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135/365 【ふるふる】 シェークスピアが宇宙人であることについて

今日、ある事件の幕が降りた。現場は拙宅。

ロイヤルバレエ団の「冬物語」公演を見終えたのである。

私はバレエに疎い。生涯で3回観たかどうかだ。そのうちの1回は高校の授業の一環だったから、チケットを自主的に買ってすらいない。

バレリーナの踊りは好きなのだが、全体としてはどうも引く。

男性ダンサーの「もっこり」がなんとも気になって仕方がないのだ。バレエに親近感を持たない大多数の方々はそうではないか、と推測する。

だがこの演目はクリストファー・ウィールドンの振り付けだ。

クリスは、「パリのアメリカ人」で知った。ロンドンで見て度肝を抜かれ、日本公開でひれ伏した。踊りで心の機微もドラマもここまで細やかに表現できるなんて!

今回公開された演目はシェークスピアの「冬物語」

3幕の舞台の粗筋は、以下の通り。

***

シチリア王リオンディーズは、遊びに来た幼友達のボヘミア王ポリクシニーズが、妻のハーマイオニーと密通していると誤解する。

リオンディーズは臣下カミローに、ポリクシニーズの毒殺を命ずる。しかし、ポリクシニーズの無実を知っているカミローは彼に危険を伝え、共にボヘミアへ脱出する。

激怒したリオンディーズは、ハーマイオニーを牢獄へ入れる。リオンディーズは獄中で生まれた王女パーディタをボヘミア領内へ捨ててくるよう臣下のアンティゴナスに命ずる。アンティゴナスはボヘミアへ向かうが任務の最中に熊に襲われ、絶命する。

一方、シチリアの幼い王子マミリアスは両親の諍いに耐えられず他界。息子の死にショックを受けたハーマイオニーは獄中で自害したとアンティゴナスの妻であり、ハーマイオニーの側近でもあるポーリーナに伝えられ、全てを失ったリオンディーズは激しい後悔に苛まれる。

時間経過。舞台は16年後のボヘミア。パーディタはボヘミアの羊飼いに拾われ、美しい少女に成長し、偶然出会ったボヘミア王子フロリゼルと恋に落ちる。だが身分違いを理由に父ポリクシニーズに反対されるや、フロリゼル王子は、パーディタと羊飼いの父子と共にシチリアへ渡る。

リオンディーズは若い二人を受け入れる。そこにポリクシニーズが現れ再び諍いが起こると思われた瞬間、パーディタが身につけているネックレスにポーリーナが気づく。そのネックレスにより、彼女が実はリオンディーズの娘であることが判明する。

晴れてフロリゼルとパーディタは結ばれ、リオンディーズもポリクシニーズと仲直りをする。そこにポーリーナが現れ、リオンディーズを亡き王妃と王子の彫像にいざなう。リオンディーズが彫像に触れると、王妃が息を吹き返す。ポーリーナの魔法で王妃は守られていたのだ。再会を喜ぶ二人。そしてリオンディーズは期待を込めて王子の彫像に触れる。だが、王子は生き返らない。失くしたものすべてが戻ってくるわけでは無いのだ。リオンディーズは残された王妃と娘を抱きしめる。

***

瞬きすら忘れた。

常に何かが動いている。人間の中の「感じる」という行為、引いては呼吸も心臓も止まりはしない、という事実が身体表現として立ち現れている。

「仲良し夫婦と夫の親友」という幸福な関係の中、徐々にリオンディーズの心に忍び込む妬心、そこからむくむくと沸き起こる疑心暗鬼。いやいや、そんなはずはない、思い過ごしだ、と自分の中の黒いタネを抑え込もうとする葛藤。でも抑え込みきれない。歯ぎしりをしながら闇に耐える苦悩。

ギリギリ、ぐぬぬぬ、ぬぉぉぉ、ぞわぞわ。

黒い感情が丹田の間でうごめいている感じ。汚くてドロドロしていて、肛門から出してしまいたいのに吐き出しきれない、産業廃棄物みたいな匂いを撒き散らすねっとりとした感情。

