『存在と時間』を読む Part.27

 第5章 内存在そのもの

  第28節 内存在を主題とした分析の課題

 これまで世界内存在の3つの契機のうち、「世界内」と「存在者」という契機について考察されてきました。そしてこの第5章では、第3の契機である「内存在」について考察されます。これらの3つの契機を考察し終えることで、現存在の世界内存在という存在様態についての洞察が深められ、こうした考察によって、世界内存在の構造の全体性を、現象学的なまなざしのもとにもたらし、点検することになります。

 『存在と時間』の究極の目的は、存在そのものとその意味についての問いとしての存在論であり、その考察の手掛かりとして、現存在という存在についての存在論的な考察が重要なのでした。ハイデガーはこうした考察を「基礎存在論」と名づけ、これにおいて世界内存在について、その全体性を明らかにすることを目指しているのです。基礎存在論の対象として現存在が選ばれた理由については、すでに序論においても語られていましたが、この節では次のように言われます。

Die ontisch bildliche Rede vom lumen naturale im Menschen meint nichts anderes als die existenzial-ontologische Struktur dieses Seienden, daß es ist in der Weise, sein Da zu sein. Es ist >erleuchtet<, besagt: an ihm selbst als In-der-Welt-sein gelichtet, nicht durch ein anderes Seiendes, sondern so, daß es selbst die Lichtung ist. Nur einem existenzial so gelichteten Seienden wird Vorhandenes im Licht zugänglich, im Dunkel verborgen. Das Dasein bringt sein Da von Hause aus mit, seiner entbehrend ist es nicht nur faktisch nicht, sondern überhaupt nicht das Seiende dieses Wesens. Das Dasein ist seine Erschlossenheit. (p.133)
存在者的な比喩として、人間のうちに<自然の光>があるという言葉が語られることがあるが、これが示しているのは、みずからの<そこに現に>を存在するというありかたで”存在している”この存在者の実存論的かつ存在論的な構造にほかならない。この存在者が「照らしだされて」いるということは、自己において世界内存在”として”明るくされているということである。すなわち他の存在者によってではなく、みずからが明るみ”である”ために、明るくされているということである。実存論的にこのように明るくされている存在者にとってだけ、手元的に存在するものが光のうちで近づきやすいものとなり、暗闇の中では隠されたままとなるのである。現存在はみずからの<そこに現に>をもともと携えているものであり、これなしでは事実として存在しなくなる。それだけではなく、そもそもこのような本質をもつ存在者でなくなるのである。”現存在はおのれの開示性なのである”。

 現存在には「自然の光」のようなものがそなわっていて、みずからを照らしだすという特性があると言われています。「現存在はみずからの<そこに現に>をもともと携えているものであり、これなしでは事実として存在しなくなる。それだけではなく、そもそもこのような本質をもつ存在者でなくなるのである」。現存在には、現存在ではない存在者の考察を経由しなくても、みずからのうちから、自己を解釈するための手段をそなえているのです。「この存在者が<照らしだされて>いるということは、自己において世界内存在”として”明るくされているということであ」り、これはつまり「他の存在者によってではなく、みずからが明るみ”である”ために、明るくされているということ」なのです。
 「明るみ」と訳すドイツ語は >Lichtung< であり、「明るくされている」は >gelichtet< です。どちらも「光」を示す名詞 >Licht< という語を語源とした「照らす」という意味の動詞 >lichten< の活用形あるいは派生語です。この現存在を照らしだす「光」は、神的な光のように超越的な場から照らす光ではなく、現存在から来る光です。現存在にはみずからを照らすという開示性がそもそもそなわっているのであり、「”現存在はおのれの開示性なのである”」のです。

 この章は「内存在そのもの」を考察することを目的とします。すでに第12節において、実存カテゴリーとしての「内存在」と、眼前的な存在者である事物に適用されるカテゴリーである「内部性」の存在論的な区別が考察されていました(Part.11参照)。これら2つの違いは、その空間性に示されています。たとえば椅子は部屋という空間のうちに眼前的に存在し、現存在がこれを眺めることで、その位置が客観的に決定されます。
 これに対して現存在は、そのうちにつねにまなざしをそなえている存在者であり、現存在の空間的な位置は、「ここ」あるいは「あそこ」として、現存在の視点から決定されます。現存在 >Dasein< とは、「そこにある存在(>Da-sein<)」であり、この >Da< とは、「ここ」や「あそこ」を意味します。この「そこに現に(>Da<)」こそが、現存在の特性なのです。

