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「余日」

(本作は「命日」の外伝です、先にそちらを読むかはお任せします。ハッピー七タデイ!)

 微睡んで、淀んで、腕と頬に汗が滲んで。水泳終わりの国語はどうしてか、寝起きよりも眠たい。こんこんと、石膏カルシウムの奏でるリズムが、三三七拍子なのに気づいて、思わずにやける。

「はいじゃあ、7日だから、ラッキーナンバー沙斗さん」
 ぐぎぃと椅子を鳴らして、沙斗ちゃんの朗読が、風通りの良い教室を満たす。相変わらず可愛い声。
「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちてくる星の破片を墓標に置いてください。そうして墓のそばに待っていてください。また、、、」

 私はさっきの睡魔を思い出して、声は静かに遠のいて、痺れていない方の腕を枕に、私はすっと目を閉じた。

 ───おい、起きろ、帰るよ、なあ


「起きろ、伊織」

「はいすみません!!!うがっ!」
 勢い付いて飛び起きて、上げた頭が硬いものと衝突する。ガツンという衝撃に、頭のてっぺんがじりじりする。
「伊織お前、急に、起きるな!いた、痛い、折れた。顎の骨折れた、このあほ石頭!!!」
「石頭!?私だってちゃんと痛んでます!じんじんします!」
「はあ!?そんな空っぽ頭が痛んでも、僕の顎に比べたら微々たるものだ!!!」
「ひどい!先輩が起きろって言ったのに、このドラゴンシャーク!!!シャーク、、、?ジョーズ?」
 先輩がぽかんとする。補足するとジョーが顎で、シャークは鮫で、要するに、なんの意味もない。
 2人とも頭をハテナが巡って、10秒ほど沈黙した後、「帰るか」って先輩が言った。私は頭を擦りながら「うす」と答えた。

 先輩の引く自転車がカラカラと音を立てて、そのペースに合わせるみたいに、2人並んで下校する。この時期の太陽は、夕方でも元気に街を照らしていて、私は汗ばんだ制服をはためかせて、夕陽だったら青春っぽいのに、と1人悔しがった。
 チラと右を見ると、うっかり目があって、先輩は「なんだよ」と形の良い眉を顰める。これはこれで悪くないかも知れない。
「先輩身長高いですよね、何センチですか?」
 私が先輩の頭を眺めながら訊ねると、先輩は「82だ」と言った。「えっ先輩私より小さいじゃないですか」とおちょけたら、呆れたような顔をした。
「伊織どうやって高校入ったの、裏口?やっぱり世の中お金?」
 これは流石に私もなめられたものだ、と思って
「冗談ですよ、座高ですよね」と言った。
 そうしたら、先輩は一層憐れみの色を強くして、ちょっと待ってて、と私に自転車を託して、どこかへ走っていった。3分くらい経って、先輩は帰ってくるなり三ツ矢サイダーをくれて、「強く生きろよな」と言った。
 私はこれ、今も納得してない。
「ねえ、先輩って私のこと見下してません?」
「下に見てはないけど、可愛らしいとは思ってるよ」
 何の躊躇いもなく、先輩が急にそんなこと言うから、心臓がギュッとなって、思わず目を逸らす。先輩はそんな私を見て、ほら可愛い、と意地悪な声で言った。普段真面目でクールぶってるくせに、こういう時の先輩は、あどけない子どもみたいな顔をする。きっと、ちっちゃい頃はいたずらっ子だったに違いない。


 流れを変えようとして、私は「はぁーヨイショ」と言いながら、サイダーのキャップを捻った。気の抜ける音がして、ぷくぷくと泡が生まれて、溢れそうになったのを、急いで口で塞ぐ。すると、二酸化炭素が口の中に充満して、私はその、にが酸っぱい空気に息をつまらせて、思いっきりサイダーを噴き出した。
 ああこれは笑われる、と思ったら、先輩は大慌てで自転車を止めて、ハンカチを取り出した。私のベタついた手を拭きながら、「大丈夫?」と背中をさすってくれる。まったく、調子が狂う、私は貴方のそんなところが。
 一頻り気管支に入った水分を飛ばして、うがーっとおじさんのような声を出す。
「ごめん、もっと慎重に持って来ればよかった」
 炭酸が暴れたのは自分の所為だ、という事なのか。そういえば、どうしてこの人はいつも、自分を責めるんだろう。
「あーあーなんかムカつきます、あ、そうだ先輩、私もなんか奢ってあげますよ」
「いや要らない、歳下から施しは受けない」
「まあまあ、いいからいいから」
 そう言ってコンビニに走って、先輩は私を追わざるを得なくなる。どうしてか、あの人は絶対私を追いかけてくれる、そういった信頼を、背中に感じていた。振り返らなくても、先輩の呆れ顔が目に浮かんだ。


 さて何にしよう、と考えながらお店に入ると、私は一気に胸が高鳴った。
「花火、、、」
 入り口から一番近い棚に、花火がたくさん並んでる。そういう包装なのか、ときめきの所為か、やけにきらきらして見える。
 後ろで、電子の入店音がして、先輩が小言を並べながら入ってくる。多分、お説教だと思うので聞かない。
「これにします」
「おい待て」
「これください」
「おい」
「あ、袋いらないです」
「誰の為の買い物だよ!」