肚に隠したままにしておきたい名前のつかない感情が、人間の形となって動いていた。

ゾワゾワした。

バレエで背中丸めてグネグネ動くことがあるなんて、初めて知った。バレエの動きって、ネガも悪も美しく表現するのだと決めつけていた。英語で言うなら、badass的な動きだ。

そこから展開される人間関係も、彼らの主張も、コトバは一切ないのにはっきりと聞こえてくる。「ねえあなた、誤解よ」「お前の言葉など聞きたくない」捕らえられそうになった王妃の「自分で歩きます」

指を差すとか首を締めるとかの動きはあるが、音楽と踊りでほぼ全て分かる。

音きっかけと動きの連動っぷりもたまらない。そこ!と思った絶妙な瞬間にピュルリ、とフルートが入ったりジャリリーンと弦スクラッチが入ったりする。

群舞の振り付けも細やかで、一人一人にドラマも性格も付いており、そこに立脚した人間関係も織り成していくもんだから、生舞台ではないのに目がいくつあっても足りません。何度再生しても全てを把握できっこ無いこの現象に名前を付けるとしたら何?

ひたすらドロドロしている1幕とは対照的に、2幕3幕は明るく進む。

若い二人の恋の始まり。舞台がボヘミアだから、民族音楽を彷彿とさせる楽曲が続き、振り付けもそれに合わせて民族舞踊的な動きが盛り込まれる。

これまたバレエでこんな動きするんだ?!ヒョエぃ、と変な声が出た。ってか、その体勢でキスするんかーい。

現代人はもしかしたらコトバに頼りすぎているのかも知れない。だってこの舞台では、通常コトバで表現するものを全て踊りと顔の表情で伝えるばかりか、コトバにならない感情すらも具現化できている。

「悲しい」「嬉しい」と言うコトバを発する相手に何か違和感を感じる、という場面は日常でもあるが、その類の齟齬が一切ない2時間だった。

コトバの介在がない、身体と内面が丸っと一体化した状態とは、なんてパワフルで美しいんだろう。

コロナが明けたら、私絶対、生バレエ見る。ここに誓います。

昨日と今日で、メトロポリタン歌劇団(MET)の限定配信「テンペスト」(ルパージュ演出)と、National Theatre Live!の「アントニーとクレオパトラ」を立て続けに見た。

だから3つ纏めてシェークスピアを語ろうと思っていたのに、「冬物語」のここまでだけで2370文字だ... 

一言で言うと、

ルパージュ演出の「テンペスト」は「原典に忠実にやるとコトバをオペラの節回しにあてにくい」為、平易な言葉に直されていた。でもそれがはまっていた。

上に貼った1幕終わりの、夕日のビーチへ歩く二人が素敵。ラストもプロスペローで終わらないのが面白かった。現地に残され、そのまま寿命が尽きるまで小さな島を離れないであろうカリバンの人生ってどんなだろう。

動画が見つからなかったけれど、冒頭の嵐を起こす妖精アリエルのシルク・ド・ソレイユぶりが凄い。え?オペラ歌手ってこんなんできるの?って、何その声にならない声?となります。

聞き取れない箇所もありますが、それはむしろ当たり前。だって彼女は妖精だから。(褒めてます)


「アントニーとクレオパトラ」は、レイフ・ファインズがアントニー役!舞台を現代にしつつ、セリフは全てシェークスピアのオリジナルのまま。そのままでも現代に通じるのもすごいし、そのままやっても笑いが起こるところもすごい。15世紀から、人間はさほど変わっていない。ってその前からも、きっと変わってなどいない。

セリフの全くないバレエでも

セリフを歌用に変えたオペラでも

セリフはそのままで設定を現代に変えたお芝居でも

心がふるふるするシェークスピアさまって、マジで宇宙人なんじゃない?

と声を大にして言いたい。そのためのエントリーでありました。ゼエゼエハアハア。カロリー消費がハンパない。

ここまでお読み頂いた方、ありがとうございました。

METは日替わりなのでもう見られないけれど、「アントニーとクレオパトラ」は日本時間の明日の午前までは見られます。「冬物語」は今月末まで。

明日も良い日に。






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