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検証:山形 大沼百貨店倒産① ~ どうすれば生き残れたのか?

2020年1月26日に破産申請した山形の大沼百貨店(以下、「大沼」)について事業再生の専門家の立場で検証した記事です。
山形の方、小売、百貨店や地方企業に関わる人むけです。
長めになってしまったので読むのに5分以上かかります。

私の立場は
・地方の過疎地の再生案件に従事してきた元再生ファンドの人間
・今回話題になっているファンドの元同業者(ただし、面識はありません)
・地方の中小企業の社長の息子であり、家業の倒産処理を経験

「再生する側」、「再生される側」双方の目線でまとめています。
今回、「自分でもよく分からないけど大沼のことが凄く気になった」ので、記事を書くことにしました。

SNS上で、地元の経営者の方が、一連の報道に対し、
「終わってからその要因を分析するのではなく、建設的な具体策が必要」
と仰られていて、その通りだと思いました。

公開されている情報をもとに可能な限り調べましたが、本件は「糸がもつれた」複雑な経緯をたどっており、

「地方の百貨店は厳しいからね~ しょうがないよね~」

で単純に片づけられる話ではありません。
「初動が遅かった」
「傾く会社で権力争い」

したことを次の世代のためにも検証する必要があります。
今流行りの「コロナウイルス対策」の検証ではないですが、残すこと、考えることは大切だと改めて思うのです。

かなり長くなりそうなので
① 生き残り策
② 創業家とメインバンク
③ ファンド側の対応
の3部構成でまとめます。

まず、今回は「本件をどう見るか」「自分が相談を受けていたらどうしたか?」です。

「地方の百貨店は例外無くどこも厳しい」のか?

今回の大沼百貨店の倒産は
「百貨店業界全体で経営が厳しい。まして地方はなおさら厳しい。」
「地方の人口流出、不景気の象徴だ」
「地元から百貨店の灯が消えて残念だ」
と報道されています。

百貨店業界については以下の記事の通りで、総論としてはこの通りです。

ただ、全ての地方百貨店が厳しいのでしょうか?
同じ東北、岩手の川徳百貨店を見てみます。
ホームページからの情報ベースですが、大沼のように、経営難や何度も経営者が変わったという情報はありません。
川徳百貨店も近隣に大型のイオンが2つあります。
岩手の人口は山形と同程度。
山形同様、毎年人口は1万人(小さい町一つ分)以上減っています。
川徳と大沼の違いは何なのでしょうか。

今回の大沼の破産までの経緯を簡単に図にまとめました。

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4年間で6回も経営者が変わり、
3回も株主が変わり、もめた果てに倒産しています。

取引先、従業員に対する十分な説明も、お客さんに対する閉店セールもなく、その300年近い歴史に幕を閉じました。

飛行機事故に例えると、こんな感じでしょうか。

飛行機のエンジントラブル(売上減、イオン進出)
 ↓
最初の対応を誤る(経営体制、私的整理スキーム)
 ↓
機長パラシュートで逃げる(メインバンクの対応)
 ↓
操縦席の中で身内の殴り合い(ファンドとのトラブル)
 ↓
山に激突して乗客死亡(破産)

早めの対応をきちんとしていれば、「海に不時着」くらいはできたのでは?と私は考えます。

地方の人口減も、百貨店業界が厳しいのも、客観的事実です。
ただ、その事実を「天災」「しょうがないこと」のように片づけている見方も多いと感じます。

台風のように、「天災」は避けられません。
ただ、「天災」への備えを怠り、対応を誤るのは人間の責任です。

「もめまくった破産劇」の経緯は次の記事で改めて書きます。

自分が相談を受けていたらどうしたか?

可能な限り、「自分が相談を受けていたらどうしたか」を考えました。

今回、株主がファンドに交代したのは2018年でしたが、その時点で私が相談を受けていたら、プロとしてお断りしています。

理由は以下の通りです。
・ファンドが適切なスポンサーではなく、不動産会社が妥当
・選択しようとしているスキームが妥当ではない
・相談する時期が遅すぎる

私は、「仕事を引き受けた以上は絶対に倒産させない」信念で関わります。そのため、「安易に仕事を受ける」ことはしません。再生は命を削る営みですし、再生の経験者は希少なので、案件の選定は相当慎重に行います。
他の同業者も近い信念を持っていると思いますが、「"治る患者"に全力を尽くす」のです。

「会社は傾くほど金も人も、選択肢も無くなる」現実を踏まえると、とにかく早くに専門家(特に東京の)に相談することが重要ですが、今回は株主が交代する時期が遅かったように思います。

では、赤字が慢性化する2014年の数年前ならどんな手を考えたか?