Das Seiende, das wesenhaft durch das In-der-Welt-sein konstituiert wird, ist selbst je sein >Da<. Der vertrauten Wortbedeutung nach deutet das >Da< auf >hier< und >dort<. Das >Hier< eines >Ich-Hier< versteht sich immer aus einem zuhandenen >Dort< im Sinne des entfernend-ausrichtend-besorgenden Seins zu diesem. Die existenziale Räumlichkeit des Daseins, die ihm dergestalt seinen >Ort< bestimmt, gründet selbst auf dem In-der-Welt-sein. Das Dort ist die Bestimmtheit eines innerweltlich Begegnenden. >Hier< und >Dort< sind nur möglich in einem >Da<, das heißt wenn ein Seiendes ist, das als Sein des >Da< Räumlichkeit erschlossen hat. Dieses Seiende trägt in seinem eigensten Sein den Charakter der Unverschlossenheit. Der Ausdruck >Da< meint diese wesenhafte Erschlossenheit. Durch sie ist dieses Seiende (das Dasein) in eins mit dem Da-sein von Welt für es selbst >da<. (p.132)
本質的に世界内存在によって構成されている存在者は、それ自身がそのつどみずからの「そこに現に」”である”。わたしたちが親しんでいる語義によると、この「そこに現に」とは、「ここ」や「あそこ」を意味する。「ここのわたし」と言ったときの「ここ」はつねに、手元的に存在しているものの「あそこ」から、みずからを理解しているのであり、<あそこ>へと<距離を取り>ながら、<方向づけ>を行いつつ、配慮的に気遣っている存在として、みずからを理解しているのである。現存在の実存論的な空間性が、現存在にそのようなしかたでその「場所」を定めているのであり、この空間性そのものは、世界内存在に基礎づけられている。<あそこ>とは、”世界”内部的に出会うものの規定性である。「ここ」と「あそこ」とは何らかの「そこに現に」において初めて可能になる。すなわち「そこに現に」の存在として空間性を開示している何らかの存在者が存在しているときに、初めて可能になるのである。この存在者は、みずからのもっとも固有な存在のうちに<閉ざされていない>という性格をそなえている。「そこに現に」という表現は、こうした本質的な開示性を示すものなのである。この開示性によってこの存在者、すなわち現存在は、世界がそこに現に存在していることとともに、みずからに向かっても、「そこに現に」存在しているのである。

 現存在は手元的な存在者に配慮的な気遣いを向けることで、「あそこ」にある手元存在者との空間的な<距離を取り>、その存在者への<方向づけ>をしながら、それに基づいて自己を理解しています。辞書は私が語の意味を調べるためのもの、パソコンは私が記事を作成するためのものです。これらの事物との関係で、私は自分がこれからこのnoteを作成すること、私とはそのような活動をしようとする現存在であることをすでに了解しています。すべての自己理解は、単独での自己だけでは行われず、世界にある事物や道具との関係のうちで獲得されるのです。

 この現存在の「そこに現に」に含まれる独特な性格は、現存在の「自然の光」として、現存在自身と現存在が環境世界のうちに配置しているさまざまな手元存在者との関係から生まれるものであり、世界内存在とは、そのように世界において存在するありかたのことです。ただし、世界のうちに配慮しながら没頭する現存在は、反対に世界のさまざまな事物の側から、自己を解釈しがちであるという存在論的な問題が生まれます。この世界に没頭した現存在のありかたへの考察が、第5章での頽落と世人の考察の土台を構築することになります。

Die Konstitution dieses Seins soll herausgestellt werden. Sofern aber das Wesen dieses Seienden die Existenz ist, besagt der existenziale Satz >das Dasein ist seine Erschlossenheit< zugleich: das Sein, darum es diesem Seienden in seinem Sein geht, ist, sein >Da< zu sein. Außer der Charakteristik der primären Konstitution des Seins der Erschlossenheit bedarf es gemäß dem Zug der Analyse einer Interpretation der Seinsart, in der dieses Seiende alltäglich sein Da ist. (p.133)
この存在のこうした構成を明確に取りだす必要がある。しかしこの現存在という存在者の本質は実存なのであるから、「現存在はおのれの開示性”である”」という実存論的な命題は同時に、現存在にとっておのれの存在において問われているその存在が、みずからの「そこに現に」を存在することを意味しているのである。これについて解釈するためには、開示性の存在を第1義的に構成するものがどのようなものであるかという性格づけを行う必要がある。さらに分析が進められるとともに、この存在者が”日常的に”おのれの<そこに現に>であるという存在様式をとっていることについても、解釈する必要がある。

 はじめの引用文の最後の行に「”現存在はおのれの開示性なのである”」と書かれていますが、そこには次のように欄外書き込みが付されています。

Dasein existiert und nur es; somit Existenz das Aus- und Hinaus-stehen in die Offenheit des Da: Ek-sistenz. (p.442)
現存在は実存し、実存するのはただ現存在だけである。すなわち実存とは、<そこに現に>の開かれていることへと出で立ち、その外において立つこと。実-存(エク・システンツ)である。

 実存とは、「<そこに現に>の開かれていることへと出で立ち、その外において立つこと」であり、現存在は<開かれていること>(開示性)である存在者です(エクシステンツについてはPart.8参照)。このような性格をもつ現存在は、「おのれの存在において問われているその存在が、みずからの<そこに現に>を存在することを意味している」ような存在者だと言われるのです。
 このようなみずからが開示性である現存在の「そこに現に」を考察するには、現存在の実存というありかたに注目して、現存在は世界においてどのような形で実存しているかを考察する必要があるでしょう。それだけではなく、日常性に注目して分析を進めるというハイデガーの方針にしたがって、現存在が世界において日常的にどのようなかたちで存在しているかも考察されます。A項「<そこに現に>の実存論的な構成」では、現存在をその本来の実存という観点から考察することを軸とし、B項「<そこに現に>の日常的な存在と現存在の頽落」では、それが非本来的に頽落しているありかたを分析することに重点を置くことになります。
 A項の分析は、「語り」「情態性」「理解」という大きく3つの契機に分けて考察されます。このうち、古代ギリシアで人間が言葉をもつ動物として定義されたように、現存在の実存としてのありかたをもっとも明確に表現するのは「語り」という概念です。この「語り」という契機によって、情動的な存在特性である「情態性」という契機と、世界を認識する「理解」という契機が規定されています。


 今回はここまでです。次回はA項に入り、3つの契機のうち「情態性」について考察されることになります。

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