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【長崎巡礼の旅①】 長崎は今日も晴れだった

マイレージ消化の目的地として、まずはじめに浮かんだのが、長崎でした。

映画「沈黙」の際、悩みすぎてネパールには行ったのに長崎には行けず、その時に行かないなら、もう行く権利なんてない、とずっと思っていました。
でも、今回ふわりと思ったのです。もういいよ、と。

直前のすったもんだを乗り越えて予定を調整し、念願の初長崎に到着です。

まずは市内。
お宿のスタッフさんが、ブラタモリも真っ青な長崎マニアな方で、ホテルを起点に、もう現存しないビルやらホテルやらを、当時の写真を使いながら語ってくださいました。

旧香港上海銀行長崎支店記念館

石造だったから戦争も生き残ったこの建物、2階と3階部分だけがギリシャ風の円柱群。当時、ギリシャ風の建築物が存在しなかった日本に、どうしてもこの洋式で建てたいと設計者がオーナーさんにごねたそうです(笑)どうしても建てさせてくれないなら、前払いのギャラを使って今からアメリカ留学するぞ、と理不尽な軽い脅しまでして(爆笑)

結果的には話題の建物となってめでたしめでたしとなったことが、「大学の図書館の資料集の日記集に書いてあった」そうです。当時の人々の日記、面白すぎる。

この隣には、ドヴォルザークを奏でるオーケストラが入るほど大きなホールを備えた超リュクスなナガサキホテルが、さらにその奥の山側には、門の前に洋装のベルボーイと和装の人力車が控えている超高級ホテル「ベルビューホテル」があったそう。

どちらももう存在しませんが、中で使われていたカトラリー等はグラバー邸の中の屋敷(オルト邸)に展示されておりました。

いかに長崎が栄えていたかが伺えます。

また、こういった高級ホテルに滞在するのは船長クラスの人々のみで、普通の船員さん達が宿泊したのは別の場所。

そのうちの一軒、クリフハウスホテルには、長いバーカウンターがあり、様々な国の船員さんが酒を飲み交わす社交場でした。毎夜どんちゃん騒ぎが繰り広げられていましたが、2階に住むオーナーの娘さんがピアノを弾き始めると、皆音楽に耳を傾け、その音楽に合わせてダンスをするようになったそう。

ああ、その場に交じってみたい。とっても密度の濃い異文化交流が出来ていたに違いない。

そこからほど近いオランダ坂には、当時のお屋敷がまだ残っています。

オランダ坂の外国人居留地

海外仕様のお屋敷に和風屋根瓦が!しかもそこから煙突が!!!

中は天井の高い、北米南部のプランテーションハウスのような作りでした。なのに外壁と屋根は和風なのです!しかも鬼瓦付き!しかも青!(ピンクの家もありました)

長崎の人たちの、異国文化への好奇心や寛容度の高さよ。

グラバー邸
オシャレさん

日本最古の木造洋風建築、グラバー邸も、西洋風の建物なのに屋根は瓦葺き。

お庭も、左側にはバラ園、右手には和風庭園と、東西が混じり合っています。でも、バランスは取れている。

文化の混じり具合は出島にも残されていました。

右側がカピタン部屋、左側は倉庫

カピタン(商館長)の屋敷は、代々のカピタンが少しずつ改良を加えていったそうです。その結果、初めは純和風だった屋敷が少しずつ洋風になりました。

ベッドちっさ!

畳敷き、障子付きのお部屋の壁や天井には壁紙が貼られています。

畳より板張りがいいと思ったら、袖の下の額次第でリフォームもして貰えたそうです。それらが積み重なって、外の窓にガラスが嵌め込まれたり、襖ではなく一部ドアになったりしていきました。見様見真似でも、それらをかっちり綺麗に仕上げたであろう日本人気質の職人さん達の腕がすごい。

それにしても…

出島って、めっちゃ狭いのな!!!!


ここしかないんだから、もっと広いのだと勝手に思い込んでおりました。実際は、猫の額ほどの土地だったのね。

その狭い敷地内に神学校。信仰との密接な関わり合いを物語ます
逆側から見た目貫どおり。手前の建物はカピタン部屋よりお金を使っていないから、欄干がシンプル。

そんな額を通ってしか入手できなかったコトやモノの量を考えると、情報密度的にはリアルスパコンみたいな土地だと言える。一歩ごとに遭遇しうる商品や情報の濃厚さを想像するだに、そりゃ坂本龍馬が出入りするわけですわ。

初めはホテルの方が、次にグラバー邸の警備員の方が、最後には出島のガイドさん(職業としてガイドなのはこの方だけ)が、様々なことを語ってくださる、濃いい半日となりました。

「沈黙」関係に辿り着けていない…

明日も良い日に。


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