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「可能性」ではなく、「蓋然性(確率)」で議論しよう

自分の日本語の使い方が間違っていたことを知りました。それは「可能性」という言葉。あなたはご存知でしたか?

「シャーロックseason1episode1」で英語勉強中。

日本語訳で
蓋然性(ガイゼンセイ)」と表示された表現。

日本人としても、あまり馴染みがないコトバです。

シャーロックが

蓋然性としては、その携帯電話を犯人が持っている。

と述べます。

ここでは、「犯人が持っている確率が高い」という意味。

蓋然性probabilityとは、そのことが起こる確からしさであり、大きい(高い)もしくは小さい(低い)、など程度に幅があります。数値化すると「確率」になります。

一方、我々は議論する時に「可能性possibility」という言葉を頻回に使いますよね。

しかし時に誤った使い方をします。私もやってしまいます。

「可能性が高い」「可能性は限りなく低い…」などです。

本来、「可能性」は「ある」か「ない」か、二者択一。表か裏かの議論です。

「ほとんど表だけど、ほんの少し裏」はないのです。

だから、「可能性が低い」という表現は誤りだったのですね。うっかりしていました…

英語でも同様です。

"possibility"に程度はない。nonsense!その場合は"probability"だよ〜

とネイティブの教師に教えられました。

物事が起こる頻度を表現するために「可能性possibility」を使ってしまうのは間違いだったのです。

議論が噛み合わない原因

昨今の新型コロナウイルスにおける人々の振る舞い方、社会のあり方について、いまだに議論が白熱しています。

しかし、どうしても噛み合わないことがあります。

その原因のひとつに、「可能性」という言葉に対する理解の仕方、使い方の違いにあると気づきました。

コロナウイルスのリスクを、「可能性」で文字通り、あるかないかで話をする人がいる一方、「蓋然性(確率)」で議論する人がいるのです。つまり思考回路から違っています

もちろん、科学的な態度は後者。しかし、頭の中で無意識に「可能性」を「蓋然性」のイメージに置き換えて、「可能性」という言葉を使うのです。(時代の変化によって、「可能性」と言う言葉は蓋然性という意味を持ってきたとも言えるかもしれません。その場合は広い意味での「可能性」です。)言葉の使い方としては誤りです。

一方、「自分や自分の家族が感染するかしないかのかどちらかである」ことに重きを置く人にとっては、「確率が低い」と言っても、「可能性はある」ということになってしまいます。そういう思考回路です。日本語としては正しい使い方です。でも議論が噛み合いませんね。

隕石が衝突する可能性、蓋然性

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「巨大な隕石が地球に衝突して人類が滅亡する」

来年までに起こる確率は?限りなくゼロです。でもゼロではありません。だから「可能性はあります

では向こう10年では?
確率は上がります。でもゼロに近いでしょう。そして「可能性はあります

では向こう10億年では?
確率はハネ上がります。蓋然性は高くなります。そして「可能性はあります

だから、科学的に議論するならば、蓋然性(確率)を用いるべきなのです。「(本当の意味の)可能性」で語るとすべて同じになってしまうのに気づきましたでしょうか?

もうひとつの例え話 宝くじに当たる可能性

一億円の宝くじです。科学的な態度は「買うと損」です。確率(期待値)は半分です。一方それを理解しない人は「可能性」で解釈します。

「買えば可能性がある」です。これ以上はいうまでもないでしょう。

バランスに基づいて意思決定

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シャーロックの表現した、”balance of probability”は言い得て妙。

彼は絶対の根拠がない中で、バランスにもとづいて思考し、行動したのです。これこそが蓋然性にもとづく行動です。

隕石が落ちるのは怖いですね。巨大な天体と衝突すると、地球は火の海になります。地球外へ住むところを求めて脱出するしかありません。

ではあなたは、今からその準備をしますか?確率を考慮し、その準備にかかる負担をバランスで考えれば、取るべき行動は明らかになります。

近年は大雨や台風で、水害が各地で起こりますね。その被害を受けやすい場所とそうでない所があるのはご存知の通り。堤防の近くと小高い丘とでは被害を被る蓋然性が違います。

両者とも水に浸かる可能性があるのは同じです。そこで両者とも同じ対策を取るでしょうか?ダムや堤防を構築するのはコストがかかり、環境破壊を起こします。だから蓋然性の低いエリアは作るべきでないという判断になります。それが蓋然性にもとづいた判断です。


以上まとめると、

行動や振る舞いを決めるにあたり、「(本当の意味の)可能性」で考えるのは非合理的です。「可能性」で判断すると、大きなムダや負担、犠牲が生じます。(もちろん宝くじに当選する人も必ず存在します)

「可能性」にこだわるあまり、大きな損失をしていないでしょうか?

気づきをくれた、シャーロックありがとう!

追伸

宝くじは?数学的に考えるとコンマ1秒で「損」と判断します。しかし必ずしも、そうと言い切れないのです。

シンプルに計算すると手元に残るのは50%です(胴元が半分取り、残りを当選者で配分します)。だから買うのは明らかにおかしな行為です。しかしながら夢を買うという側面と、収益の一部が福祉に使われるという、社会貢献をしているという思いが加わると、そのバランスは人によって変わってきます。

宝くじを買う行為によって得られる物やコトの蓋然性」が大きくなると、買う価値があるのです。この点は個人の価値観に委ねられます。人としての嗜みというか、人間らしさですかね。

しかしながら、一回の宝くじに多額の資金を注ぎ込む人は「可能性」のみで解釈している蓋然性が高いです。


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眼瞼下垂手術を専門にする形成外科専門医、医学博士です。ミッションは「眼瞼下垂」を啓発し、まぶたのトラブルを解決してみんなを幸せにすること。 ウェブサイト「まぶたのお医者さん」を運営: https://manabuta.jp/