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instant cytron

 当時は、毎日エンドレスで聞き続けていた音楽を月日と共に忘れ、ある日、CD棚を整理していて見つけ、聞いてみると、当時のことを思い出す。
 そんな経験がないだろうか。
 およそ2年に1回くらいのペースでそんなときが訪れる
 私にとってインスタントシトロンというのは、そんな音楽だ。

 彼らのメジャーデビューシングル『SEE FOR MILES』が発売された1995年というのは、渋谷系と言われる音楽にとっては、とんでもない年だった。

 Cardigansの”Carnival”がFM放送からひっきりなしに流れ、サニーディサービスのファーストアルバム”若者たち”が発売された。
 トラットリアレーベルの申し子、bridgeが解散。
 Lucy van pelt(のちのadvantage Lucy)やSwinging Popsicleが結成と、まさにこの後のその手の音楽シーンが、形作られる年でもあった。

 とは言っても日本の音楽シーン的には混沌としており、当時を知っている人に思い出させるように言うと、ウルフルズとシャ乱Qとスピッツとミスチルと小室ファミリーが同居しており、CDバブル全盛期でもあった。

 そんな中で、外資系のCDショップのピックアップコーナーには、必ずと言っていいほど、インスタントシトロンのシングルは置かれていた。

 ネオアコースティックなメロディーと片岡知子のウィスパーボイスは、まさに典型的な渋谷系の音楽に思えた。

 ただ、インスタントシトロンの世界は、それまでのいわゆる渋谷系の音楽と違っていた。彼らの音楽は、どこまでも美しく、そして優しかった。

 渋谷系とよばれる音楽の歌詞というのは、どこかしら、ひねくれていて、妙に悪意を感じたり、偏執的なところがあったりするものだが、インスタントシトロンの描く世界は、どこまでも優しいのだ。 

 たとえば”Still be shine” 
 これは私がインスタントシトロンの曲の中で一番好きなものだ。

 冒頭、こんなフレーズで始まる

僕は書く 君の名を 砂に雪に灰に

 後にこの元ネタがフランスの詩人、ポール・エリュアールの”自由”という詩だと知り、君の名とは”自由”のことだと知って驚いたものだ。

 しかし、インスタントシトロンでは、それを”ALWAYS SUNSHINE DAY”とする。
 ”DAYS”という複数形でないということは、特別な1日ということだろう。
ALWAYSはいつもということだ。
 SUNSHINEも過去形でもなく、gloryあたりを使わなかったことから考えると、過去に積み重ねてきた日々、これから積み重ねる日々、それらは”今、この素晴らしい瞬間”の連続であるとしているのだ。
 この絶対的な肯定感こそが、優しさの表れだろう。

 それを紡ぐのが、片岡さんのウィスパーボイスで、あの当時ウィスパーボイスは数々いたが、カヒミ・カリィは別格として、それ以外だと片岡さん、Suitcase Rhodesあたりが特に印象に残っている。

 冒頭の話に戻る。
 こんな感じで、インスタントシトロンを聞くと、その当時の音楽が次々に思い出され。それに触発され、タワレコやらHMVの当時の店構え、雑誌とISDN回線の使い放題でないネット回線でのインターネットを頼りに音楽の情報を探していたことなど、そして、それらを取り囲む世紀末的な空気間、そんな当時の個人的な思い出なども思い出されるのだ。

 そんな青春時代へのタイムマシン的な音楽だった。

 インスタントシトロンの片岡さんが亡くなったということを知った時、そんなことを考えた。
 同時に”たまこラブストーリー”など、私の知らないところで活動の幅を広げていたことを知り、勝手に休止していたと思っていた自分が少し恥ずかしくなった

日々は進み、そして思い出の中で止まっている人も実は進んでいる。
振り返ることは許されても、立ち止まることは出来ない。

だからこそ”ALWAYS SUNSHINE DAY”
儚いけれども、美しい”今日”が続いていくのだ。

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