地元のお客さん、取引先、従業員を守るためにプライドは捨てる前提であらゆる策を考えたと思います。

自分で何度もやってきて痛感するのですが、
「地方の会社の再生は重力に逆らうくらい難しい」です。

・カネ:山形県民の預貯金平均値は神奈川県民の半分以下
・ヒト:若年層中心に、毎年人口1%が減少している
・土地:山形駅前よりもイオンの近くの方が地価が高い

という現実を踏まえると、地方の会社は
「東京の金持ちや大企業を客にする」か、
「地元でイオン等の大企業を超えるトップになる」か、
「どこかの傘下に入る」か、
「本社を移転する」くらいの「気合の入った決断」が必要です。

その前提で3つプランを考えました。

A:不動産を不動産会社に売却 ⇒ テナントとして生き残る
B:ドンキ、イオンなどの大手小売り資本の下で再生
C:マンションデベロッパー、ホテル運営会社等に不動産を売却

個別に見てみます。

Aプラン テナントとして存続
「名古屋・御園座」をヒントにしています。
破綻状態にあった名古屋・御園座は不動産を全て積水ハウスに売却。
ビルを積水ハウスに複合ビル(下はテナント、上はマンション)として建て替えてもらい、自身は人員削減の上で縮小し、テナントとして生き残りました。

大沼の場合、売上が200億⇒80億になった時点で同じ売り場面積と従業員数を維持することは困難という判断に基づいています。
また、老朽化した施設のリニューアル投資を自己資本で行うのは困難という判断もあります。

実例もあり、現実的な案ですが、スポンサーの熱心な支援と、現場の抵抗の声をマネジメントするリーダーが必要です。

Bプラン ドンキ・イオン傘下
これは実際に検討された案かもしれません。
実際に宮崎ではドンキホーテグループ傘下に入った百貨店があります。
心理的な抵抗はあるかもしれませんが、「割り切り」も生き残るには必要です。

A、B共通ですが、売り場と人員構成はいずれにせよ大々的に見直しされたはずです。

例えば
・幹部人材はドンキ等の株主からの出向
・1階は観光客向けに山形地場の商品を推し、地元向けテナントは2階
・地元向けの外商は縮小 ⇒ むしろ仙台からお客さんを呼び込む部隊へ

Cプラン 不動産を売ってマンションやホテルに
夢が無いプランですが、従業員には退職金を払うことができ、取引先に支払いもでき、閉店セールもできたはずなので、倒産より何倍も良いプランです。

次回に向けて

私自身はサービス業、小売業の再生に関わった経験はありますが、百貨店はありません。今回、公開されている情報だけで大沼について書くか正直迷いました。
当事者の方にすれば、「精一杯やった結果の破産」であり、外野に言われたくないという気持ちもあるでしょう。ただ、失敗を水に流さず、きちんと検証することで、新たな過ちは防げます。

「同業者はみんな厳しいんだ!しょうがないんだ!」といって対応が手遅れになった社長(私の父)のもと、私の家業は倒産しました。学生だった私はその破産処理に関わり、その過ちを検証することで専門家となり、20社以上の会社を救うことができました。
ネット上にはキラキラした成功話が多く載っていますが、"戦場"で役立つのは失敗から得たノウハウです。

次回は判断が遅れる背景にあったと思われる、創業家とメインバンクの関係について書きます。

第2回:伏線はもっと前 
https://note.com/ikkudo/n/n807008cd8374

第3回:"うさんくさい"ファンドがなぜ選ばれたか?
https://note.com/ikkudo/n/nac0e028d120a

第4回:続報 倒産から1カ月 割と悲しい現実
https://note.com/ikkudo/n/n182ddba4e71a

第5回:事業再生の難しさ
https://note.com/ikkudo/n/nf102aee229f5

コロナウイルスが猛威をふるう中、こんなマニアックな記事をお読みいただきありがとうございました。。。

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