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【ふしぎ旅】松川事件

 松川事件は、戦後間もない1949年8月未明に現在の福島県福島市松川で起きた。
 当時の国鉄東北本線で、機関車が脱線し、機関車の乗務員3名が死亡した。事件後の現場検証で、線路継目部のボルト・ナットが緩められ、継ぎ目板が外されるなど、明らかに人為的な犯罪であると判明した。
 この事件は「戦後国鉄三大ミステリー事件」のひとつといわれており、容疑者が多数逮捕されたものの、その後の裁判で全員が無罪となり、戦後最大の冤罪事件とされている。
 真犯人は、結局特定できず、未解決事件となっている。

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 そんな松川事件から、70年たった現在、現場を訪れてみた。
 当時は単線ということだったが、現在は上り下り複線となっている。
下り線の現場の脇には、亡くなった3名の慰霊碑とお地蔵さまが立っている。
 線路へ向かって、建てられているあたりに、生々しいやりきれなさを感じる。

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 そこから、見ると上り線沿いには松川記念塔がある。こちらは、容疑者全員無罪となった時の記念碑である。

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 実際に現場を訪れてみると分かるが、現在でも雑木林の間に開かれた水田の中に佇むように線路が通っており、現場までの道は石合踏切からあぜ道を行くしかない形だ。
 現在ですら、こうなのだから、70年前は、もっとひっそりとしているはずで、何か企み事をするには、最適な静けさだっただろう。

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 ところで、だ。
 実際に訪れてみると、分かることがもう一つある。
 このことが一般的な松川事件の記録で紹介されていることは、まず無い。しかし、訪れた者であれば、必ず気づくであろう真実だ。

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 石合踏切から事件現場まで、歩いていく中で、道中の水田を、見るとひと際目立つ巨石がある。石合の女泣石と呼ばれている石だ。

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なぜ、女が泣く石か、形状を見れば、よく分かるだろう。明らかに男性の性器形、いわゆる陽石だ。

 松川事件当時から、この巨石は目立っていただろう。現場検証の時などは、よい目印になったに違いない。
 真犯人は、この巨石のみぞ知る、などと書かれてもよさそうなものだが、それが語られることはほとんどない。
 これも、ある種のミステリーと言ってよいかもしれない。

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