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雷雲と禅とアメの考察
僕らはアルプスの山脈を越えたらなば、そこにある景色はきっと未踏の地と言う名のまさに文化圏、共通言語とか全くの違う180度展開された、解釈された、生活圏があるだろう。そう逃避行のように、ここではない、そんな見えない電波を受信した人たちはまるで、生物としての禁忌を克服するように歩き向かう、そこにある山脈へと。
ひたすら人は歩くだけ、なのに、その地のまるで見えない何か、自然とか文化とか伝統と口伝での風潮
I Could Be the Oen VS Kyoto
だから平成24年。
その時、君たちは何をしていた?
僕かい?
僕はあれだよ。
そうあの時
あの瞬間、
見ていた、
感覚を研ぎ澄まし
耳をすませて
聴こえるだろ
きっと
きっと
なぜなら
まぁこれについては
話が変わるが
濁流とも言える。
みな今はますます綺麗な川を求める。
そうではない、
違う、
発酵させなければ
わからないこともある。
それは時が時間が
全てを握る。
時間と言う概念が。
シン島国メンタリティ彫理論。
蛇足ともいえる
ごくごく個人的な
思考の素くだされる
超越的な理論であっる
あくまでも
それって感想ですよねって言う理論です。
理論とも言えない言語
僕らはもっと政に参加すべきだ
政に参加というのは
傍観でも主宰でも
まさに参加でも
金儲けでも
何でもいい
この国だけではなく
いろいろな国
場面、瞬間
世界
学校
大学
地域
信仰
何でも
どこにでも
人という動物が
居るところに
政はある
皆