【中学数学】二次方程式の解き方に感動した話

今回は中学数学の二次方程式の解き方に感動したという話をしたい。
X^2+2X=3であれば3を移項してX^2+2X-3=0として
因数分解し、(X+3)(X-1)=0とし、X=-3、1となる。
右辺側を0としてしまえば、掛けて0になるには掛けてるもののどれかが0でなくてはならない。
簡単な話だと思う人も多いだろうが、中学生の時私が何に感動したのか話したい。

同じものを2回掛けて○×○=9となる○はいくつでしょう?

と小学生に聞くとみんな元気よく手を上げて3と答えてくれる。「正解」と言って終了だ。たしかに○に3を当てはめて3×3=9となるからだ。
たまに「-3も答えだよ」なんて言ってくる子もいる。これもたしかに2回掛けて9になっているから「正解」だ。

ここで一つ疑問が浮かぶ。
「他にはないのだろうか」

そもそも二次方程式を解くとは何をすることなのか。何をもって正解なのか。なんせ中学以降は3と答えると「-3もあるから3とだけ答えると不正解」と言われてしまう。「でも3はたしかに当てはまってるのだから正解じゃないの?」とも思う。

ここで理解しておかなくてはならないのは、「解を求めよ」「値を求めよ」と言われたらそれは必要十分な解を求めなくてはならないということだ。
平たく言うと「当てはまるものすべて」を答えなくてはならないのが数学の世界だ。足りなくてもダメだし、余計なもの、つまり当てはまらないものがあってもダメなのだ。

X^2=9は小学生の知識の範囲つまり正の数または0だとすると3しかないだろうか。
Xが0から増えていくとX^2も0から増えていく。だからこそ3が当てはまればそれよりも小さいところにも大きいところにもX^2が9となることはなさそうだ。
マイナスもありだとすると0から徐々に小さくしていくとX^2は増えていく。絶対値が同じなら二乗した結果が同じであることを知っていれば、-3がもう一つの答えであり、かつ他にはないこともわかる。

では最初の例、X^2+2X=3はどうだろう。
X^2+2Xの変化の様子はX^2の変化のようには単純にわからない。
y=X^2+2Xのグラフがy=X^2を平行移動しただけのものであることは中学段階では知らない。
X=1が当てはまるから解であることまでは気づけたとしても他にはないのか聞かれると途方に暮れる。
X=-1が軸で、その軸と対称に放物線が描かれることがわかれば-1と1の差が2だから-1から2だけ反対側の-3がもう一つの解であることがわかるはずだが、当時その知識はない。
そもそも解の個数が何個あるのかもわからない。

そこで最初に紹介した有名な解き方をやることになる。
移項して右辺側を0として、さらに因数分解する。掛けると0になるのだから(X+3)と(X-1)のいづれかが0とならなければならない。つまりX+3=0またはX-1=0となる。ここまで来ればX=-3または1としてよいだろう。

まずX^2+2X=X(X+2)=3のように式変形しても意味がない。というのは掛けて3になる2つの数なんて1と3、0.5と6、√3と√3というように無数にあるからだ。
X+2とXは差が2だ。差が2である2つの数で掛けると3になるものを探すと1と3というように気づくかもしれない。しかしこの「発見的」手法だとやはり「他にはないのか」「すべて見つけたのか」と問われることになる。
移項して右辺を0にしたからこそ「掛け算して0ならどれかが0でなければならない」という「追い込む論理」が使えるのだ。掛け算の結果の数値で、0というのは特別な値なのだ。
一応「X+3=0ならばX=-3と本当に言えるのか?」と問うのは可能ではあるが、とは言え二次式を因数分解したことで一次式に「くずして」いる。その挙動は一次式の方が簡単に把握できることを認めるならば、解であることの確実さは増したことになる。
またX+3=0ならばX=-3以外には解はありそうにもない。これも二乗されたものを考えるよりは自明さが増したと言える。

このように検討して他の値はないと言えるからこれで必要十分解を求めたと言えるのだ。
成り立つものすべてを求め、他にはないということまで論理的に「追い込んだ」。論理で「追い込む」ということをおそらく初めて実感したことに感動したのだ。
「この世のどこにも他の解はない」と断言できる。数学が「ホッとできる」科目だと実感した瞬間だった。

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