出る杭は打たれるーこれが日本の教育界で秀でた教員を潰してしまうのでは? Part1

 ちょうど、肌寒くなったこの頃。子どもの国立中学の門をくぐり、担任の先生との三者面談の控室で、しんとした空気の冷たさを感じて順番を待っていました。前の生徒さんが終わったようです。

 面談室のドアを開けると、中学3年の担任の30代後半のS先生が、私を見るなり、開口一番、「やっと博士号、取れました!」
頬を紅潮させ、少年のように本当に嬉しそうに仰いました。

「まぁ、本当ですか!それは、本当におめでとうございます!」
「なかなか、この話ができる方って、居ないんですよ。」と。S先生には、
拙著を謹呈したことがあり、私に博士号の学位があることをご存知だから。
「先生、やりましたねぇ!とうとう!」「ハイ!!」
「(徹夜明けで)夏は夜明けが早くて、太陽が黄色いんですよね!」
当事者である息子が会話に入れない(笑)。

「都立とか(の中学)ですと、無理なんですよねぇ。」とS先生。
「それは、嫉妬でしょう?(笑)」と私が答えると、
本来の姿は、東大の物性研からNASAを経て当時国立G大学助教授、物理学者のS先生が、苦笑いしながら否定しませんでした。

 経験者なので、判ります。働きながら、博士号を取得することが、いかに困難か。職場の環境も。encourage(励まし) してくれる環境か否か。

 教育学を専攻する国立大学の研究者が、その国立中学の担当教諭もする仕組みなんですね。並大抵の苦労ではありません。
 
 そうなんです。「博士号」は理系の学者にはマスト。しかし、「自分だって仕事が忙しいのに、あいつは・・・」という批判を跳ね除けるかのように、時として危険を伴う生徒の実験を指導し、毎回レポートを書かせ、それを全て読んで評価して下さる熱血漢でした。大変な仕事です!私も学生の最終レポートに赤を入れるのが、いかに大変か、身に沁みて知っているので。

 素直に「おめでとうございます!」って言えない教員たち、S先生のように「出る杭」を打つ周囲の雰囲気が、教育界の秀でた人材のヤル気を失わせているのではないか、それこそ、日本的集団主義の悪いところだと思うのです。

 

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