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生まれる、 生きる

ただ 君に生まれて欲しくて
ただ 君は生まれて来たんだ
君のすがたで

暖かな空気がゆるみ、春から初夏に変わる頃。
こども病院の可愛らしい待合室で、私は超高精細のエコーを受けるため待っていました。


医師あるある、ではないですが、こども病院の、ちょっと知っているとても偉い先生(ロマンスグレー先生)に取り上げてもらうお産、3回目。
勝手知ったる診察手順。

『おめでとうー順調だねー次は〇週間後ねー』
を信じて疑いませんでした。

しかし神様は時に、小さな、でもやられた本人にとってはとても大きな、イタズラをなさるらしい。
診察のとき、いつもより長く無言なエコーのあと、ロマンスグレー先生から告げられたのは、おおよそ1万人に1人の先天奇形の可能性でした。


白と黒で映し出された赤ちゃんの写真。

自分でも超音波を扱う仕事です。否が応でも読めてしまうエコー写真。無意識に診断を行おうとしてしまう頭。
しかしその一方で、ザラザラと冷たい血液が巡るような感覚に、飲み込まれていったのでした。


絨毛検査、頻回受診、毎回の高精細エコー・・・。
賛否両論ある出生前診断ですが、全部受けました。

『お願い、生きていて』
『あなたの人生を、どんな長さの人生でもいいから、あなたらしく生きていて』

願い続けていたのは、息子が息子の生を全うすること、ただそれだけでした。

『おなかの中で亡くなるかもしれない』
『生まれても、呼吸器に繋げないかもしれない』
『呼吸器に繋げても、手術できないかもしれない』

明日を信じてはいたけれども、仄暗い告知ばかりで、若干の諦観をもって過ごしていた、今回の妊娠生活。


君は、きちんと、自分の生まれたい時を教えてくれて、きちんと、産声を上げてみせてくれた。

私の温かな胎内から切り離された息子は、全身の力をこめて、可愛らしい、しかしとてもしっかりした産声を聞かせてくれました。
その声は、手術台の上で祈り続けていた私に、祝福のシャワーのように降り注ぎました。それは、彼の全てを受け入れ育んでいく、静かな覚悟を持たせるのに、十分すぎるほどの力を持っていました。

息子、生まれてきたね。ありがとう。
これからどうぞ、よろしくね。

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