むずかしい診断
前向きと 恐怖のこころは 振り子のごと
鼻の奥のほうが つーんと痛む
『医師は自分の家族を診断してはいけない。』
どこの誰が言ったかは定かでないが、時々聞かれる言葉である。
冷静と理性に裏打ちされねばならぬ診断が、情や念に引きずられて客観的に出来なくなることへの注意なのであろう。
さて、私である。
私の胎内でへその緒を通して通じ合っていた息子・おもちくん。
胎児の頃から大層な診断や治療が必要で、それはもう医学にズブズブの赤ちゃんである。
彼のカルテのトップページには、でかでかと
『両親は医師』
と書かれているし、医療チームも、まだレポートも上がってきていないような撮りたてほやほやの画像を見せてくれたり、合同カンファレンスかな?と錯覚するぐらい、歯に衣着せぬ説明をしてくれ、悩みを吐露してくれる。
腹を割って話してくださるのは母としてもとても有難いことだし、パブロフの犬、ではないが、そのように切り出されれば、冷静に話してしまう職業病。
しかし、家に帰り、風呂なんか入り、おもちの動画をゆったり見たりすると。
良くなる未来、悪くなる未来、あの選択肢を選ぶ場合、選ばない場合・・・色々なifが、表現できないような様々な感情が、わーっとあふれ出て、鼻の奥がツーンと痛くなってくる。
へその緒でつながっていたんだ、理屈だけで息子・おもちくんのすべてが納得できるものか。
ちょっぴりセンチメンタルになりながら、ゆらゆらし続けながら、
やっぱり家族の、自分からうまれたこどもの診断は難しい。
と思う。
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