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【ふしぎ旅】失われた遺跡を求めて

 価値観が時代や場所によっても大きく異なってくることは言うまでもない。時代と共にいわゆる名所であったところが、まったく価値を持たなくなるということもある。
 また時代の流れとは別にして、ある日、突然、価値ある場所であったところが、何の意味を持たない場所になることもある。
 そんなところをいくつか訪れてきた。

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 まずは馬場壇遺跡、ここは発見当初、日本最古の石器が出土したところだ。1984年(昭和59)以降の発掘調査で前期旧石器時代、推定7万年前の旧石器時代のものと思われる石器が発見され、最終的に20万年前にさかのぼる石器が発見された。
 ところが案内標識はあるものの、「ここが馬場壇遺跡です」と説明する看板は一切なし。

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 案内標識があるあたりを探してみても一面の畑で、さてどこから見つかったのがまるで分からない状態だ。
 学術史上に残る大発見だったのだからもう少しきちんとした説明があってもよさそうなものなのだが、どうして無いのだろうか。

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 続いては高森遺跡。 
 ここは1990年から1992年の発掘調査によって、なんと50万年前の旧石器が発見されたところでて、遺跡跡は広場となっている。

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 が、やはりそれだけで詳しい説明はない。
 たしか、以前はその遺跡の古さから「高森原人」などと騒がれていた気がするのだが、その説明なども一切書いてない。

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 最後に座散乱木遺跡。
 
 ここは、1981年に日本で始めて3万年以上前の地層から石器が発掘されたところであり、日本にも前期旧石器時代があったということを明らかにしたところとして有名なところだ。
 ここは前2つの遺跡と違って、案内標識もきちんとしている。

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 また、近くを流れる川にかけられた橋には、石器を模したレリーフがかざられている。

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 現地にはこのような説明版もきちんとあり、どのような遺跡かを説明している。
 もっとも遺跡が掘られたと思われるところは、前2つの遺跡と同じく、雑草が生い茂り、どのようにして遺跡が発掘されたかはまるで分からない状態なのだが。

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さて、紹介した3つの遺跡がここまで荒れている原因はこの座散乱木遺跡の説明看板を読むとよく分かる。

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 座散乱木遺跡は石器文化談話会が行った3次(昭和51・54・56年)にわたる発掘調査で3万年より古い地層から石器群が出土し、日本列島における前期旧石器時代後半の存在を明らかにした遺跡として平成9年に国の史跡指定を受けました。しかし、平成14年5月から6月に実施された座散乱木遺跡発掘調査団による検証発掘調査で、国指定の根拠となった調査結果を証明する遺物が出土しなかったことや、国の「史跡座散乱木遺跡に関する調査研究委員会」の審議で旧調査の成果が捏造されたものと判断されたことから、同年12月に国の史跡指定が解除されました。

・・・捏造。

 そう、紹介した3つの遺跡は、かつて日本史を揺るがした、「前期旧石器時代捏造事件」の舞台となったところなのだ。
 2000年11月5日の毎日新聞のスクープから捏造が明らかになった遺跡は最終的に40カ所以上になったと言われている。
 その中でも、この3つの遺跡は埼玉県遺跡などと並んで、主要な遺跡なのだ。

 とりわけ高森遺跡は、隣地区にある捏造の証拠が明らかになった上高森遺跡(探したのだが標識などないため見つからず)と共に「原人ブーム」で大いに盛り上がったところなのだが、遺跡が捏造であったことに加え、市町村合併の影響もあり、捏造が発覚する前と後の差がもっとも激しいところである。
 その顕著たるものがこれだ。

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 かつて、ここには「原人プラザ」なる建物があったのだが(原人の模型がそれを象徴している)、その看板文字は剥がされ、同じ高森地区にある高森ファームの工場となっている。(2020年現在では、この建物もなくなっているらしい)

 また座散乱木遺跡に関しては、調査の結果後期旧石器時代(1万2千~3万年前)の石器6点、縄文時代(1万2千~2千4百年前)の土器石器、弥生時代から古墳時代(2400から1300前)の土器が発掘され、旧石器から古墳時代における複合遺跡という前期旧石器時代ではないにせよ、価値ある遺跡であることが明らかになったのであるが、やはり捏造があった事実に出来るだけ触れたくないのか、それらを大々的には公開せず、荒れ野になっている。

 それまでの、「原人」熱があまりにも熱すぎたため、それが捏造だと分かったときには、虚しさと恥ずかしさがあいまって、その結果「なかったもの」とするという心理に働いたことは容易に想像できる。

 しかし、熱のあまりに作った施設などに関してはなかなか無かったものにすることは難しく、決定が下るまでは当分の間「放置する」方向になったのであろう。

 捏造によって左右された、これらの遺跡の扱いはまさに人間の価値観なんて当てにならないということをしめす象徴であるようだ。

 どうせなら、これらの遺跡とその捏造の経緯、そして作ってしまった「原人グッズ」などをまとめて案内し「日本はこうしてだまされた。捏造遺跡博物館」とすれば物好きな観光客が多々訪れ、収益につながるのではないかと思うのだが、地元の人にとってはさすがに思い出すのも嫌なほど恥ずかしい出来事なので望むのは難しいことなのだろう。

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