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石原忠美 剣道範士

我が剣道を語る 剣による人間形成を目指して



「今まで強さがあった剣道が速さの方向へ変わっていくのではないかなと懸念します。しかし、本当に大事なことは時代のせいにして流してしまってはいかんと思います。」

十八歳で武専に入学以来、七十余年を剣道に打ち込んでこられた石原忠美剣道範士。範士が六十歳代で目指した独自の剣道哲学「生涯剣道の道」の原点をさぐりました。
※所属や肩書きは、季刊『道』152号に掲載当時のものです。

<本インタビューを収録『武の道 武の心』>


「稽古できちっと教えてくれるのだから、言葉を付け加える必要はなかった」

 小学生時代まで病弱だった私は、小学校の先輩のすすめで剣道を始め、剣道の強豪中学・岡山黌に入学しました。岡山黌三年の時、武専(大日本武徳会武道専門学校)入学を決意。そして、昭和九年、競争率十六倍の難関を突破し、武専二十五期生となりました。

 武専では、捨て身の切り返しと体当たり、遠間からの大技を、元立(高段者)と学生の一対一の稽古で徹底的に仕込まれました。
 切り返しが一本終わって、やれやれと思って下がる。座って休もうとしたら、元立の先生に手招きされる。それで掛かっていく。これが一時間半続く。
 それで元立が『捨て身になったな』とみたら、稽古をやめさせてくれるんです。こうして精魂つきるまで鍛えられました。

 また、武専では、言葉による剣道理論の説明や稽古後の注意指導はありませんでしたね。はじめのうちは不満で、非情なものだなぁと思いましたが、稽古できちっと教えてくれるのだから、言葉を付け加える必要はなかったのだと、後になってそう納得したのです。
 うまいところを打とうとか、ここを打ってみようなど、そんなものは何もなく、ただ先生方に打ち込んでいくだけでした。

 ほかの選手の技を真似て、時には勝つこともありました。ところがそういう技で勝った時、先生方から『どうしてそんなに醜い試合をしたのか』とひどく叱られました。 
 それとは逆に、正攻法の大技で行なった時は、負けても最大級の褒め言葉をもらいました。 
 つまり、武専では、基本に徹した稽古を徹底的に仕込まれたのです。

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