 さあ先輩

「花火、やりましょう」

 先輩は大袈裟にため息を吐いてから、ちょっと水買ってくる、と言って、奥に進んでいった。花火やろうと言ったとき、先輩が少し、嬉しそうな顔をしたのを、私は見逃さなかった。

 コンビニ近くの公園は、誰かやんちゃな人達が、花火のゴミを置いていくのか、「花火禁止」の張り紙がされていて、少し遠くの川まで歩くことになった。少しずつ日が暮れて、たわいない話をして、青春だな、と思った。


 「あそこにしましょう」
 草の少なくて、川まで近いスペースを見つけて、指を差す。
 川辺なのと、日が傾いたのもあって、人肌より少しだけ冷たい風が、体の暑さを和らげる。草と土の混ざった匂いが鼻を刺激する。
 

 砂利道をざくざく鳴らしながら、川の隣へ陣取る。花火の袋を乱雑に破いて、その場にばら撒く。さあ始めようと思って、ハッとする。
「先輩、火種忘れました」
 燃える花火しか想像しないから、火をつける瞬間の事を完全に失念した。あのコンビニがここから一番近くて、そこから1時間歩いた。もし自転車で買いに行ったとしても、往復で1時間かかるかも知れない。跳ねるようだった気分はずんと落ち込んで、両手はぶらんと垂れて、ここまで無理に連れてきてしまった先輩へ、罪悪感が募る。ああ、ごめんなさい、私はまた後先も考えず。じんわり、視界が滲んで、自己嫌悪でぐちゃぐちゃになる。なにもかも、嫌だな、と思ったとき、目の前がきらきらと輝き始めた。


「ねえ、花火やんないの」


 涙を拭うと、先輩は優しい顔で私を見て、得意げに花火を振り回していた。まるで、魔法みたいだった。
「どう、やって、火をつけたんですか」
「ん、ライター持ってる」
「先輩、、、!」
「そうだ、先輩はすごいんだぞ」
「タバコ吸うんですね、、、!」
「違うよ!?花火のためにさっき買ったんだよ!?」
「まだ未成年なのに、、、」
「話聞けよ!」
 さっきまでこの世の終わりみたいにどん底だったのに、ほんの一瞬で、私を幸せにしてしまう、きっと本当に、先輩は魔法が使えるのだ。
「でもどうして、ライター買った事今まで黙ってたんですか」
 もっと早く、言ってしまえば、コンビニで気付いたなら、その時に教えてくれたらよかった。そうすれば、こうやって醜態を晒す必要もなかったのに。
「困る姿を見たかった、って嘘ついたら可哀想か。ごめん、僕が買ったって聞いたら、その分も払うって言い出すかと思ったんだ」
 自分もお金を出したかった。なんだ、やっぱり、花火、楽しみにしてたんですね。


「大好きです先輩、さあたくさん燃やしましょう」
 この時、先輩の顔が少し赤かったのは、ストロンチウムの炎色反応かも知れない。私はこの瞬間を、時間を、脳裏に刻むみたいに、強く、強く意識した。
 絶対に忘れないように、先輩の背丈、汗で少し草臥れたシャツ、ゴツゴツした手、短く切り揃えた髪、笑ったときの皺、私を見る、愛おしそうな目。その膨大な情報の全てを、たったも一つ残さず、溢れないように、取りこぼさないように、真剣に、丁寧に、観察した。大好きで、大切で、最も幸福なこの時を、私は、永遠にしなければいけない。

「先輩、懐かしいですね。去年もこうやって、2人で花火して。線香花火は寂しいから、最初にやっちゃおうって、どっちから言い始めたんでしたっけ」

 あれ結局、最後の一本が寂しかったんですよね。花火はお終いだけど、僕達はこれからがあるだろって、ダサ過ぎて笑っちゃったけど、心の底から嬉しかったです。

 寂しさと嬉しさと大好きと、色々混ざって泣いちゃって、そしたら抱きしめてくれて、恥ずかしくてすぐ逃げちゃったけど、本当に、本当に幸せでした。

 ぴりぴりと、左手が痺れてくる。首も、なんだか痛い。

 そういえば私、先輩の前で泣いてばっかりですね。

 しみったれんな、しゃんとしな。

 だからまた笑います先輩、私の笑い方好きなんでしたっけ。ああ、それと、7月7日おめでとうございます、今年もどうか、よろしくお願いします。


 日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。

 知らぬ顔で、性懲りも無く朝を連れてくる。
 
 赤い日が東から西へ、東から西へと落ちてゆくうちに、

 単調な繰り返しは、永遠に似ている。

 「あなた、待っていられますか。」
 
 ほとんど呪いみたいな、この感情を、あなたは喜んでくれますか。もし、そうだと言うのなら。

「百年、あの星にすわって待っていてください。」

 「きっと会いに来ますから。」


「えーはい、次、じゃあ伊織さん」

(夏目漱石:夢十夜 第一夜)

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