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傷つくチャンスをください。

インスタとXのイラストアイコンを描いてほしいと、職場の女の子に発注している。
私はインフルエンサーじゃないのでほんとうはそんなもの必要ない。
でも、彼女に描いてほしいと思った。

普段、我々はワードローブの最下層に値する作業着で働いている。
つば広帽に、サングラス、首にタオル、アームカバー、着古したシャツに汚れてよいズボン、色褪せた靴。
皆、思い思いの紫外線対策と防汚対策をしている。

昨年の職場の打ち上げで、はじめて身綺麗な彼女の姿をみたときに、とても鮮明で印象に残った。
私は青色が好きで、ファッションにおける美しい青の取り入れ方は難しいと感じているが、その日の彼女のトップスが私の好む青色だった。
美術系の学校に通っていたと知っていたが、私に合うセンスなのだと思った。直感的に。

半年くらい経ってから、イラストを描いてほしいとお願いした。
正直、職場で見る彼女は積極的ではないし、会話をあまりしないのでどういう子なのかわからないし、飛び抜けたなにかを感じさせるタイプではなかった。
作品も見たことはなかった。
ただ、青を着ているときの彼女の装いは上から下まで完璧だった。
その日の帰り際、私は彼女の姿を褒めた。
そのときのはにかんだ笑顔を憶えていた。

「どうして私にイラストを頼んでくださるんですか、作品を見ていないのに」
と訊ねられた。
私は青色の話しをしたと思う。
変に警戒されてはいけないので、服装がおしゃれだったからだよ、なんて軽く言ったかもしれない。
少し時間が経ったので詳しくは憶えていない。

イラストのサンプルをメッセージとともに送ってくれた。
驚くことにイメージ通りの繊細な絵を描くひとだった。
有償でイラストを描いた経験はないので不安だ、と言っていた。
私は友達価格みたいな設定を許さないので、プロに依頼するつもりで料金を提示したらとても驚いて息をのんだようだった。
私もイラスト制作を依頼するのははじめてなのでほかの相場は知らない。
パート勤務とは違う作業になるのでそれに見合う額を設定したつもりだ。
それは彼女にはプレッシャーだったのかもしれない。

結果的には、まだ仕上がりを待っている。
先日、作業中に声をかけてきて
「実はまだ仕上がっていないんですが……」
と言って制作途中のイラストを見せてくれた。
なんとなく予想していた通り、彼女は鬱が酷くて症状を抑えながら働いていると言った。

説明し難いことなのだが、私はその場から消えてしまいそうなひとを見つけてしまうことがたまにある。
このままの流れでいくと、彼女は消えてしまうのでは、とうっすら感じていた。
こういった予想が当たっているのかは検証不可だし、私がそう思うからその現実がやってくると言えばそうかもしれない(何言ってんだ?)。
芸能人などをテレビで見て、不穏だなとか、このひとは守らないといけないな、と思ったらのちに残念な消え方をしたりしてある程度、察知することが可能かも、と思う。
遠くにいるひとには介入できないが、近くにいるなら何らかの働きかけができるから、私が関わりたいと思うひとには声をかけたりしている。
それでなにができるかわからないが。

彼女にいつから鬱症状があるのかは聞いていないので知らない。
私生活の話しをほかの同僚ともしていないし、たぶん雇用主も知らないと思う。
私も根掘り葉掘り訊ねるつもりはない。

イラストを依頼したのがきっかけで、心理的なプレッシャーになったのかと思い、いったん依頼を取り下げようか?と申し出たら、
「やりたいんです」
と言うので、
「じゃあほんとうに急いでいないし、待ってるから気の済むまでやってほしい」
とあらためて頼んでおいた。

私も自宅でひとりで占いの鑑定書を書いたりしているが、自由業で料金設定を自分でできる場合、時間をかけて内容を突き詰めて濃くするのはどこまでもできるし、反対に料金を上げておいて内容を軽く仕上げるのも自由だ。
だから、ここまでがんばるけど、この料金なら内容はこのラインまで、と厳しく決めておかなければ無限に働くことになる。

彼女はそういった境界線を引くのが難しかったのかもしれない。
芸術に携わるひとは特に、自分の作品の相対化、収益化するのが苦手かもしれない。
創作とビジネスは別の能力が必要だから。
その辺りで私が余計なプレッシャーを与えてしまった可能性はある。

私が占いをしていて無限に働きすぎる危険性についてと思っていることと、 
あなただからイラストを描いてほしいと思っていることと、
仕事の仕上がりの速さがすべてではない(特に創作に至っては)ことと、
そうは言ってもビジネスになると世知辛いよな、
このようなことを長々とメッセージで送った。
彼女は読むことはできると言っていたので、返信不要とした。
こういうのもハラスメントなのか?
彼女自身が制作を継続したい、と言ってくれたのを信じることにする。


最近、若いひとが傷つくことを本人も周囲も過剰に恐れる傾向がみられる。

傷つくことはいけないことか?

ひとが不都合や不条理に耐えることが多かった時代に比べて、世の中が便利になりあらゆる場面での選択肢が増えたことで、現状に耐えてしがみつくよりもリセットするほうが簡単だし良いと考えるようになったのは自然な流れ。
それで人間の忍耐力がなくなったのも事実。
その結果、困難に直面したときに、わりとすぐに死んでしまおうと思いつくひとが増えてしまった。

傷ついて、それを乗り越えて、やっぱ生きててよかったわ!
この経験のくり返しが人間を強くしているんだけど、乗り越えるのを回避して横滑りしていくことが、脆さの理由にもなっていると思う。

私は、イラストを依頼した彼女に過度な負担を強いる意図があったわけではなく、自分の才能と技量を収益化する壁を越えてほしいと思った。
そこに意欲があるから。

私自身も占いを無償で25年やってきて、お金をもらってやりなよ、とひとに勧められてからようやく有償ではじめたが、はじめは苦しかった。
「こんなにもらって良いのか」
そのあとにやってきた
「私の価値はこれだけなのか」
という矛盾した気持ち。
これを越えないと、続けていられないことがやってみてはじめてわかった。


チャンスはいつでもどこにでもあるわけじゃない。
いま越えられそう、というときに乗るしかない。
私は彼女の姿を見てあらためてそう感じたし、自分もまだ同様にその途上にいるので、ともに山を越えたいと思っている。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。













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