公ですというふうには言えないと思います。どんな物語にでも通じる普遍的な定義をしようにも、物語のほうがそれを拒んでしまうんじゃないかな。なので「あらゆる物語にとって理想的な主人公はいない」というのがぼくの答えです。
K:ずるい答えですね(笑)
G:はい。だからこそお教えいただければと思います(笑)
K:しかも「そんな主人公はいません」っていう答えかたができなくなってしまった(笑) ......そうですね。自分が長いこと物語づくりにたずさわってきたことや、自分が接してきた物語経験などから言うと、理想的な主人公は作者である自分を超える人物であることが大切なんだと思います。自分にはできないこと、たとえば悪をまえにして武器を手に取り、それを振るえること。そこには明確な覚悟があって、覚悟はキャラをうしろに引かせないんです。物語のなかでキャラをまえへと進めるんです。はじめからそんなに強い人物である必要はありません。けれども、物語の枠のなかで覚悟を得ることができるようになるんです。それは作者自身とは一致しません。しかし作者のうちにある可能性のひとつではあると思います。なので理想的な主人公は、物語をつくる作者自身を超えるポテンシャルを持っていること、ですかね。
G:ありがとうございました。ひとつよろしいでしょうか。「作者のうちにある可能性のひとつ」が主人公だとすると、物語作者は作者の個性以上のものは描けないということになるんですか?
K:いえ、そんなことはありません。わたしが言う「作者」はもっと歴史的なものです。それはひとりの人間が生まれてから死ぬまでの生活のなかで出会ったことの全体を言い表すものではないのです。作者は、彼の意志を超えた人類の歴史、もっと言えば宇宙の成長をどこかしらのうちに反映するものだとわたしは考えています。なのでひとりの作者のうちにある可能性のひとつと言えど、それはこの世界全体の可能性のひとつとして表現できるものだと思うのです
G:なんだか物語作者は予言者みたいですね。
K:物語を書いておいて何の予言もしていないってのは異常ですよ。……おっと、もう時間ですね。では、今日はありがとうございました。
G:こちらこそ、勉強になりました。


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