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【ふしぎ旅】山姥の里

 新潟県と富山県の県境にある山里に「上路」という地域がある。
国道から、10㎞ほど入ったその地域は「山姥の里」と呼ばれている
 室町時代に作られたとされる謡曲「山姥」
 その舞台が、ここ上路と言われているのだ。

さて、そもそも「山姥」はどういう話であるか。

 昔、京都には優れた舞女がおり、とりわけ山姥を演じる名人で「百魔山姥」と呼ばれていた。
 ある時、舞女が信濃の善光寺参りをするため、一番の近道である”上路”越えをして 善光寺を目指すことになった。
 路は険しく、思いの他時間がかかり、途中で暗くなってしまう。
 奥深い山の中、周りに人家もなく、困り果てているとどこからともなく老婆が現れ、宿をかしてくれると言う。
 家に入ると老婆は「あなたを泊めるのは百魔山姥と呼ばれるあなたから山姥の唄を聞かせてもらいたかったからです。ところであなたは本当の山姥をご存じですか」と聞いてきた。
 舞女は「山姥とは山に住む鬼女のことではないですか」と答えた。
 すると老婆は「私が本当の山姥です。あなたは山姥を演じる名人とよばれているが、本当の山姥をご存じない。それが恨めしい」と舞女に言った。
 舞女は老婆が山姥であることを知り恐れつつも山姥の唄を謡う。

 よしあしびきの やまんばが
 よしあしびきの やまんばが
 山めぐりすると うれしさ

 月明かりの下、歌う舞女に合わせて、髪を振り乱して舞う老婆
そこには人々をとって食べる恐ろしい山姥はなく、重い荷物を持ち山道を行ったり、機織りする娘の糸くりを手伝う優しい姿があった。
 やがて舞が終わると山姥は「これが本当の山姥の姿である。どうか都の人にこのことを伝えて欲しい」と言うといずれともなく姿を消した。

 さて、この話からもわかるように、この上路地区では山姥は、恐ろしいというより困った村人を助ける慈悲深い山の神的な扱いを受けている

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 そのため、地区内には山姥神社という山姥を祀った神社があり、そこには小さな祠が2つある。
 左の祠が山姥で右の祠が「天狗」をまつったものとか。

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 また、上路地区は白鳥山という山のふもとにあるが、この山の中腹には山姥洞とよばれる自然にできた石の洞窟があるそうで、山姥の住処とされているそうだ。

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さらには、地区内にはこの山姥洞が見ることができる拝み岩という岩があり、この岩の上に壇を作り、山の方向に向かってお参りしたと言うのだから、まさに神様同様に扱われていたのだろう

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 かと思うと 地区内には天気のいい日に山姥が日向ぼっこをしながら、蚤とりをしていたという日向ぼっこ岩という大石があり、山姥が神様より地域の人たちの生活と密接な関係があったことがわかる。
 そのため、山姥は実在した人物で漂流民の外国人ではないかという説もあるほどだ。
 日向ぼっこ岩は言われなければ、普通の岩だが、それ故に伝説にリアリティが感じられる。

 この山姥には子供がいたとされ、子供は後に有名になるのだが幼少の頃はこの上路地区で過ごしたそうだ。
 そのため、その有名人にまつわるものがいくつか残されている。

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 たとえば山姥神社には“ぶらんこ藤”とよばれる大きな藤の老木がある。
 ぶらんこ藤の名のとおり、子供がブランコがわりにして遊んだとか。

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 さらには、こちらの石。山姥の日向ぼっこ石の近くにある。
大きさ50センチくらいの、苔むした古い石だが、「手玉石」と呼ばれている。
 子供がお手玉代わりにしたそうで、その名がついたとか。
 大人でも持ち上げることが難しそうなこの石をお手玉にしていたということでその子供の怪力がわかるだろう。

 この子供とは、後の坂田金時、俗に呼ばれる「金太郎」である。
金太郎は神奈川県の足柄山では・・・などという野暮な突っ込みは無しにしよう。
 それよりも、こんな山奥の小さな村が謡曲の舞台になったり、金太郎の伝説が残っていたりすることに素直に驚きを感じる。
 それにしても、源頼光四天王の一人、渡辺綱が鬼婆の手を切ったのに対し、坂田金時が山姥の子供というのは、なんとも不思議な感じがするのは私だけであろうか。

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