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シュンペータ教からの脱出

 日本だけでなく、新自由主義的経済社会では、シュンペータ教に染まっている人が多く、「起業」とか「イノベーション」を盲目的に信仰しているように見えます。その結果、アントレプルヌーア、経営者が足りないとして、むやみやたらと、経営者、起業者、経営管理者を増やそうとしています。
 しかし、本当に足りないのは、社会的に価値のある優良なアウトプットや質の良い雇用を生み出す「優秀な経営者」であって、修飾語のない経営者一般ではありません。だから、ネットで廃業が多いのです。むしろ、労働者が足りなくなっているので、経営者は過剰になっているのではないでしょうか。

 であれば、はやく税制面からも、良質な雇用や社会発展をもたらすことのない経営者一般をスクリーニングするメカニズムを実装すべだと思います。価値を生み出さない経営者は、外部不経済を垂れ流すので、税負担を課すことで、その外部不経済分を少しでも補償させるべきなのです。

 雇用に関して、「劣悪でもゼロよりはまし」というグレシャム法則のような悪夢から解放されて、雇用を良質な経営者の元に解放する必要があるはずです(良貨を駆逐させないように)。

 また、最低賃金規制やベーシックインカムという構想を、労働者保護、社会的包摂という面からだけではなく、労働者という社会的資源を、レベルの低い経営者に配分させないという資源アロケーションのメカニズムとして再定義すると別の意味が出てくるとと思っています。

 そもそもシュンペータは、市場主義経済に対する将来的な悲観をマルクスと共有しており、アダム・スミスの「見えざる手」による機械論(無神論)的楽観論のもたらす悲劇を予想していました。そこに至らないようにするための「窮余の策」として、「人格神」である起業家信奉という「逃げ」に走ったという理解ができます。
 
 所詮、その程度の論理でしかありませんから、我々は、シュンペータ教から、早く脱出すべきなのです。